【よくある誤解】裁判で真実が明らかになる
① 裁判とは「客観的真実の発見」そのものを究極の目的とするものではなく、人為的な限界の中で手続的正当性を追求し、社会の秩序を回復するための制度であり、冷徹に申せば、所詮それに過ぎません。
② 神ならぬ人が裁く以上、真実を完璧に知ることはできません。証拠も限界があり、裁判官にも限界があります。制度として謙虚に受け入れること(=不完全さの容認)こそが、独善的な権力の暴走から人々を守る第一の防波堤となっています。
③ すなわち、国家が「何としても客観的真実を明らかにする」ことを至上命題とし、その効率性を極限まで追求した場合、どうなるでしょうか? 目的が手段を正当化する論理に陥り、拷問による自白の強要や、プライバシーを一切認めない国民の全面監視などが正当化されてしまう危険性があります。
④ もし、国家が効率よく真実を見つけることだけを重視すれば、当事者は単なる情報抽出の客体(モノ)として扱われます。しかし、手続を重んじる法治国家では、当事者を、自らの運命に関与する権利を持った「自律的な主体」として扱います。人間を【手段】としてではなく【目的】として尊重する(人格の尊厳を守る)からこそ、裁判の手続は必然的に回り道となり、もどかしさを伴います。
画像は真鍋昌平先生の『九条の大罪』(小学館)より。