「中世ヨーロッパでは肉の腐敗臭を隠すためにスパイスが珍重された」という俗説は中世のドグマとして広まってしまったが、その起源は1939年の英国における"The Englishman’s Food: Five Centuries of English Diet"という書籍による。
著者のJ.C.ドラモンドは、生化学者で歴史学の専門家ではなかったが「当時のレシピ集には、腐敗した(tainted)肉を食べられるようにする提案が数多く見られる」や「肉の強い調味料の人気は、間違いなく腐敗(taint)を隠す必要が頻繁にあったためである」など根拠のない主張を繰り返した。
これらの主張には一次史料による裏付けはなく、中世のレシピで"greene"(未成熟、新鮮で熟成が必要な状態)という記述を「腐敗」と誤読するなど、多数の誤解が指摘されている。また、安価な調理店が腐肉を使ったという記述や、塩漬け肉の味を引き立てるための調味を腐敗隠しと混同した可能性もある。
この主張はドラモンドの本が比較的アクセスしやすく、科学的権威を持つ人物によるものだったため、後の通俗的な歴史書、教科書、メディアで繰り返し引用され、広く「定説」のように広まった。中世料理史の専門家はこれを「魅力的だが誤りで、都市伝説のようなもの」と明確に否定している。
何よりも、スパイスは肉よりはるかに高価で富裕層しか用いることが出来なかったため、腐った肉に使う経済的、論理的理由がなかったのである。