世界標準の文法書 Azar では、初歩の段階で「I am a student.」「I am happy.」「I am in Japan.」を同じ1つの『つなぎ動詞の箱』で教える。
なぜなら主語の属性や場所(C/A)を右側に要求するロジックは地続きだから。これを品詞のガワだけで切り離し、「3つ目は例外のSVだ」と屁理屈をこねる日本の5文型教育、マジで時間の無駄すぎる。
『Next Stage』的な四択問題集を配って「これは重要イディオムだから丸暗記しろ」と生徒に押し付けるのは、構造の論理を隠蔽した教育的ディストピア。
blame A for B も prevent A from B も、動詞固有の支配領域から導かれる美しい【SVOA】。アルゴリズム(OS)を教えずに個別データを手動保存させるな。5文型は動かない英文を刻むだけの「解体新書」。発信の役には1ミリも立たない。
日本の英語教師の大部分が John Eastwood も Betty Azar も読んでない。だから「I live in Tokyo.」と「The dog barked.」を同じ【第1文型(SV)】という雑な箱に放り込んで、生徒に不毛な丸暗記を強いる。
前者は場所(A)と主語をリンクする『つなぎ動詞(SVA)』、後者こそが真の自動詞(SV)。5文型という100年遅れのOSで、いつまで生徒の知性と時間を搾取し続けるつもりなのか。
五文型はもはや化石。I am in Tokyo. させ説明できない。これがSV? in Tokyo という副詞句を除くと、I am これってどういう意味。私は存在する?こんな初歩の文さえきちんと説明できない、明治時代の遺物。早く七文型に移行すべき。私はごまかしの五文型を葬り去りました。生徒には本質を知ってほしい!
某英文法書の「完全自動詞の中には義務的副詞句を必要とするものがある」という解説。
これ「僕は独身だけど妻がいる」と同レベルの形容矛盾(おかしな理屈)じゃないですか? I live in Tokyo. の live のどこが完全? I live…で文を止められても意味不明。 称賛する前に一度冷静に考えてほしい。