今回英訳された『Don’t Laugh at Other People’s Sex Lives』は、20���差のある二人の恋愛小説で、約20年前に日本でかなり売れまして、私もよく知らないのですが公称33万部と聞いたことがあり、このデビュー作が私の代表作とされることが今でも多いです(これから打破したいですが)。
デビュー作には作者の全てが詰まっているとよく聞くのですが、恋愛嫌いの私が背伸びして書いたこの恋愛小説は、決して私らしくはないと当時20代だった私は考えていました。しかしながら今振り返ると、確かに詰まっているのです。恋愛はともかく、対等な関係に対する希求心や、権力の不均衡について、私はその後もずっと考え、書き続けているのです。私は『源氏物語』が好きでしたから、紫の上と光源氏の不均衡な関係を描きたいという野望は学生時代から持っていました。それと、私は高校入試の面接でも、大学入試の小論文でも、好きな本として『レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』を挙げて論じ、それで進学しています。そういった影響もあって、デビューを目指していた私は、「作家になるために、苦手な恋愛というものを、小説で書いてみよう。年齢差があって、平等ではないような……」と考えた訳です。
最初は、20歳の女性主人公の一人称で、40歳の男性の恋愛対象に対して、告発するような小説として3分の1くらいまでの原稿を書きました。その後、男女を逆にして書き直しました。性別を反転させた理由は、ノンバイナリーである私の考え方のくせによるものかもしれないし、あるいは、逆にすると不均衡さが読者に伝わりやすくなると考えたからかもしれません。ちなみに、タイトルは執筆の合間に、「今書いている恋愛小説のタイトルを何にしよう?」と悩みながら書店内を歩いていた際、同性愛の棚にあった書籍を笑っていたお客さんたちを見かけ、それに対して私の心の中に湧いたフレーズを、「あ、恋愛小説のタイトルにちょうどいいな」と思って付けました。ともかく、私は20歳の男性として小説を書きました。男性一人称小説です。
その小説は賞をもらい、書籍化され、その後、意外にも、20代の作者である私を40代のヒロイン側に重ねるようにして読まれる感想や批評が多く出ました。「女性の夢」みたいな読まれ方です。どうやら、世間というのは、年齢よりも、性別で人を縛ることがとても多いようなのです。私は性別を公表していませんでしたが、写真等で推測されるようでした。自分としては、男性主人公の気持ちで書いていたので、戸惑いました。
ともあれ、デビューして数年が過ぎ、新しい作品を書きつつも、デビュー作についての後悔も湧くようになりました。まず、若い頃は自分が弱者側、下の���場であることが多く、強い立場や加害する可能性について考えることが少なかったのですが、作家になってから、だんだんと自分にも力があることがわかってきました。年齢を重ねると、「女性���でも加害の可能性があることを感じるようになり、時代も進んで、「女性」が力を持つ場合の配慮について考えるシーンも増えてきましたし、安易な性別の反転はあまり意味がないと考えるようにもなりました。教える立場にある人について、もっと考えて書けばよかった、女性の加害性について書き加えたい、それと、コンドーム装着シーンを書けばよかった、などと悔いる事もありました。
けれども、若い煌めきに対し、いくら作者自身とはいえ、年齢を重ねた後に手を加えるのは良くないでしょう。それに、この作品は、すでにたくさんの読者がそれぞれのやり方で読解をしてくれていて、あと、映画化などもしてもらえていて、もう自分の手を離れた遠い作品のようにも感じていました。ですから、私はもう、この作品は自立したものとして、尊重したいと思っています。
今回、英語にしてもらえたこと、ものすごく嬉しいです。日本語と英語の言語としての関係の不均衡さにも常々考えていたはずなのに、「英語にしてもらえる」と聞いたとき、自分でも信じられないほどの喜びが湧いて、「���分にはこういう感情もあったのか」と驚きました。
そして、これからも頑張ろうと思ったのです。
原点である『源氏物語』の紫の上について考えるような現代小説に、これからチャレンジしようかな、と企んでいます。