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高知「地名と風土」
@40010bun2
「地名は大地に刻まれた小さき人の過去の営為」(谷川健一) 訪ね歩いて、地名の歴史をあぶりだす道草・散歩・歩き旅が大好き。ほぼ毎日、一つの地名をつぶやいています。 『奥四万十山の暮らし調査団』共同代表 『四万十町地名辞典』編集子 『高知「地名と風土」』編集子 『日本地名研究所』会員
日本 高知
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高知「地名と風土」
@40010bun2
8 months ago
第45回全国地名研究者土佐大会 遠野で開催された第44回全国地名研究者大会、閉会の挨拶で次回開催地「高知大会」の事前呼びかけしてきました ⬜️日時:2026年5月16日〜17日 ⬜️場所:高知市・高知県民文化ホールグリーンホール 「うまいもんがいっぱいあるけん、きてや。ほいたらね」 勝負服の「牧野さんの蝶ネクタイ」でしっかり伝えました 私的な大会目標 ①地名の見える化・全国小字の集約 ②大会参加者250人 ③高知県内の新規会員20人
高知「地名と風土」
@40010bun2
10 days ago
土佐国の郡衛③吾川郡 土佐国が「土佐四郡」から「土佐七郡」へと分割されていった経緯は、『続日本紀』『続日本後紀』などに書かれている。 吾川郡が高岡郡とに分かれ、それぞれ四郷になった。『南路志』によると 「続日本後紀曰 承和八年八月庚申(841) 土左国吾川郡八郷各別四郷建二郡、新郡号高岡、郡司者分元四員、各置二員』 「土佐七郡」の初出は『和名類聚抄』で、ここでは高岡郡に吾川郷が含まれることとなる。 つまり吾川郡に吾川郷がないということになる。 岡本健児と朝倉慶景の手法をまねて、吾川郡の郡衛(現在の吾川郡と高岡郡の範囲)を、長宗我部地検帳と高知県小字一覧で探してみる 長宗我部地検帳では ①弘岡分伊野村地検帳(刊本吾川郡下p181)「太リヤウカハナ」 → 小字「大領」 ②吾川郡大野郷伊野村(刊本吾川郡下p224)「大リヤウ西」 → 小字「大領西限」 ちょうど、伊野商業高等学校の北側の山麓と思える 付近に条里制の遺構地名「一ノ坪」もある。 これからも、吾川郡の郡衛の所在地はいの町伊野の県立伊野商業高等学校付近と考える
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高知「地名と風土」
@40010bun2
12 days ago
土佐国の郡衛②幡多郡 幡多郡の郡衛所在地については、朝倉慶景「土佐国幡多郡の郡家についての歴史地理学的一考察」『土佐史談204号』(1997・3月)に四万十市有岡を比定地としている。 有岡村のホノギ「東クウゲ・西クウゲ」を郡家(郡司の役所)として、グンケ・グウケ・コホリノミヤケ・コオリノミヤケの転訛と述べる。加えて有岡の上流となる横瀬村(四万十市横瀬)のホノギ「ヲリャ」を大領として、大領の職分田六町の一部だと推考する。 宿毛市山奈町山田や宿毛市平田町黒川には「市ノ坪」の条里制地名もある。 宿毛市平田町黒川や戸内から東に向けて、宿毛市山奈町山田ときて四万十市有岡となる。中筋川流域として平野部を形成し、波多国の所在地も、幡多郡の郡衛もこの有岡周辺ではないかと思われる。 「地名は静かに昔を語る」といったとこか
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高知「地名と風土」
@40010bun2
13 days ago
土佐国の郡衛(ぐんが)①安芸郡 『高知県史』も郡衙の所在地については、史資料が少ないことから明言をさけているが、これを地名のカケラから検討したのが、岡本健児と朝倉慶景だ。 小さな地名から安芸郡の郡衙所在地を検討したのが、岡本健児「地名からみた安芸郡衛」『土佐史談160』(1982・10月)。 安芸郡衛を推考する地名として①「ミヤケダ(郡家:コオリノミヤケ)」②「少領田(ショウリョウテン:郡司の次官の田)」③「大領田(郡司の長官の田)」④「倉吏(ソヲリ:郡衙の正倉の管理役人)」⑤「倉司(ソオズ:郡衙の正倉の管理役人)」⑥「殿田(トノダ:官衛の建物の所在を示す)」⑦「厩ノ尻(郡衙付属の厩・駅家:ウマヤ)と、この7つの地名(ホノギ)を長宗我部地検帳や小字図にあたり推考する。 安芸郡衛の所在地は安芸市土居と安芸市東浜の境界域か
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高知県南国市のお店 ホームセンターゆうきち の公式アカウントです。種苗・園芸・農具・工具・暮らしの道具いろいろあります。Twitterではゆるくご案内しておりますので、個別のお問い合わせは店舗までお願いいたします。TEL088-864-2236 営業時間9:00〜18:00 毎週水曜日定休。
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高知「地名と風土」
@40010bun2
14 days ago
土佐国の郷名④神戸 「神戸」は天皇や朝廷から特定の神社に寄進(指定)された特別な戸籍・集落。 とすると、土佐郡の式内社では、土佐国一宮の土佐神社、式内社の郡頭神社(鴨部)、朝倉神社(朝倉)の周辺と思われる。 『日本地理志料』は、「都佐神社ノ封戸也」と土佐神社の神田と示す。 『土佐幽考』は、未詳だが、高知市神田だろうと比定地を示し、続日本紀を引用する。 「続日本紀ニ云孝謙天皇神護景雲二年十一月戊子土左ノ郡人神依田(コウタ)ノ公各代等四十一人ニ賜フ姓ヲ賀茂ト」 神護景雲二年(768)、神依田(コウタ)の公、41人は、賀茂の姓を賜ったということなのだが、この「神依田」が高知市神田(コウダ)の地名由来とされる。 土佐神社は、一言主神が土佐に流されに遷祭された「土佐高賀茂大社」だから、土佐神社の「神戸」として賀茂の姓を賜ったというが、ちょっと疑問。 一宮から神田まで直線距離で8kmあり、途中に鏡川もある。昔の感覚ではちょっと遠いのではと思うが。 それより、隣の鴨部に式内社「郡頭神社」がある。郡頭神社の神戸=神田と解釈したらだめなのか。そう思って『高知県神社明細帳』の郡頭神社の段を見たら、いろいろでてきた。 社名の「郡頭」は鹿持雅澄の「土佐郡ニ神田村アリ、神田ハ郡頭(コホヅ)ノ訛ニテ」にあるように、コホヅ・こおりずとあり、正式には「コホリツノ」らしい。 土佐郡(郡家)の頭であり、土佐六郡(郡家)の頭。郡頭神社の別名が「六所大明神」。 「神戸」は神社に租税を納める民やその地域のことだが、いろんな読みの一つに「コウド」があるが、郡頭「コオヅ」に似ている 一つ気になるのが『高知県史』が神戸郷の比定地として説明する「現在の高知市神田・鴨田で、もと神社の封戸が設定された地域であろう。」 この「鴨田」は間違いで、賀茂姓の田を言いたいのだろうが「鴨田」の地名はない。あるとしても神田村と鴨部村が明治の合併で、合成地名として発足した「鴨田村」(1942年高知市へ編入)のこと。ここでも「神戸」としての神田と説明するが土佐神社なのか、郡頭神社なのかの説明はない。 もう一つ気になるのが、土佐郡の郡衛(郡家)の所在地 『土佐国風土記』逸文に「高加茂大社(土佐神社) 土佐郡郡家西去四里有土左高賀茂大社・・」とある。古代の一里を500mとして、西に2kmならば、高知市布師田か高知市大津になるか。「高知県史」も郡衛の所在地については『土佐国風土記』逸文を引用するだけで、三行半状態(文献史学) 地名から郡衛の所在を考察したのは1982年になってのこと(岡本健司『土佐史談160号』) 新しい県史には期待したいものだ
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高知「地名と風土」
@40010bun2
16 days ago
土佐国の郷名③鯨野(イサノ) 『土佐幽考』は未詳としつつ、鯨野をクジラノと訓んで、その転訛「来栖野」、三原村の中心地ではと投げかけている。 『日本地理志料』、『大日本地名辞書』、『高知県史』ともにスクラム組んで、鯨の古語イサから足摺岬の突端「伊佐」を核にしてその域をひろげている。 『和名抄』には鯨の付く郷が他に一つ長崎県壱岐に「鯨伏郷」があり、「伊佐郷」は山口県・鹿児島県に、「伊佐郡」では鹿児島県・茨城県にある。 足摺や室戸で古代捕鯨をやっていたことは理解するも、『和名抄』には鯨野の訓がない。 それを鯨の古語イサから、さも当然のように野を除けて「伊佐(イサ)」に比定するのは無理があるのではと思ってしまう。 それに、伊佐は足摺岬の突端で、段丘の小平地に郷となる規模の人が住んでいたとは思えない。 だからなのか、範囲を広げて『日本地理志料』は現在の土佐清水市全域となっている。 『高知県史』古代中世編も「現在の土佐清水市伊佐を中心とする地域であろう」と記述。 ただ、『高知県史』考古編は、後期古墳がないことからか、記述をしていない。 長宗我部地検帳の研究家である朝倉慶景は『土佐史談196』(1994.9月)で、鯨野の鯨がクジ→クヅ(崩)れ、で崩壊地名と述べ、 四万十川下流域筋に崩壊地が多いと強引な主張をするが、 高知は山国、崩壊地名ならどこにでもあるし、多くの清音のクシは串で越と同じ小さな峠の意味と思える 長宗我部地検帳研究者なら「イサイ野ノ村」(土佐清水市下益野)を紹介する方が音的には近いようなっきがするが、 ここは、四万十川下流域ではないので採用しないか。 個人的には、朝倉の示す「鯨野郷は四万十川下流域付近」に賛成だが、説得する根拠を探さないといけない 『土佐幽考』は、鯨野の読みをクジラノとして、それに音が似る三原村の「来栖野(クルスノ)」を候補地としているが・・ 幡多郡では「宇和郷」と「鯨野郷」が課題だ
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高知「地名と風土」
@40010bun2
17 days ago
土佐国の郷名②「宇和」 第二弾は「宇和」。宇和は伊予の郡名にもあり、和名抄の誤記ではないかと疑うくらいだ。 『土佐幽考』(国書データベース/享保19年1735)は、 「在中村之南ニ今称不波 中村ハ蓋宇和郷之中村也」として四万十市不破という 『日本地理志料』は、伊予には宇和郡があり、写本の一つ「高山寺本」にはこれを「宇知」とあると紹介しつつ、「不破村聲之轉也」として『土佐幽考』を引用している 『大日本地名辞書』は、『土佐幽考』を引用記述し、「今中村に大字不破存す、東山村下田村等も此郷に属す。」と述べ四万十市不破や下田も含むとしている。 『高知県史』は、幡多地方の後期横穴式石室墳の数は五基にすぎないが、うち四基が今の中村市の四万十川の東岸にあるの根拠を示し、『和名抄』の宇和郷の郷名に訓みの近い「不破」が有力だとする。 幡多郡の郡域で、四万十川の河口域である四万十市(旧中村市)の平野部に郷が存在しないのは不自然であり、四万十川下流域を宇和郷とするのはそれなりに納得する。 長宗我部地検帳の研究家である朝倉慶景は『土佐史談196』(1994.9月)は、四万十市付近の郷名は「鯨野郷」で、「宇和郷」は愛媛県南宇和郡旧御荘町(観自在寺)付近と、幡多郡の郷について論考を進めている。 一つは、『和名抄』高山寺本の郷名の記載順から、大方郷と山田郷の間に記されている「鯨野郷」が四万十川河口域(旧中村市市街地周辺)か 二つは、宇和郷は、幡多郡の最後に記載される。現在の愛媛県南宇和郡に該当する地域が見あたらないことから、観自在寺のある御荘周辺ではないかと述べる。 ちょっと鯨野の鯨がクジ→クヅ(崩)れ、で崩壊地名でこの流域筋に崩壊地が多いと強引な主張ではあるが、和名抄の郷名の掲載順位からの発想は面白い。 波多国は南宇和郡と幡多郡の領域だったのではと考えさせられる。今でも、甘い醤油やモーニングのトーストに砂糖が添えられるなど、文化圏は類似している。
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高知「地名と風土」
@40010bun2
18 days ago
「ホコノコシ遺跡」は発掘された四万十町作屋の小字から命名されたもの。 長宗我部地検帳にもホノギ「ホコノクシ」と刻まれる中世以前の地名です。 クシは越・峠の意味ですから鉾のあった場所を越えるところといった意味でしょう。 面白い話に「ここで出土したのは銅矛の一部で、それにピッタリ合う本体が対岸の高賀茂神社にあったことで、鉾が残っていたからホコノコシとなった」がある。ホコノクシがホコノコシに転訛したことからの逸話でしょう
高知「地名と風土」
@40010bun2
18 days ago
シリーズ和名抄の土佐国の郷① 一番は地元四万十町と思われる「三井郷」から。 高知県史は考古学(古墳や集落遺跡)の見地から郷の所在地比定する。 一方、高知県史古代中世編は土佐幽考などの歴史文献から現地比定する。 二つの手法で考察されているが、県史は両方とも、土佐市新居と四万十町窪川地域の両論併記しつつ「土佐市新居」を有力地としている。 考古学編は後期古墳時代以降の軌跡がないことから「三井郷については今後の課題」と追記している。 また、古代中世編は新居説を有力と考古編の意見を踏襲する。 高知県史古代中世編が参考とする『日本地理志料』と『大日本地名辞書』ともに1900年頃に出版された大書である。 『日本地理志料』は和名類聚抄など古代の地名など緻密に古文書を考証しているが、漢文調で和装本として出版。読みにくく、入手しにくいが国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能だが現代語訳はたぶんないのでは。 『大日本地名辞書』は古代から明治初期までの地名変遷など総合的に網羅しており、現代語として出版(冨山房・全八巻)されていることから多くの人に支持されている。 双方性質がことなることから、双方参考にする必要がある。 古代中世編は歴史文献学の立場から、『日本地理志料』と『大日本地名辞書』に史料を求めているが、ここ「三井郷」については『土佐幽考』を引用した『大日本地名辞書』の説明を根拠としているようだが、大きな疑問がある。考古編も補完していただきたい。 個人的に列記すると ①『大日本地名辞書』は「土佐幽考云、三井郷、今訛曰仁井村、或作仁居。」と引用して土佐市新居説を比定するが、『土佐幽考』(国書データベース)は「今訛テ謂フ仁井田ト或ハ作ル仁居田ニ。秦氏地検帳題シテ稱ス仁井田郷ト」と仁井田郷(四万十町窪川)と指摘する。吉田東吾は『土佐幽考』のどの写本を引用したのだろうか。『土佐幽考』や『日本地理志料』がすべて正しいといっているわけではない。 ②古代中世編は『大日本地名辞書』を引用する場合に、地元の地誌である『土佐幽考』の原本をあたらなかったのか不思議である。 ③『日本地理志料』の高岡郡三井郷の段は読まなかったのだろうか ④全国に「三井郷・御井郷」がある。井はまさに水田の水利でありミは美称である。日本地理志料も鹿持雅澄の新居説も引用するが、水豊かなところで比較すれば新居でなく仁井田と目当てするのではないか。秦地検帳(長宗我部地検帳)の仁井田七郷も併記する。 ⑤仁井田神社の創建由緒である、伊予の豪族であった小千玉澄が内紛(兄・玉興との不和など)をきっかけに土佐国の仁井田郷へ逃れてきたのが6世紀〜8世紀頃にかけてであり、仁井田郷へ移住開拓し仁井田神社(現高岡神社、通称五社さん)を創建し、伊予に帰ってからは河野一族の祖となったという。この伝承は6、越智一族の記録『予章記』とはいくらか相違するものの、伊予と土佐を結ぶ古代の出来事である。何らかの考察がないのも不自然 ⑥四万十町のホコノコシ遺跡から出土した銅矛についての言及がない。高知県史考古編の巻頭図版には四万十町窪川地域から出土した銅矛(県史では銅鉾・銅戈)17本が掲載されている。考古編には「(窪川町付近)発見数は18本であって高知県発見の約半数を示している」とも記述している。⑤⑥について何らかの補完が欲しい
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高知「地名と風土」
@40010bun2
19 days ago
『高知県史』の土佐国の郷 土佐国の四十三郷について、『高知県史』は考古編と高古代中世編とがそれぞれの担当執筆者の知見で比定地を推考する。 『高知県史考古編』は岡本健児(高知女子大学教授・考古学)が担当し1968年(昭和43年)に発刊。七世紀前半の古墳の位置、その後の集落遺跡の分布から郷の所在地を比定している。 『高知県史古代中世編』は、考古編の3年後の1971年に出版された。山本大(高知大学教授・地域史研究)が担当執筆し、先行した考古編を踏まえつつ、土佐の地誌『土佐幽考』『南路志』や吉田東吾の『大日本地名辞書』を引用し簡潔に説明する。(悪い意味での学者の仁義) これが土佐国四十三郷の通説になっているが、この段階では地名からのアプローチは進んでいない。 1936年柳田国男『地名の研究』が発刊され、小さな地名から民俗や歴史を読み解く方法論が着目され、全国に普及した。 高知県では『長宗我部地検帳』の刊本事業の19巻が完了したのが1965年(昭和40年)。『角川日本地名大辞典39高知県』が出版されたのが1986年(昭和61年)。 これらを機に、郷の郡衛所在地について「大領・小領・殿田・ミヤケ・ソウリ・厩ノ尻」の小さな地名からの研究が進み、土佐史談の誌上で検討が加えられた。 土佐史談160地名からみた安芸郡衛(岡本健児1982・10月) 土佐史談196和名抄宇和郷の問題(岡村憲治1994・9月) 土佐史談196和名類聚抄にみられる土佐国の郷-幡多郡(朝倉慶景1994・9月) 土佐史談204土佐国幡多郡の郡家についての歴史地理学(朝倉慶景1997・3月) 高知県史が新たに発刊されることになったが、50年後の研究成果を期待したい
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高知「地名と風土」
@40010bun2
26 days ago
@kochishigyo1
そうなんですね 植田から上改田、新改の山手側には古墳群。 国分川右岸上流から 新改古墳(横走)、椎山古墳、亀ヶ谷古墳、田村氏古墳、次郎ヶ谷古墳、植田古墳群・・ 遺跡もたくさんあります 『高知県文化財情報』Googleマップ↓ https://t.co/sQOOVv3ieK
高知「地名と風土」
@40010bun2
26 days ago
長岡郡登利郷の比定地 土佐国長岡郡には郷が9か所あるが、「登利郷」については明確な場所の説明がされていないが、南国市十市付近が有力説である。個人的には「土佐山田町上改田」と考える。 吉田東吾『大日本地名辞書』では、河内国の”利雁”の事例から池沼のある十市・三里付近を比定地としている。長岡郡の香長平野の空白区域でもあることから、合点するところでもある。 全て引用すると、 「今詳ならず、蓋十市村、三里村等、一名池郷とも云ふ地ならん。土佐幽考には年越山は登利郷にや、年越は登利の転かと曰ふも、其転訛とは思はれず、但年越山は此十市村に属す、按に河内国にも利雁の地名ありて池沼あり、此にも登利郷と想はるる地に池沼あり、偶然にはあらじ、片山郷の西、気良郷の南、浦戸湾の東にして、大海に浜す。」とある。 ついでに『土佐幽考』を引用すると 「今逸其地、上世分郡置郷、分郷置村里、貞応年中武蔵守平泰時、作日本国大田文、分庄郷以来、庄園襲取之、或称当所寺号為郷村名、或称其地頭名字、卒之失却、其本名如是、祈年郷之転語歟、土陽誌日、長岡郡黒滝・穴内・樫谷•石山・甫喜山・本山・豊永(或説以上七箇村、為登利郷、未知正説)」 『高知県史』は、吉田東伍の十市・池周辺を紹介しつつ、「浦戸湾口の東北部一帯」と述べるが、根拠は示していない。 「利は刈の訛で登刈であるという。吉田東伍博士は旧十市・三里であるとしているが、境界は具体的にはわからないが、浦戸湾口の東北部一帯であろう。」 私は、香美市土佐山田町上改田周辺を比定地としたい。 理由は ①『和名類聚抄』の長岡郡の郷名の掲載順位。国分川の上流域から下流域に郷名を繋げ、片山から吾岡山・船岡山の周囲を右回りに介良・篠原・大埇と回っている。 ここから見れば「登利」は国分川上流域の殖田郷の隣であり上流域にあたる「香美市土佐山田町上改田」(旧郡域は長岡郡である)に比定できる。 ②香美市土佐山田町上改田に「トカリ山」の小字がある。 殖田郷の隣で、すこし窮屈な配置となるが、高知県史の説より説得力はあると思うがどうだろう。
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高知「地名と風土」
@40010bun2
about 1 month ago
釘貫・釘抜(くぎぬき) 高知県の小字では6か所あるが、高知市春野町弘岡中の釘抜は電子国土Web でもヒットする。 大工道具の釘抜なら知っていたが『五来重著作集③』(p162)には墓上施設の説明に「釘貫」があった。 「墓の周りに垣根を囲む。これが忌垣型殯(いがきがたもがり)です。忌垣は釘貫(くぎぬき)ともいいます」とある。 そういえば、50年前まで北幡(旧大正町)でも簡易な木製の垣根や天蓋があったような気がする。 墓制の名残りかと思っていたら 『安芸市史』歴史編(p78)をよんで、柱に穴をあけ横木をとおした「木製の垣根」であることが分かった。 木戸であり、町と武家地との境界や宿場町の両端などに設けられたもので、葬制で言えばあの世とこの世の境界をしめすものだろう。五来重も「日常から切り離された死者の領域」と述べる。 詳しく『安芸市史』を引用すると 「釘貫はこの場合、安芸商人町の範囲を示すようである。釘貫に関連して釘貫門があり、これは木戸を意味する。釘貫は畿内各地でもみうけられるが、地検帳では町場に隣接して記載され、町との境界を指示するように読みとれる。」 とあった。 高知県の小字か所は ①南国市里改田釘抜(33.546846,133.640377) ②南国市十市釘貫(33.532016,133.619705) ③南国市国分釘抜(33.594840,133.633894) ④高知市春野町弘岡中釘抜 ⑤須崎市浦ノ内西分クギヌキ ⑥宿毛市山奈町芳奈釘ヌキ
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高知「地名と風土」
@40010bun2
about 1 month ago
安芸郡丹生郷の比定地 『和名類聚抄』には土佐国七郡に四十三郷が記録されているが、場所が不明なところがいくつかある。 安芸郡八郷(室津・奈半・安田・丹生・布師・玉造・黒鳥・和食)のうちの、「丹生郷」と「布師郷」だ。 『高知県史古代中世編』には「丹生郷 丹生は入の意入河内をさすといわれている。入河内はもとの安芸郡東川村にあるが、現在の安芸市伊尾木、東川及び川北の地域であろうと推定されている。」として「布師 井ノ口、畑山の地域」としている。 松田壽男『古代の朱』は「丹生」について、水銀が含まれた水銀鉱床(辰砂・朱砂・丹砂)であり、その産地は全国に分布し「丹生・壬生・入」地名を刻んでいるとして全国のニュウ地名を踏査。安芸市入河内のスケッチも『古代の朱』にはあった。 高知県史は入河内だけではこころもとないのか、東川五名と川北と伊尾木を含めて丹生郷としている。 土佐藩後期の地誌『南路志』は、川北村の段(p118)で、安芸市の土居から川北へかけてを丹生郷としている。 引用すると「致和云和名抄に出たる丹生郷知れさりしを、土居村の天正地検帳にニウといふ字見へ、此村にも丹生宮あれは、土居村ゟ川北へ掛て古の丹生なりしこと、郡郷考に委<云へり。」 確かに、土居村の枝村・仁宇内村・仁宇島に「ニウノウチ・ニウ島」がある。中世から近世にかけての中心地であった土居村が郷に入っていないのは不自然のようでもあるが、数キロ南が「玉造郷」があり、数キロ西が「黒鳥郷」がある。「布師郷」が安芸市井ノ口ですると5キロ四方に隣村同志が四郷となるが、これも不可解。 気の付いた点が二つ ①高知県史は、『南路志』で指摘した点を言及しなかったのか ②地検帳から土地台帳への移行期の転訛かも知れないが地検帳ホノギ「ニウノウチ・ニウ島」が小字では「入ノ内(いりのうち)・入島(いりしま)」とルビを振っているが、たぶん誤読と思われる。地名は読みが一番なので固定資産税所管課は訂正していただきたい(読みはにんいかもしれない)
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高知「地名と風土」
@40010bun2
about 1 month ago
安芸郡の郡衛の地は 安芸郡の中心地といえば、今では安芸市。 ただ、古代の話となると、南海道の野根山街道、土佐日記に見える海の道、奈半利川など交通の要衝であり「奈半利」と思っていたら、古代の中核は安芸市僧都(瓜尻遺跡)付近が通説らしい。 『奈半利町史』を読んで、やっぱり「奈半利」ではと思わされた。 ①「コゴロク廃寺」があること(安芸郡唯一の奈良時代寺院跡) ②土佐式内社の「多気神社・坂本神社(論所)」があること ③養老官道といわれる野根山街道の西口であること ④『土佐日記』でも「奈半の泊」と川湊として土佐の要港であったこと 岡本健司「地名からみた安芸郡衛」『土佐史談160号』(1982.10)には、長宗我部地検帳の安芸郡安芸庄地検帳のホノギ「シヨリヤクテン」から、シヨリヤウテン(少領田)の誤読であり「ソヲリ(倉吏)」「トノタ(殿田=官衛の建物)」「厩ノ尻」のホノギの分布を説明し、「香美・長岡・吾川の各郡衛には「大領」(郡司のカミー長官名)なる地名が残っているが、安芸の郡街には「大領ならぬ」「少領」の地名が残っていたのである。」として、「安芸市の土居と東浜の境界付近」と安芸郡衛の位置を比定する。 岡本健司をまねて長宗我部地検帳の「安喜郡奈和利庄地検帳」(刊本安芸郡上p364~452)を見てみたが、「大領・ソウリ・トノタ」といった古代地名は見られなかった。 それにしても、安芸郡衛の奈半利説は捨てがたい。当初は奈半利だったが、何らかの理由で安芸平野に移ったのではないかと思ってしまう。
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高知「地名と風土」
@40010bun2
about 1 month ago
脚咋別(あしくいわけ) 古代、波多国と都佐国が一つになって土佐国七郡の現在の高知県領域になったと思っていたら「脚咋別(あしくいわけ)」があったという。 『東洋町史』には、古代の東洋町は阿波国の領域だったようだが、やがて土佐国に併合されたと述べる。 『高知県史古代中世編』にも波多の国造・都佐の国造の説明はあるが、脚咋別の記述はなく、安芸郡の説明にも室津郷の説明はあるが脚咋別の記述はない。 (発刊予定の『新高知県史』では、補完するのだろうか。あわせて、郡衛の位置や郷の比定地についても、古文書の引用(文献史学)だけでなく「地名」からの推考も含め書き込んでもらいたいものだ) 参考までに『東洋町史』(p28~)を詳しく引用すると 「日本最古の歴史書とされ、奈良時代に完成した『日本書紀』によると、履中天皇(一六代・仁徳天皇の長子)六年(四三〇年頃)、大和朝廷からつかわされた鷲住王(わしずみおうともいう。履中天皇と姻戚関係にある河内の豪族)は、古代における小国家である脚咋別を建国した。脚咋別は現在の東洋町(旧野根町・甲浦町)、海陽町(旧宍喰町・海部町・海南町) に当たる。一帯は険しい海岸線や山岳など自然の要塞に囲まれた地であった。『宍喰町史』によると、鷲住王は宍喰川流域を開拓して農耕を行い、初めて村をつくったという。脚咋はのちに宍喰に転化したとの説もある。(略)鷲住王は脚咋別の原住民である海部族に農林・鉱工業や土木の技術を伝え、その産物は国内各地や朝鮮・中国などに輸出していたという。鷲住王に嫡男の野根命が生まれる。王は野根命を脚咋別に置き、国造として讃岐に移った。野根命の資料は乏しく、詳細は不明だが、その子孫が土佐の東部や周辺に勢力を伸ばしたであろうともいわれ、また、野根命は、野根や甲浦を治めた野根氏の元祖ともいわれる。大化ニー三年(六四六~六四七)頃に土佐国(都佐国と幡多国が統合)や阿波国(粟国と長国が統合)が成立した。その際、渡来勢力であった脚咋別は解体となり、宍喰以東は阿波国那賀郡に編入されたと推測されている。のちに和銅四年(七一一)頃、阿波国の南部に加伊布郷ができた(加伊布はのちの海部)。郷の区域は、脚咋別と同じであったとされる。」
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高知「地名と風土」
@40010bun2
about 1 month ago
廿枝郷南地の検地の流れ 検地の流れを南国市長岡地区の全図によって調べてみた(ホノギの比定地・小字を矢印で追う) 検地は、廿枝の南端「野々下」から始まり、北端の「下川原」まで進み、東崎の祈年神社(廿枝の飛地)で終わり、廿枝郷北地(比江・国分)へと移る。これからも、南国市廿枝しか検地されていないことがわかる。 ちなみに、三畠や陣山など中世の城郭もあり、縄文・弥生の遺跡もおおくあり、くどいようだが検地されていないとは思えない。 この、南国市長岡地区の全図で小字をみると結構面白い ①「月ノ木」の字が廿枝・下末松・小籠の三か所にある。月ノ木のツキは「ツク」の転訛ではないか。県下に「フルツク」小字が12か所あり、接辞としてフルツク谷が多い。ツクは息をつくのツクで伏流水のさまを表しているようだがどうだろう。国分川の氾濫原と段丘のヘリに「月ノ木」ちめいがある。 ②下末松に小字「辺路石」がある。長岡地区全図では「遍路石」とある。辺路とあるが、中世はヘジで近世なってヘンロと詠まれるようになり漢字も遍路になっていったという。地検帳がないので確定できないが大日寺から国分寺にむかうへんろ道である。近くに「ながおか温泉」がある ③南国市平山の小字は「〇〇ノ丸」地名ですべて名付けている。香南市野市町の東野・西野・下井や香我美町岸本も「〇〇ノ丸」だから、野中兼山由来の地名なのだろう
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高知「地名と風土」
@40010bun2
about 1 month ago
長岡郡廿枝郷南地 長宗我部地検帳の検地は大津郷上分(南国市篠原)、大津郷下分(南国市大津)から大埇郷(南国市大埇)に入り、野田村ときて、廿枝郷南地(南国市廿枝)となる。次に国分川を渡って廿枝郷北地(南国市国分・比江)となる。 検地人は「秦泉寺班」が介良庄(天正15.12.1)から大津郷下分・上分を済ませ廿枝郷南地(天正16.3.19~3.28)を検地。廿枝郷北地(天正16.3.29~8.24)に移って、八饗(天正16.9.4)へと向かっている。 一方、「喜多代班」は大埇郷(天正16.10.24~12.25)と野田村(天正16.11.27~12.7)を検地して、山田郷佐野へ移っている。 南国市長岡地区は、廿枝は国分川の氾濫原のような地形で、廿枝以外とは地形的に大きく違う。廿枝郷南地の検地日数からみても廿枝郷南地といっても廿枝のみを検地していたようである。それでは、だれが検地したか。 『南国市史』にも「廿枝郷南地」として、「長宗我部時代郷村図(p838)」として、西山・陣山・三畠・上末松・下末松・小籠・野中・東崎を含めた地域(現在の南国市長岡地区)を示している。 『南国市史』は次に、検地の地高(p846)として「野田村=96町22代」「廿枝郷南地=88町5反26代」「廿枝郷北地=73町1反44代」と記している。三地域は概ね80町前後であるが、「長宗我部時代郷村図」では、はるかに廿枝郷南地が広い(3~5倍)。このことからも、不自然であり、長宗我部地検帳から西山・陣山・三畠・上末松・下末松・小籠・野中・東崎が欠損しているのではないかと思われる。 (廿枝郷南地地検帳のホノギは南国市廿枝の小字に全部比定され、西山・陣山・三畠・上末松・下末松・野中・東崎の小字は一か所も比定されない) オーテピア図書館で『南国市史』と横川末吉『長宗我部地検帳の研究』をめくってみた。 『南国市史』のこの部分を執筆したのは山本大高知大学名誉教授で、「この地域(廿枝郷)は古代において国府が設置されていたところで、かつては土佐の政治の中心地であった。」と述べるが、三畠・陣山から東崎(祈年神社・御免)・野中に至る地域の言及はない。 『長宗我部地検帳の研究』には廿枝郷南地の欠損についての記述はなく、幡多郡蕨岡村の欠損についての説明もなかった。 詳しく調べる必要がある。
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