【ハンス=ヘルマン・ホッペは君主主義者なのか?】
政治言論の現場では、ホッペのことを「君主主義者」と決めつける声をしばしば耳にする。しかし、これは彼の理論に対する誤解だ。
ホッペの『Democracy: The God That Failed』を読むと、確かに彼は君主制を民主主義よりも優れていると評価しているが、これは君主制を肯定しているわけではない。彼の論理は「時間選好率」に基づいている。君主は国家を自らの世襲した私的所有物とみなすため、将来にわたって資産価値を保とうと長期的な視点を持つ。一方で、民主制の政治家は一時的な「管理人」に過ぎないため、任期中に財産を搾取し尽くそうとする。彼は「国家が避けられない最悪の前提であるならば、民主制より君主制の方がまだ財産権の防衛においてマシである」という比較分析を行ったのであり、理論的には無政府を指向する。
一方で、ホッペが思い描く契約共同体とは、私的所有権と自由な契約に基づき、個々人が自発的に形成する地域社会である。そこでは法規や秩序すらも市場取引と私的合意によって供給され、それを拒否する人は追放される。
むしろ、「リバタリアン君主主義者」といえば、ポーランドの政治家ヤヌシュ・コルビン=ミッケがいる。彼はカトリックの保守的文化を賞賛する一方で、民主主義制度そのものを「無知な多数派による暴政」として強く批判する。そして、民主的な議会制を廃止し、世襲の絶対君主制へと回復すべきだと主張してきた。「国家の役割を最小限の警察・軍事に絞り込みつつ、その頂点に選挙に左右されない絶対的な君主を置くことで、ポピュリズムによる財産の再分配を防ぐ」という論調になる。
つまり、ホッペを単なる君主主義者と呼ぶのは誤読だ。彼の理論が君主主義者に影響を及ぼしたのは事実だが、それはあくまで民主主義を批判するための分析ツールであり、彼のゴールは契約共同体による国家の解体にある。