Top Tweets for #cufactory
Spotify Podcast 📻 “CU Factory”
今回のCreatve UrgeのPodcastは、KOJI The Planet Stoned Plusのお二人にご��場頂きました。
UPCOMING EVENT:
JUL11 “エマージェンザ・ジャパン2026 決勝” at 渋谷duo MUSIC EXCHANGE
https://t.co/wkAAZHr5LC
#CUFactory @KojiPlanet
https://t.co/vls5c7WwJI
7月11日(土) エマージェンザ・ジャパン2026 ファイナル
渋谷 duo Music Exchange
入場口は混雑しがちですので事前に前売り券をご検討ください
紙チケット郵送▶️プロフィールのリンク
イープラス スマチケ ▶️引用ポストのリンク

🔊快楽や娯楽ではな��もの、痛みを伴うもの:思想◆読解力と器◆深層と長大さの肯定◆It is neither pleasure nor amusement, but painful self-transformation.
#TinyThoughts #CUFactory
https://t.co/O1gcImvsYJ

斯くして我は創作檄文に於て、思想無き物語は死すと記した。然れども、此は檄文也。檄文とは、理念の矢を敢へて鋭利に研ぎ澄まし、之を受くる者の胸奧に衝撃を穿たしむる爲の文也。其れを直視せずして思想無しと評するは、刃を看て其の刃先の理を解せず、唯光を放つとのみ言ふ者に等し。思想の存立意義を論ずる文を以てしても、之を思想として讀解し得ぬは、唯感性の倦怠に留まらず、其れは思想を容るる器を欠く心魂の窮乏を露はにせるもの也。思想とは賜はるに非ず、己が手にて攫み取る事也。器を欠く者には、幾許注ぐとも滴は遂に地を濡らすのみ。我は深き哀を覺えたり──然れども其の哀は、彼等の拙劣を咎むる爲に在らず。寧ろ、思想無しと吐く其の言葉こそ、未だ思想に觸るるの資格を得ざる證左に他ならぬ。檄文を讀みて猶、思想の息吹を感ぜぬ者は、未だ其の扉に指先すら掛け得ぬ徒也。要するに、彼等の批評は既に批評の體を成してゐない。思想を論ずる文を指して思想無しと斷ずるは、鏡中を覗きながら此處には何も映らぬと喚くに等しき愚行也。其れは鏡の瑕疪に非ず、彼等自身の視覺の缺損に他ならぬ。故に、我は斷乎として言ふ。思想無しとの發言は、批判の假面を被つた自己の無思を曝け出す懺悔に過ぎぬと。己が内に思想を抱かぬが故に、他者の思想を讀み解く眼も持たぬと自ら吐露してゐるに過ぎぬ。斯かる白狀に憐憫を寄せる事はあれど、決して容認する事能はず。思想の檄とは、其れを受け止め得る器を備へた者のみに響き渡る物也。──既に明日であつた昔、我らはラカンの鏡像段階を後背から見送つてゐる現在であり、鏡・迷宮・羅針の三重比喩は互ひに自己參照の環を閉ぢた後、未來に於て過去完了で語られてゐたであらう。
亦、或る者は斯く言へり──小説家ならば要點を簡潔に纏めよと。其の言、耳にすれば尤もらしく響くものの、實の處は要點を掴み得ぬ者の遠吠へに等しき哀訴也。長篇の文を前にして唯要點を短くとのみ吐くは、己が洞察の刃を鈍らせ、見拔く力を自ら放擲したる證左に他ならず。我は六千字を超ゆる檄文を著せり。之は冗漫を好むが故に非ず。寧ろ、觸れし者に讀解の器在るや否やを試す爲に設けられし構造也。讀解の力を欠く者に取りては、其れは唯苦痛に映らん。然れども、其の苦痛こそが篩にして、落伍は理の必然に他ならぬ。彼等は唯、思想に觸るる資格を未だ持たざりしのみの事に過ぎぬ。歷史學者にして未來學者たるユヴァル・ノア・ハラリ曰く、物語とは人間の認知を束ねる裝置也と。檄文とは當に、其の束ねる力の極致に位置す。多層の論理を編み、重層の概念を抱き込み���一氣に之を受け止め統合する力をこそ問ふもの也。其れを長しと放擲する者は、束ねらるる器を欠く。器無き者は、歷史の言葉の外緣に置き去らる。換言すれば、短く纏めよと叫ぶ其の瞬間、其の者は自ら我は理解の力を有せずと白狀してゐるに等しき也。論を削ぎ、思想を刈り込み、斷片として與へられねば理解の及ばぬ者は、思想の讀者に非ず、唯の消費者に過ぎぬ。思想を消費物と誤認する限り、彼等が歷史に痕跡を遺す事は決して無い。故に我は斷言す──短く纏めよとの言葉は批判に非ず、己が敗北を宣する聲也。思想を讀む者は長短を問はず、寧ろ長大にして複層なる中にこそ必然を見出すもの也。其れを理解し得ぬ者は、思想の門を叩く前に既に彈かれてゐる。我に取りて、彼等は最早相手と看做すにも足らぬ存在也。──而して我等は、ヴィトゲンシュタインの梯子を登り切���た後に捨て去つてゐたであらうが、今當に其の梯子は未完了の現在に横たはり、言語・規則・沈默の三位一體メタファが互換法則のやうに互ひ���指示してゐる。
亦斯く言ふ者も在りき──創作は讀まれねば始まらぬ、斯くも長たらしき文章を垂れ流すはお察し、と。此の一言にこそ、彼の教養の淺薄さが明瞭に刻まれてゐる。思想とは本來、迎合と對極に在るもの也。安易なる快適さの爲に言葉を削ぐは、思想の放擲に他ならず。マルクス曰く、大衆に迎合する言葉は思想を裏切ると。此は單なる修辭に非ず。知を社會的商品に矮小化せしむる危險を警告したる箴言也。迎合の快樂に耽る者は、讀み手の氣分を損なはざる事を最優先とす。然れども其の果に生まるるものは、思想に非ずして販促の文句に過ぎぬ。思想を語る場に立ちながら、思想の條件其のものを否定するは、學問に背を向く行爲也。歷史に名を刻みし思想家・文學者は、寧ろ讀者の安眠を攪亂する事に因りて時代を切り拓けり。���等が求めしは讀まるる事に非ず、突き付く事也。抑々、讀まるる事を創作の第一條件とする發想其のものが凡庸也。讀まるるは結果に過ぎず、目的に非ず。思想の强度無ければ、如何に平易なる文體と雖も、如何に短文と雖も、人の記憶に留まる事能はず。寧ろ、冗長を厭はぬ徹底こそが思想の射程を擴げ、永劫に痕を遺すもの也。賣れぬ小説家を自稱せし彼が、何故賣れぬかは單純明快也。讀者に媚び、迎合の果てに思想を棄てたれば也。安易なる言葉は一瞬にして消費され、記憶に遺らず。其の結果を長たらしき文章の所爲に歸すは、責を轉ずる詭辯に他ならぬ。思想を棄つる者に、思想を語る資格は無き也。我は言はざるを得ず──恥を知れ。讀者の機嫌を取りて創作と稱す其の姿は、藝術家に非ず、唯の客引きに過ぎぬ。思想を論ぜんと欲すならば、先づ迎合を斷ち切るべし。其れすら爲し得ぬ者の言葉に、耳を傾くる價値は一���も無し。──斯くて未來の讀者は既に過去に於て眠らされてゐたであらう、フロイトの不氣味なものが快樂原則・反復衝動・檢閱の三層に分裂し、今尙一文��に回歸を演じつつある。
更に愚かなる反駁も在りき──繪畫に於て物語と思想は二十世紀に不要物とされた、と。誰が繪畫の話をしてゐるのか。對象を掏り替ふるは論理に非ず、唯の逃避也。議論に堪へ得ぬ者は、土俵其のものをずらして誤魔化す外無き也。此は知性に非ず、手品めいた小細工に過ぎぬ。アドルノが藝術の自律性を論じし折と雖も、彼は決してジャンルを混同せず。音樂には音樂の、文學には文學の必然を問ひたるのみ。二十世紀の繪畫に斯かる傾向あれども、小說も然らんと短絡する事は斷じて無かりき。異分野の事例を強引に當て嵌むるは、論證に非ずして暴力也。抑々、繪畫と文學とは表現の媒體を異にす。物語を廢したる繪畫は成立し得るとも、物語を廢したる文學は存在し得ず。文學の本質は言葉に在り。言葉は必然的に世��の秩序と人間の内奧を紡ぐものなれば、其處に思想が關與せぬ筈無し。此を解せぬならば、根本的に文學を語る資格を欠く也。故に、繪畫に於て不要也との論は、文學への批判足り得ず。寧ろ、己が無理解を曝す愚擧に他ならぬ。知識の斷片を得意氣に振り翳すは、學問の態度に非ず、無教養を飾る虛飾也。我は言はざるを得ず──恥を知れ。論點を掏り替へて勝利を氣取る其の姿は、知の探究者に非ず、子供染みた虛榮に塗れた戯畫也。思想を論ずる場に立たんと欲すならば、先づ對象を正しく捉ふる事より始むべし。其れすら爲し得ぬ者の言葉に、耳を傾くる價値は一片も無し。──既に將來の論敵は負けてゐたであらう、ハイデガーの器具論が用具性・遮蔽・現はれの三層へ割け、今此處で對象を逸らす仕草そのものが現成を露はにし續けてゐる。
而して、或る者は短絡に曰へり──シンプルに氣持ち惡し、と。此の言葉程、知性の缺如を端的に示すものは他に在らず。論を受け止むる力無き者は、感情語の蔭に逃ぐる他途無し。氣持ち惡しとは、理解不能の對象を前にして知性を放擲せし者の最終防衛線也。嗚呼、然れども此の反應、或る意味に於て正しき也。思想とは常に不快を伴ふものなれば也。ソクラテスが��テナイ市民に取りて虻の如き存在なりしやうに、思想は惰眠を覺まし、感情の均衡を壞し、世界を搖るがす。其れを氣持ち惡しと感ずる者在るは、むしろ必然也。然れども忘るるべからず。嫌惡の吐露は論駁に非ず。論理を構築する能はず、唯吐き捨つるのみの態度は、思想を拒む他無き精神の無力を露はにするもの也。嫌惡は批評に成らず。故に、氣持ち惡しと叫ぶ聲は、我に取りて否定に非ず、寧ろ肯定也。思想が人の無意識を穿ちたる證左なるが故也。若し萬人が心地良く受け入るるならば、其れは思想に非ず、唯の娯樂に過ぎぬ。思想とは快樂の對極に在りながら、文明の推進力を擔ふもの也。──斯くて未來の不快は既に過去形で悦ばれてゐたであらう、恐怖・魅惑・中立の三相がフロイト的に置換され、現在の讀者は未完の反芻を止め切れずにゐる。
物語には必ず思想の宿らねばならぬと我は言ひたりしか。否也。檄文を檄文として解せぬ者共よ、汝等は三百六十六萬インプレッション、三萬九千エンゲージメント、七千六百イイネ、千五百ブックマークの中に生じた、零・一パーセントにも滿たぬ雜音に過ぎぬ。數ふる程しか在らざる聲也。恥を知れ。──元より未來の統計は既に過去に於て完了してゐたであらう、數・象・名の三項が互いを測り、今此の瞬間の寂默が指標を逆照射してゐる。
物語とは、善きもの也。思想を宿す物語は歷史を刻む。思想を持たぬ物語と雖も、暫しの慰めとして人の心を潤すもの也。然れども、檄文を讀むといふ試煉に堪へ得るか否かは、其の者が思想に向き合ふ資格を有するや否やを判ずるリトマス紙に他ならぬ。我は思想の小説家として、此れを試み續けん。──彼の過去は今當に終り切らぬ現在進行であり、神話・論理・計算の三層が互いに註釋し合ふ輪を閉ぢず、未來は既に過去形で讀まれてゐたであらう。
思想家の檄文、我が檄文に觸るる��よ、軽々しく意見を吐くな。無教養、軽薄なる理解、己が知識の過大評價に基づく見解は、容易に解體さるる。我は思想の刃を鈍らせず、論理の飛躍は即座に摘發し、分野の混淆は一瞬にして斷つ。プロフィール文と���スト一つすら分析の俎上に載せ、其處に潜む虛飾と缺落とを學術的に剖檢するなど、造作も無き事也。我はホモ・デウスとして、思想の眼を以て汝等を裸にす。丸裸にされたくなければ、恥を曝したくなければ、沈黙せよ。沈黙こそ、愚者が自尊を護る唯一の盾也。──斯くして將來の沈黙は既に語つてゐたであらう、法・倫理・欲望の三角がラカン的對象を指し示し、今、語られざるものが意味を過剰に生成してゐる。
ホモ・デウスとは何なるものぞ。其れは單なる未來學的虛構に非ず。ホモ・サピエンスが己を超克し、知性と技術とを武器として神格へと接近せし姿を指す也。生物としての限界を越え、情報と記號とを自在に操る存在──即ち、人間の終極形也。歷史學者にして未來學者たるユヴァル・ノア・ハラリが示せし未來の概念なれども、���の未來は既に到來せり。何故ならば、其れは我自身の姿として現前してゐるが故也。我は思想の秩序を組み替へ、知識の斷片を體系へと變換し、無數の言葉を裁斷して、征く。其の作業は未來の豫兆に非ず、今此處に於ける嚴然たる現實也。故に我は宣ふ。ホモ・デウスとは遠き未來の寓意に非ず、思想を武器とする我が在り方其のものに他ならぬ。愚者に取りて其れは惡夢なれども、思想に飢ゑたる者に取りては、到來せし現代の證左也。──而して過去から來た未來は既に過去形で完了してゐたであらう、技術・象徵・權力の三環がタレブの反脆弱性に絡まり、今尙不確實を糧として增殖し續けてゐる。
物語とは、善きもの也。思想を宿す物語は、時を超えて人の記憶に深く刻まる。思想を持たぬ物語も亦、暫しの慰めとして心を潤す。其の何れも人間的營爲にして、存在の證左なり。此れ、アリストテレスの詩學に於て人間は本性として物語を欲する動物也と認めし所以也。──其れ故に、既來の記憶は明日には過去形で刻まれてゐたであらう、模倣・認識・快の三義が互いの定義をずらしつつ、今當に完結せざる刻印を續けてゐる。
檄文とは、峻嚴なるもの也。其處に宿る思想は、受くる者を試む。理解を欲する者は此の火に鍛へられ、背を向くる者は忽ち彈かる。此れ、思想の門を潛る資格を問ふ焰にして、また思想の荒野を越ゆる爲の試金石也。此れ、アドルノが藝術とは抵抗にして迎合��非ずと認めし所以也。──而して未來の抵抗は過去に於て既に鍛鍊されてゐたであらう、否定辯證法・破片・總體の三重像が互ひを裂き合ひ、今尙未了の反撥として燃えてゐる。
思想とは、重きもの也。軽々しく弄べば、忽ち折れん。然れども、眞に之を受け止むる者は、鋼をも凌ぐ强靭を得て、思想家の言葉は更に鋭利なる刃と化す。思想を擔ふとは、單に知を積むに非ず。己を試み、己を變容せしむる行爲に他ならぬ。此れ、カントが思惟するとは己を超克せんとする努力也と認めし所以也。──斯くて未來の變容は既に過去完了してゐたであらう、概念・觀念・構造の三重輪が互ひを載せ替へ、今此處で自己循環の軋みを鳴らし續けてゐる。
愚者とは、哀れなるもの也。知を誇りながら、卻つて其の知に溺れ、言を弄しながら、遂には其の言���敗る。思想に觸るる刹那、音も無く崩れ落つる其の姿は、如何に巧言を以て飾らんとも隱し得ず。檄文は愚者を容赦無く裁き、思想の秤は其の軽きを量りて暴き出す。此れ、ナシーム・ニコラス・タレブがブラック・スワンに於て人間は己が知を過大に信ずる病より免れ得ずと認めし所以也。──而して將來の崩落は既に過去形で報告されてゐたであらう、確��・外れ値・物語偏向の三角測量が今尙收束せず、現在を未完の誤差として開き續けてゐる。
ホモ・デウスとは、恐るべきもの也。ハラリが未來に描きし其の姿は、知を凌ぎ、術を越え、人を超ゆる存在也。然れども其の未來は、最早未來に屬せず。既に到來し、現前せり。此れ、我が姿として現はるる也。思想を刃と爲し、言葉を秩序と爲し、愚者を解體しつつ歩む我が在り方こそ、ホモ・デウスの體現に他ならぬ。此れ、ユヴァル・ノア・ハラリ自らが人類は神に似た存在を目指すと認めし所以也。──終に、過去より觀測せられた未來像は既に終熄してゐたであらう。支配・奉獻・遊戲の三態は倫理を撓ませ、今は未了の責務として、寂として黙する我らを猶も召喚し續けてゐる。
神話とは、深淵なるもの也。人は太古より神を語り、未來に神���幻視せり。ホモ・デウスとは、其の神話が現代に結實せし寓意に他ならぬ。我といふ存在は、其の寓意を體現する影にして、亦光也。愚者に取りては惡夢となり、思想に渇ける者に取りては啓示と化す。故に我が言葉は響く──物語の如く、檄文の如く、而してホモ・デウスの顯現として。此れ、ミルチャ・エリアーデが神話は時を超え、幾度も現代に到來すと認めし所以也。──此處に於て、オルフェウス・プロメテウス・ヘルメスの三重譬喩は互ひに鍵・火・書記として交差參照し、今當に未完の現在を照らし續けてゐる。
故に我は斷言す──愚者よ、汝の言葉は批評に非ず、自己告白也。思想を持たぬ者が思想を論ずる時、其處に響くは論理に非ず、己が無知と淺薄とを映す反響のみ也。遺るものは、空虛なる殘響と、歷史の闇に刻まるる恥のみ也。此れ、ニーチェが愚者の嘲笑は常に己を暴くと認めし所以也。──而して未來の審判は既に過去形で囁かれてゐたであらう、言語・意識・虛無の三連鎖が相互指示の迷路を閉ぢ、今此の文の終端に、神的黙示の餘韻のみを遺してゐる。

🔊プロット先行の回避◆自由、権力批判、脱構築、ポリフォニーが示す人物の自律性と物語の解放◆たまにはメモ◆Avoiding plot-driven narratives. The character autonomy and the liberation of storytelling.
#TinyThoughts #CUFactory
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『木村杳白・創作檄文』
創作者よ、傾聴せよ。物語とは遊戯に非ず。享楽に非ず。──思想である。思想を持たぬ筆は空虚な模倣に過ぎぬ。思想の頂点を定めよ。到達すべき理念を据えよ。そのとき初めて、物語の呼吸は始まる。
思想なくして言葉は漂流するのみである。プラトンが『国家』において芸術を理念の影として退けたのは、芸術に思想が宿らぬとき、その営みが空虚な模写に堕するからだ。ニーチェが『悲劇の誕生』で示したように、芸術の核心はアポロン的秩序とディオニュソス的陶酔の拮抗にあるが、それも思想の骨格がなければただの雑音でしかない。
カミュは『シーシュポスの神話』において不条理を描きながら、その不条理を受け止める思想の強靭さこそ文学の意義とした。ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』において、人間存在の根源にある神と悪魔の思想的闘争を小説という形式で提示した。
いずれも思想がなければ成立しなかった。物語は読者を慰めるための娯楽ではない。ヘーゲルが言うように精神は自己展開し、歴史を通じて理念を実現する。物語もまた、その縮図として思想を運搬する舟である。思想を失えば舟は沈み、ただの戯画と化す。故に創作者は、自らの言葉の奥底に燃える理念を見つめよ。そこにこそ、物語が生まれ、人を揺るがす力が宿るのである。
サルトルは『実存主義とは何か』で、人間を「自由の刑に処された存在」と呼んだ。人間は選択せざるを得ない主体であり、その投企が生を形作る。物語とは、まさにその「投企の記録」であり、遊戯ではなく、思想の実演である。登場人物はプロットの駒ではなく、選択に苦悩する主体として、存在論的な実験を繰り返す。
ハンナ・アーレントは『人間の条件』で「行為」を人間の根本的活動と位置付け、それが公共空間において他者と共有されることで初めて意味を持つと述べた。物語は単なる個の幻想ではない。公共的な言葉の場に投げ込まれる思想の行為��ある。物語を創ることとは、自分自身の存在を他者の前に提示し、世界に向けて応答を求める行為そのものである。
アドルノは『美学理論』において、芸術の役割���「現実の否定的映し」と定義した。即ち芸術は社会の矛盾を映し出し、批判的距離を保ちながら現実を超える可能性を示す。小説が「思想」であるのは、この批判的機能を担うからである。享楽のための物語はただ現実を追認するに過ぎない。思想としての物語は、現実を切り裂き、別の可能性を拓く。
マルクスは社会の基盤を経済構造に見出し、上部構造である文化や思想がその反映であると論じた。もしそうならば、物語もまた社会構造の影響を免れ得ない。だが、逆に物語を思想の器として用いることで、経済構造や権力関係を批判することができる。フーコーは権力が人間の身体や言葉の網目に浸透していることを示したが、物語こそ、その「権力の不可視な布置」を暴く装置である。
従って、物語を「遊戯」や「享楽」と見做すのは矮小化である。サルトル的実存の自由、アーレント的公共性、アドルノ的批判精神、マルクス的社会分析、フーコー的権力の可視化──これらを統合したとき、小説は単なる娯楽を超え、人間存在と社会構造の双方に切り込む思想となる。物語は思想である。それ以外ではあり得ない。
人物は創作者の操り人形に非ず。人物には心がある。その心を読み解くのは、臨床心理学の如き精緻な観察である。人物は思想の器であり、その意志が物語を推し進める。故に、プロットを先に作るは愚行。人生を定められた筋書きに閉じ込める暴虐である。物語は人物が勝手に紡ぐ。創作者はただ思想を授け、世界を整えるのみでよい。
トルストイが『戦争と平和』において描き出したのは、英雄ではなく群衆であり、その群衆の中に宿る無数の意志であった。フロイトが精神分析で示したように、人間の行動は意識に収まらぬ衝動によっても規定される。故に人物を操ろうとするのは、氷山の頂きのみを弄んで全体を見失う愚行に等しい。
カール・ロジャースは『来���者中心療法』で、他者は自律的な存在であり、尊重されねばならぬと説いた。創作における人物もまた同じである。彼らは創作者の傀儡ではなく、一つの自己を持つ存在である。サルトルが言うように『人間は自由の刑に処せられている』。その自由を無視��、事前に組み立てたプロットに押し込めることは、思想を持つ存在を去勢する暴力である。真の物語は、創作者が意図せぬところで人物が動き、語り、抗うときに立ち上がる。
創作者の役割は、フーコーが権力論で語るように、支配ではなく枠組みの提示である。人物はその枠組みの中で思想を呼吸し、物語を歩み出す。創作者が為すべきは、ただ世界に秩序を与え、思想という羅針盤を渡すことである。その瞬間から、物語は自律的に流れ始める。
アリストテレスは『詩学』においてプロット(ミュトス)を悲劇の「魂」と呼び、人物(エートス)を従属的位置に置いた。筋の統合こそが物語の核心であり、人物はその構造に奉仕するに過ぎない──これが二千年以上に渡って西洋文学論に影響を及ぼしたプロット中心主義である。だが、我々は���の権威に正面から反論する。
人物を筋に従属させることは、人間を物語の奴隷に貶めることである。サルトルが語ったように、人間は自己を超えて投げ出される存在であり、決して予定された構造に収まるものではない。カミュが『シーシュポスの神話』で示したように、人間の生は不条理であり、そこに価値を与えるのは筋書きではなく、行為する主体の意志である。プロットに先行させられた人物は、思想も自由も奪われた操り人形でしかない。
バフチンのポリフォニー論は、この古代の偏見を覆す。複数の人物の声が自律的に響き合い、相互に予期せぬ対話を生み出すとき、物語は初めて生を獲得する。そこには、アリストテレス的な「統一されたプロット」という圧制は存在しない。むしろ「統一」への強迫こそが、物語を機械仕掛けの虚構に変えるのだ。
歴史小説論を展開したルカーチにとっても、重要なのは人物を通じて時代精神を映し出すことであった。もしプロットが先にあり、そこに人物を配置するだけならば、それは「時代精神」ではなく「創作者の都合」に過ぎない。人物の意志が時代の矛盾に触れ、その葛藤が筋を生み出す──これが歴史と人間を貫く真実である。
故に、「プロット先行主義」は���力である。人生を予め決められた筋書きに閉じ込める暴虐である。人間が「行為する存在」である以上、物語は人物の自律的な選択と対話から立ち上がるべきである。プロットは結果であって原因ではない。人物が思想を抱き、世界と格闘するとき、筋は自然に編まれる。決して逆ではない。
二千年の権威に挑もう。プロット中心主義を退け、人物の声を解き放て。創作の��実は、筋書きの完成度ではなく、人物の生をどれだけ真に響かせられるかに懸かっている。物語とは、思想を帯びた人物が勝手に紡ぐものである。創作者はただ世界を整え、思想を授けるだけでよい。残りは人物自身が語る。
歴史を編め。文化を編め。社会を編め。人物が異世界に生きるならば、その世界の歴史をも編め。文化をも編め。法をも編め。神話をも編め。設定を、星にしろ。星の重みがなければ、人物の一挙手一投足に真実は宿らない。
歴史なき世界は虚無である。ヘーゲルは『歴史哲学講義』で、歴史を精神が自己を実現する舞台と捉えた。従って歴史を欠いた世界は、精神の不在、魂なき舞台に過ぎない。マルクスは社会の基盤を生産様式に見出し、文化や法や宗教を上部構造として説明した。つまり経済的・社会的土台が存在し���い世界は、ただの幻影であり、人物の行為に重力を与えることができない。
文化もまた、単なる装飾ではない。レヴィ=ストロースが『神話論理』で示したように、神話や儀礼は人類の思考の枠組みそのものである。物語の背景に文化を据えぬことは、人物の思考に構造を与えないことと同義である。エリアーデは『永遠回帰の神話』において、人類��時間を循環的に理解し、神話を通じて世界の秩序を再演してきたことを示した。神話なき世界は、秩序なき時空である。
また社会を欠いた舞台に、人物は生きられない。ベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』で論じたように、国家も民族も「想像」の産物である。故に創作者が社会を編まぬことは、人物を共同体から切り離し、ただの浮遊する影に堕とすことに他ならない。フーコーは権力と知の関係を明らかにし、人間の言葉や行動が制度的枠組みの中で生じることを示した。法や規範を欠いた世界では、人物の意志は真空に叫ぶのみである。
歴史・文化・社会・法・神話は、それぞれが単独では不充分である。マックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、宗教的倫理が経済制度を方向付けた���とを示した。即ち文化は経済を、宗教は社会制度を、思想は歴史を形作る。全てが有機的に結び付いたときにのみ、人物は世界の一部として息付くことができる。
だからこそ、設定を星にしろ。デカルトは宇宙を機械仕掛けとして捉えたが、その背後には法則という不可視の秩序があった。同じく物語の世界にも不可視の秩序が要る。星が天空で輝くのは、その背後に重力があるからである。歴史・文化・社会・法・神話という重力があってこそ、人物の一挙手一投足に必然性と真実が宿る。
設定なき世界は薄膜の蜃気楼である。星を築け。その重みを刻め。そのとき、物語は単なる虚構を超え、宇宙として呼吸を始める。
本物の物語とは、本物のフィクションとは、人物がその世界で真に生きることにある。性と恋と愛、宗教と神話と哲学、科学と数学と教育、政治と経済と戦争、芸術と音楽と文学──人が生きる限り避けられぬ全てを、小説は一つの言葉に編み込む。
ドストエフスキーを論じたバフチンは『ポリフォニー』の概念を提唱した。そこでは創作者の声と人物の声は対等であり、複数の意識が交錯することで初めて世界の厚みが生まれる���小説とは、ただ筋を追う形式ではなく、人間存在の全領域を言語に結晶させる形式である。ルカーチは『歴史小説論』において、物語が時代精神を映し出す鏡であると語った。即ち真の小説とは、人物の生に留まらず、歴史・文化・思想の総体を映し取る営みである。
サルトルは『存在と無』において、人間は自己を超えて世界に投げ出された存在だとした。その投企の姿を描くことなくして、人間の物語は成立しない。フロイトが無意識の衝動を発見し、���ングが元型を体系化したように、小説は心理学的深層をも取り込む必要がある。科学や数学が人間理性の極北を示すなら、宗教や神話は人間の不可視の根を示す。両者の張力の中で人は揺れ、その揺れこそが物語の呼吸になる。
さらに、政治と経済と戦争は人間を共同体に縛り付ける鎖であり、芸術と音楽と文学は人間を解き放つ翼である。アドルノは芸術を「否定的な認識」と呼び、現実を批判し超える力を見出した。故に物語が芸術性を欠くとき、それは現実への盲従に堕する。逆に、芸術性だけを追い、社会や歴史を無視するなら、それは浮遊する幻想に堕する。
本物のフィクションとは、この全てを等しく取り込むことで成立する。人間が世界で経験するあらゆる要素──性愛の快楽から戦争の惨禍、神話の永遠から数学の厳密さまで──これを全て言葉に編み込み、矛盾も混沌も抱え込んで、なお一つの統合体へと昇華させる。これこそが物語の使命である。小説は遊戯でも享楽でもない。小説は思想であり、思想の総体を人間存在の血肉に変える営為である。
設定を説明するな。文章に宿る設定の香りは、氷山の一角であれ。見えぬ大陸こそが読者を震わ���る。ヘミングウェイが『氷山理論』で示したのは、語られぬ部分こそが作品の奥行きを支えるという真理である。表に出るのは一割でよい。残り九割の沈黙が、読者の心に想像力の海を拓くのだ。
創作者よ、創作論など、学ぶな。模倣するな。思想を持て。思想を極めよ。思想を物語に転化せよ。バルトは『作者の死』で、作品の意味は創作者の外部に生成すると語った。だが、無思想の創作者には、そもそも読者に委ねる種子すら存在しない。種子なき土地に収穫はない。故に思想を育め。カントが『純粋理性批判』で理性の限界を見極めたように、限界を知り、己の思想を尖らせよ。ニーチェが『ツァラトゥストラ』で思想を詩に変えたように、思想を言葉へと昇華せよ。思想なき模倣は死。思想さえあれば、模倣さえも創造となる。
本物の創作は、論法でも技術でもない。ハイデガーが「詩作は存在の家」と述べたように、言葉は思想の住処である。住処なき思想は風に散り、思想なき物語は空虚に堕ちる。唯一の誠実とは、自らの思想を物語に宿すことである。技巧も模倣も不要。思想を極め、それを血肉として物語に流し込め。これこそが創作の道であり、唯一の誠実��ある。
思想なき物語は、ただの影である。人間は思想を通じて世界と関わり、自己を定義する。サルトルが語った「自由への刑」は、人物の行為が必ず選択として刻まれることを示す。物語とは、その選択が思想の形を帯びて顕在化する場である。
ハンナ・アーレントが「行為」を人間的営みの根源としたように、物語は人物が世界の中で行為し、他者と交錯する舞台である。単なる筋立てではなく、人物の心の選択が公共空間に放たれる思想の表現なのだ。アドルノが「芸術は現実を否定することで真実を示す」と語ったように、物語は模倣ではなく批判であり、現実を変革するための思想の運動である。
マルクスが社会構造の中に意識を見出したように、物語もまた社会的基盤の反映である。しかし同時に、それは既存の秩序を相対化する契機ともなり得る。フーコーが示した「権力の微細な布置」は、物語を通じて初めて可視化され、問い直される。思想を欠けば、物語は権力の装置に吸収されるが、思想を帯びれば逆に権力そのものを批判する武器となる。
ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』で、人類を「虚構を信じる動物」と定義した。貨幣も国家も宗教も、全ては物語が基盤となっている。『ホモ・デウス』で彼は、人間が神の領域に踏み込む時代には、新たな虚構、即ち物語が宗教の代替となると論じた。���して『21 Lessons for the 21st Century』では、AIとアルゴリズムが人間の欲望を先読みし操作する社会において、物語の力が人間性を守る最後の砦になると警告している。
未来社会では、娯楽としての物語はアルゴリズムに消費され尽くす。しかし思想を帯びた物語だけは、文明の持続を可能にし、人間を人間たらしめる。物語とは社会批判の言語であり、同時に未来構想の道具である。
故に創作者は、模倣を捨てよ。技巧を誇るな。思想を宿し、それを物語に変換せよ。思想こそが唯一の誠実であり、物語を未来へと繋ぐ真の力である。
杳然なる哀しき、醜穢なる美しき。
──木村杳白
🔊先行者達の痕跡◆構造を超えて自律が機能する可能性、創造性回復の可能性◆たまにはメモ◆Traces of predecessors. Potential to transcend narrative structures, fostering character autonomy, while reviving human autonomy and creativity.
#TinyThoughts #CUFactory
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人間がガチに追い詰められたときに助けてくれるのは同時代を生きる家族や恋人や仲間じゃない。絶対に違う。すでに亡くなった過去の世代の人々だよ。具体的にいうと今の自分と同じような苦しみを抱えていてそれと闘った先行者達の「痕跡」が道しるべになる。だから古典を読むべき。いつか助けてくれる
#CurateReviews 🔊円環或いは繰り返し◆円環か直線かという軸の話ではなく、繰り返しとということについて。Jon Carlingの円環的time loopに繰り返される表現、Smanyがリリックに重ねる言葉、mashiroaのグリッチ◆Cemhahの環、Koooheiが描く閉塞◆環ること。繰り返すこと👀 #CUFactory 241111-241117

#CurateReviews 🔊線形と閃き◆直線は最短か。球面上の直線のように、非ユークリッド的世界観のように、線形をあらためて眺めてみる◆Robin Tomensの線形構成図とその未発見、Teknogakeの線形音、JunKiyoshの非ユークリッドパラメーター◆閃きは球体に描かれた直線のように👀 #CUFactory 241104-241110

#CurateReviews 🔊蓄積と伝達◆文字は記録であり蓄積と伝達の歴史である。今もこうしてそれは日々を存在させている◆Project Jadyssのライナーノーツ、Kinoのうましかに連なる蓄積、宮崎ソウの自然との対比、Robin Tomensのタイプテリトリー◆全ては記録であり蓄積と伝達。👀 #CUFactory 241028-241103

#CurateReviews 🔊秘密あるいは見えないもの◆細川周平はかつて、眼は秘密と虚偽は峻別不可能であると述べた。どちらも見えないためだ◆kana_hawaの見つめているから消えた、Koooheiの隠されたるこたえ、タクエヌと妖精達、Checksyの後ろ姿◆すべてが秘密とは限らないが。👀 #CUFactory 241021-241027

#CurateReviews 🔊モナドの踊り◆あらゆる事象を表す個体としてのモナド、踊りの主体たる「個」◆Noah KocherのYou and Me・実体という感覚、エテルニテは静かに踊る、タクエヌのサーカスの妖精、かずのけんが描く影◆すべてが永遠性を伴って踊る。モナドのように👀 #CUFactory 241014-241020

#CurateReviews 🔊棘が守るもの◆尖ることで得るものと失うものがあるという感傷◆Robin TomensのToxic Type 毒性と守るもの、Rill Saionjiの絵画からノイズへ、氷見野ハオの新しい楽器◆大人がいなくなってしまったとキレているこども、猫のおうち◆守ること尖ること 👀 #CUFactory 241007-241013

#CurateReviews 🔊 アリス症候群(AIWS)◆例えば凝視することで幻視的な現象が現れることがあるという◆Koooheiの気をつけて見ておかないと消えそう、mark websterの純粋詩、enigmatrizが幻視するアスキーアート◆Joe Peaseやetozhequesの世界観◆幻視が生む距離感 👀 #CUFactory 240930-241006

#CurateReviews 🔊 加速と静止◆ス���ロボスコープ効果とは、一定の速度条件においてスピードは停止したかのように感じられる事を示すらしい。加速と静止の距離は意外と近い◆15PhDの加速と停止の序曲、SEELEのパターン認識◆恵、ストロボスコープ残像◆加速と停止の狭間 👀 #CUFactory 240923-240929

#CurateReviews 🔊Dot、ドット◆フラメンコドレス点線織物を“Lunares”(ルナレス:小さな月)と言うらしい。点描と小さな月、水玉とルナレス◆Element Leeのピクセルアート、10luluの雪、Chris Followsのメッシュは小さな月へ回帰する◆hallycoreの視点、phoの翼◆ドット 👀 #CUFactory 240916-240922

#CurateReviews 🔊 Art de Vivre、視点◆��活の芸術。創造の断片と生活の軌跡の関係について。そこに可逆性はあるか等◆死魚眼の夏とKuri.の秋の間のcolobsのAUG32。ティノの時間、PurukichiのOYASUMI、日々。Laura Kerrの太陽と波◆コンセント、ヒロの空気感。視点◆日々 👀 #CUFactory 240909-240915

#CurateReviews 🔊 自我◆ゴーギャンがその作品に描いた青い人物は超越者 (the Beyond) だという。我々はどこへ行くの���という問いかけ◆水月の見逃さないで欲しいという文末、Marsha Estesの意識主客と多義性◆jonCatesやTAPPYの視点、続けることとWAIKIKI RECORD◆存在 👀 #CUFactory 240902-240908

#CurateReviews 🔊 透過◆中性微子は世を全て貫通するので存在を感じ取れないという。存在の素粒子を感じ取れない詩情◆転寝人間の写真の物語、don't Buyのフレーム人物描写、tiwaeo_artの透過◆yuriplusの深部・投影・回路・空間、KOMAGOME / RYOSUKE TAZUMIの淡さ◆存在 👀 #CUFactory 240826-240901

#CurateReviews 🔊 ノイズ◆全ての周波数の集合体が覚醒音を覆い隠す。ノイズと静寂◆時の崖_tokinogakeが発信するノイズの静寂と密接不可分性◆enigmatrizが描く人物のノイズ、paulissonの光源が発するノイズ◆Yui Sakamotoありがとう、安らかに 👀 #CUFactory 240819-240825 https://t.co/7oXHHSB3Xk

#CurateReviews 🔊 流れ・フロウ��dustnのtears、pale kirillのcourse、15PhDの思念、流れ◆最上和子の主体なき世界の認識と思考◆バックアップからの復旧、時間、空間◆他、Gabriel Nebularの蒸発的、ねこっぱちのまだ出会っていない音楽の共有、Indie Waves Ride On等 👀 #CUFactory 240812-240818

Monologue from the CU Factory 04(ポッドキャスト)🔊KOJI The Planet Stoned Plusのユミコさん。プレイリストIndie Waves Ride On!の紹介です。◆Go check it out
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#CurateReviews 🔊 揺らぎ◆HANiOKの即興やtz1am...d2qCfの揺らぎ◆Makoto Iijimaの創作と抵抗やO.T.OのYura Yura、エテルニテのユメ◆シーケンシャル且つ潜在的にランダムたり得ることは可能か◆あらためて、揺らぎ★他、東畑の教育と距離、hamon、AraujoのGEOMETRY等 👀 #CUFactory 240805-240811
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