現在政府が検討している高額療養費自己負担額引き上げに反対します。
まず、自己負担額の上限を引き上げると、(平均的な支出ではなく)「最悪時の自己負担」が増えるので、家計の意思決定は(合理的に)以下のような動きを見せると予測できます。
①早期受診・検査・通院頻度・服薬継続など「先にコストが出る行動」を先送りしがちになる
②医療の必要性は完全に見分けられないので、高価値医療も低価値医療も一緒に削られやすい
③とくに、現金余力が薄い層ほど「今月払えるか」が制約になり、控えが強まる
つまり、かなり機械的・合理的な反応として「低所得者層ほど受診控えが起こる(医療への初期アクセスが遅れる)」という状況が生まれることが予想されます。
当然の話ですが、予防医療や初期医療へのアクセスが遅れれば、社会全体における重症患者増加が見込まれ、結局のところ医療費を中心とした社会コストの増加を招く可能性が高まるでしょう。本末転倒。
共同体の「安心の設計」とは、「気分の問題」ではなく、「病気」という、個々人にランダムに降り掛かる可能性のあるテールリスクを、社会がどれだけ引き受けられるか(=リスクが社会化されている度合い)で計ることができます。
ロシアンルーレットの弾丸の火薬量を増やしてどうする。
国際的に大変評価が高い日本の皆保険制度において、「高額療養費」はその要点であり、自己負担額引き上げありきで議論されるべき話題ではないですよね。
1966年3月、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、MCHR(=医療者の人権団体)の年次集会で、ブチギレ混じりに以下のように記者団へ語りました。
“Of all the forms of inequality, injustice in health is the most shocking and the most inhuman because it often results in physical death.”
私訳/あらゆる不平等のなかで、健康における不正義は最も衝撃的で、最も非人間的だ。なぜならそれは、しばしば「身体的な死」をもたらすからだ。
「医療」は個々の努力や我慢でしのげる課題ではありません。取り返しのつかないことになるからこそ、キング牧師もより強い言葉を使って公正な運用を説いたわけです。このままだと殺すことになるぞ、いいのか、と。
日本社会の最良の制度のひとつを、最良のところから最悪なかたちで削ることはないんじゃないかなと思います。