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AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
昭和のマンガ、特に吾妻ひでお先生の作品世界を楽しんでいます。 先生をリスペクトしたオマージュ作品を描くことで、読者目線とは違う角度での作品探究をしています。また、美術の経験をいかした、模写・オリジナル作品・マンガの考察などを、順次発表していく予定です。 いつの日か、あちらの世界で吾妻先生にお会いして弟子入りしたいです。
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AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
5 days ago
#吾妻ひでお
#ラ・バンバ
【訂正とおわび】 先日投稿した吾妻ひでお『ラ・バンバ』の紹介記事に、誤りがありました。 全5話と記載しましたが、正しくは全6話です。 また、第2話「ヒューマノイド・ミニーの巻」が抜けておりました。 正しい全6話の構成は、以下のとおりです。 第1話 気候大改造計画の巻 第2話 ヒューマノイド・ミニーの巻 第3話 タはタイムマシンのタの巻 第4話 ��知らぬ星の殺人狂の巻 第5話 笑いじょうごのコンピューターの巻 第6話 おわりの巻 作品を紹介するにあたり、基本的な情報に誤りがあったことをおわびいたします。 今後は確認を徹底し、正確な情報の発信に努めてまいりますm(_ _)m
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AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
7 days ago
メッセージと情報のご提供ありがとうございました(^o^) 私はこのときのインタビューで吾妻先生が語られた「少年マンガを描きたい」と「絵柄を変えるということは思想を変えることだから良くない」というお言葉が心に残りました。 少年マンガ→おそらく81年以降で、一度も描いてない(^_^;) 絵柄→この時点ですでに何度も変えて来ていたが、81年以降もしょっちゅう変えてる(^_^;) 単に言ってることとやってることに違いがあると言いたいのではないです。 先生は、深いなあと、あらためて思う次第です😀
AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
8 days ago
#吾妻ひでお
#ジェイシー
「美少女キャラ」たちの世界(6) 『ジェイシー』……吾妻ひでお、ファンタジーの扉を開く そして、「つり目」のヒロインが初登���! フルーツパーラ(美少女No.21) 1971年5月。 吾妻ひでおは、秋田書店の『別冊少年チャンピオン』に、32ページの読切作品『ジェイシー』を発表している。 作品には「ファンタジック・ギャグ」というサブタイトルが付けられ、魔女、悪魔、天使、魔法などが登場する、幻想的な世界を舞台にした物語である。 しかし、この作品を単独で眺めているだけでは、なかなか見えてこないものがある。 それは、この『ジェイシー』が、吾妻ひでおの1971年という時期の中で、どのような位置に置かれていたのか、という問題だ。 この頃の吾妻ひでおは、まだ後年のような「吾妻ひでお」という漫画家の完成形には達していない。 むしろ、いろいろな方向へ手を伸ばしながら、自分が何を描ける漫画家なのかを探していた時期だったのではないだろうか。 ���ジェイシー』は、その過程の中にある一作として読むと、少し違った表情を見せてくる。 <『ラ・バンバ』の次に描かれたもの> 『ジェイシー』の少し前、吾妻ひでおは『週刊少年チャンピオン』に『ラ・バンバ』を描いていた。 『ラ・バンバ』はSFだった。 吾妻自身がSF好きだったことを考えれば、彼にとっては描きたいジャンルだっただろう。 ところが、作品は5話で終了する。 そして、その後に登場した『ジェイシー』はSFではない。 魔女。 魔法。 悪魔。 天使。 王女。 そして、ファンタジーの世界。 ここには、少し興味深い変化がある。 吾妻ひでおはSFを描けなくなったのではない。 むしろ、SF以外の世界でも、自分の漫画がどこまで成立するのかを試しているようにも見えるのである。 <『ジェイシー』のヒロイン、フルーツ・パーラ> この作品で特に目を引くのが、ヒロインのフルーツ・パーラである。 彼女には、吾妻ひでおの初期作品を考える上で興味深い特徴がある。 それは、目である。 フルーツ・パーラの目は、いわゆる「つり目」型になっている。 吾妻ひでおの女性キャラクターを追っていくと、目の描き方には少しずつ変化が現れてくる。 下まぶたのあるなし。 大きな黒目。 白い輪を重ねた瞳。 メガネ。 そして、つり目。 後年の吾妻作品では、こうした異なる��イプの女性キャラクターが、ごく自然に画面の中へ並んでいく。 しかし、その「自然に見える多様さ」は、最初から完成されていたものではない。 一人ひとりのキャラクターを描きながら、少しずつ形を増やしていった結果なのではないだろうか。 フルーツ・パーラは、吾妻作品の中で、「つり目キャラ」として初めて登場した。 このことは、吾妻ひでおの女性キャラクター造形を考える上で、ぜひ知っていて欲しい、重要な点である。 <王女の名前はプリン・サンデー>(美少女No.22) そして、もう一人。 黒い瞳の王女の名前は、プリン・サンデー。 フルーツ・パーラといい、プリン・サンデーといい、名前そのものにどこか甘く、軽く、喫茶店的な響きがある。 吾妻ひでおは、この頃、東京の喫茶店を仕事場としても利用していた。 当時よく通っていた店として知られる「カトレア」と、作品中の名前との関係を想像したくもなる。 もちろん、実際に店のメニューから取ったものなのか、それとも吾妻自身の言葉遊びなのか、確認できる資料がなければ断定することはできない。 しかし、吾妻ひでおの漫画には、こうした「日常の小さな感覚」が、いつの間にか異世界へ入り込んでくるようなところがある。 現実の喫茶店にある甘いものの名前が、魔法の世界の王女になってしまう。 そんな変換そのものが、吾妻ひでおらしい想像力なのかもしれない。 <32ページという長さ> 『ジェイシー』は32ページある。 これは、吾妻ひでおの初期の読切作品として見ると、決して短くない。 そして実際に作品を読むと、このページ数を使って、かなり多くのことをやっていることに気づく。 大きく使われた見せゴマ。 描き込まれた背景。 アクション。 複数の登場人物。 物語の中にさらに別の情報が重なっていく多層な構造。 そして、最後に待っている意外な展開。 単に「魔女が登場するギャグ漫画」だけでは終わっていない。 むしろ若い吾妻ひでおが、 「少年漫画として、ひとつの世界���どこまで作れるのか」 を試しているようにも見える。 <「ちゃんとした漫画」を描こうとしている吾妻ひでお> 後年の吾妻ひでおを知っている読者ほど、この作品には少し意外な印象を持つかもしれない。 吾妻ひでおというと、やがて、 ナンセンス。 不条理。 SF。 美少女。 脱力感。 そして、常識的な漫画の構造から少しずつ外れていくような独特の世界を思い浮かべる。 ところが『ジェイシー』では、かなり「漫画らしい漫画」を作ろうとしている。 世界がある。 登場人物がいる。 事件が起きる。 展開がある。 見せ場がある。 そして、最後にはひっくり返す。 その意味では、『ジェイシー』は後年の吾妻ひでおから逆算して読むよりも、 「まだ完成していない吾妻ひでおが、自分の漫画を探している時期の作品」 として読んだ方が面白いのではないだろうか。 <実は、この時期の吾妻には妙なことが起きている> 『ジェイシー』だけを見ていると気づきにくいのだが、1971年の春から夏にかけて、吾妻ひでおには読切作品が次々と発表されている。 『ジェイシー』。 『しかばねに愛を!』。 『その名は海賊大決戦』。 そして『スーパーラム』。 不思議なことに、この4��品は、それぞれかなり違う。 ファンタジー。 西部劇。 海洋冒険。 そしてショート・オムニバス。 まるで、同じ漫画家が次々と別の衣装を試着しているようである。 これは単なる器用さなのだろうか。 それとも――。 吾妻ひでお自身が、読切という小さな実験場を利用して、 「自分は、何が描けるのか」 を試していたのではないだろうか。 この問いについては、今回は深入りしないでおこう。 なぜ��ら、『ジェイシー』の後には、まだ3本の作品が待っているからである。 <『ジェイシー』という小さな実験> 私は、『ジェイシー』を「忘れられた初期作品」として紹介するだけでは、少しもったいないと思っている。 この作品には、若い吾妻ひでおが、その後の漫画家人生につながるいくつもの可能性を試している姿が見えるからだ。 SFではない。 ファンタジーである。 ヒロインには、「つり目」という新しさを与えた。 32ページを使い、背景やアクションを描く。 一つの物語を組み立てる。 そして、その一方で、ギャグとしての軽さも失っていない。 つまり『ジェイシー』は、 「吾妻ひでおが完成した作品」ではなく、「吾妻ひでおが何者になろうとしていたのか」を見ることのできる作品 なのではないだろうか。 1971年。 このあと���妻ひでおは、 『しかばねに愛を!』 『その名は海賊大決戦』 『スーパーラム』 と、さらに違った作品を描いていく。 そして、その先には『エイト・ビート』が待っている。 そこでは、さらに多くのキャラクターが動き始める。 今から振り返れば、この一連の読切作品は、後の吾妻ひでおを形作っていくための、いくつもの小さな試行錯誤だったようにも見える。 けれど、その時の吾妻ひでお自身は、まだそんな未来を知らない。 ただ、目の前に来た仕事を描いていたのかもしれない。 あるいは…… 仕事を与えられるたびに、 「今度は、これをやってみよう」 と、少しずつ自分の漫画を広げていたのかもしれない。 『ジェイシー』は、その小さな実験のひとつだった。 そして、だからこそ今、もう一度ページを開いてみる価値がある。 忘れられた作品の中には、ときどき、後世の吾妻ひでおへ続く小さな扉が隠れている。 『ジェイシー』は、その扉のひとつなのだと思う。
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AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
15 days ago
ご存知かもしれませんが、昭和49年(74)に、学研の中3コースで「ノラ犬野郎」を6話連載されています。 学習誌なのに、シベールに掲載しててもおかしくないくらい過激な内容です。 その点は吾妻先生らしいと思いますが、編集部が良く掲載したものだと感心してしまいます。 依���さえあれば、断らない方でしたので、昭和45〜47に学習誌向けの作品がないのは、繋がりがなかっただけの話しと思います。 ただし小学生向けの作品になったかどうかはわかりませんが(^_^;)
AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
25 days ago
#吾妻ひでお
#日本の漫画史
ディープなアズマニアが画家目線で挑むQ想の世界(4) 吾妻ひでお引き抜き合戦! <誰も、まだ彼の正体を知らなかった> 1970年から1972年頃の、���妻ひでおの少年誌掲載作品を、出版社別・時系列順に並べてみる。 すると、ちょっと不思議な光景が浮かび上がってくる。 小学館が手を伸ばす。 講談社も手を伸ばす。 その一方で、デビュー当時から吾妻ひでおを使い続けてきた秋田書店は、次々と作品を発注していく。 まるで、一人の新人漫画家をめぐって、出版社同士が綱引きをしているように見えるのだ。 もちろん、編集者たちが、 「吾妻を取れ!」 「いや、うちが先だ!」 などと叫んでいた証拠があるわけでは���い。 これは、あくまで掲載作品の動きから私が組み立てた仮説である。 しかし、年表を眺めていると、どうにも気になる。 ひょっとすると、この時期の吾妻ひでおは、すでに出版社から「奪い合う価値のある新人」と見られ始めていたのではないだろうか。 そして、さらに面白いことがある。 三社が見ていた「吾妻ひでお」は、それぞれに違っていたらしいのだ。 <小学館は、吾妻を「売れる形」にしようとした?> 1970年夏。 小学館の『少年サンデー』増刊号に『葉がくれマック』が掲載される。 そして、その直後には週刊少年サンデーで『ざ・色っぷる』の連載が始まる。 いきなり本誌である。 これは、少なくとも吾妻ひでおに対する関心がかなり高かったことを思わせる。 ところが、ここで小学館と吾妻ひでおの間に、奇妙な食い違いが生じる。 小学館側は、吾妻をお色気路線に乗せようとした。 しかし、吾妻はヒロインの裸を描くことを拒んだ。 しかも、本人にとって初めての週刊連載。 作品制作そのものにも不慣れな時期だった。 結果として『ざ・色っぷる』は短期間で終了し、その後、小学館での吾妻作品は途絶える。 ここから考えられるのは、 「小学館は吾妻を評価しなかった」 ということではない。 むしろ逆ではない��。 小学館は吾妻を評価した。 ただし、「どういう漫画家として売るか」を早く決めすぎた。 吾妻ひでおには、お色気の要素もあった。 可愛い女の子も描けた。 しかし、それだけではない。 小学館が見つけた吾妻と、吾妻自身の正体との間には、まだ大きな距離があった。 小学館は、早く手を伸ばした。 そして、早く手を引いた。 <次に現れたのが、講談社だった> 1971年。 吾妻ひでおの仕事に、講談社が加わる。 まず『別冊少年マガジン』に『ママ』。 続いて『セールスウーマン』。 そして、さらに『由紀子の肖像』。 こちらは40ページ級の作品として掲載が予定されていたものの、掲載予定誌だった『ぼくらマガジン』が休刊となり、幻の作品になった。 ここが非常に興味深い。 もし、この三作品を一つの流れとして見るなら、 ���ママ』 ↓ 『セールスウーマン』 ↓ 『由紀子の肖像』 という順番には、まるで「試験」のようなものが感じられる。 もちろん、これも証拠のある話ではない。 しかし、 「吾妻ひでおは、講談社の少年漫画で使える作家なのか?」 という問いに対して、少しずつ条件を変えながら答えを探していた、と考えることはできる。 原作付き。 次にオリジナル。 そして、より大きな読み切り。 もしそうだったのなら、講談社は吾妻をいきなり本丸の『少年マガジン』へ投入するのではなく、まず別冊で見極めようとしていたのかもしれない。 ところが、その「第三の一手」ともいえる『由紀子の肖像』は、掲載誌そのものが消えてしまった。 吾妻ひでおの作品が消えたのではない。 載せるはずだった場所が消えたのである。 これは、かなり皮肉な出来事だ。 <ところが、その頃、秋田書店では……> 秋田書店の動きを横に置いてみると、さらに奇妙になる。 『ジェイシー』 ↓ 『しかばねに愛を!』 ↓ 『その名は海賊大決戦』 ↓ 『スーパーラム』 ↓ 『エイト・ビート』 である。 しかも『エイト・ビート』は、週刊少年チャンピオンでの初の週刊連載。 講談社が吾妻を試しているように見える一方で、秋田書店は、次から次へと仕事を与えている。 ここには���両社の姿勢の違いが表れているように思える。 講談社が、 「吾妻ひでおは使えるのか?」 と考えていたのだとすれば、 秋田はもっと以前から、 「吾妻ひでおを、どう使い続けるか?」 を考えていたのではないか。 この違いは大きい。 秋田にとって吾妻は、まだ完成していない新人だった。 しかし、 「採用するかどうかを審査する新人」ではなく、「自社で育てていく新人」 だったのではないだろうか。 吾妻自身も後年、「秋田ではネームを出す必要もなく、内容やタイトルもかなり自由にやらせてもらえた」と、回想している。 もしそれが、デビュー当時から続く関係の延長線上にあったのだとすれば、秋田にとって吾妻は、他社が突然発見した「掘り出し物」ではなかった。 赤ん坊の頃から面倒を見ている、自分たちの作家だった。 <1971年夏……二つの出版社が、同じ漫画家に手を伸ばす> ここで、年表が急に面白くなる。 講談社では、 『ママ』 『セールスウーマン』 『由紀子の肖像』 と続く。 一方、秋田では、 『ジェイシー』 『しかばねに愛を!』 『その名は海賊大決戦』 『スーパーラム』 そして『エイト・ビート』へ向かっていく。 まるで、 講談社が一発ずつ試している横で、秋田が機関銃のように仕事を入れている。 そんな光景にも見える。 もちろん、本当に両社が相手の動きを意識していたのかどうかは分からない。 秋田が講談社の動きを察知して対抗発注した、と断定できる資料も、今のところ私は知らない。 しか���、結果だけを見ると、 「吾妻を他社へ持っていかれないよう、秋田が仕事を重ねた」 かのようにも見える。 もし、そうだったとしたら……。 吾妻ひでおは、この時期、まさに「引き抜き合戦」の渦中にいたことになる。 しかし、ここで一つの疑問が生まれる では、三社は吾妻ひでおの何を欲しがったのだろう? ここを考えると、今回の年表は単なる出版社間の競争ではなくなる。 小学館が見た吾妻。 講談社が見た吾妻。 秋田が見た吾妻。 そして、テレビマガジンが見た吾妻。 ……それぞれ、少しずつ違うのである。 <講談社の中にも「別の吾妻」がいた?> この点は、今回の考察で特に気になるところだ。 講談社��少年誌系では、吾妻は「少年漫画家として使えるか」という視点から試されていたように見える。 ところが、同じ講談社の『テレビマガジン』になると、状況が変わる。 創刊号から掲載された『好き!すき!!魔女先生』。 そして、その後の『魔法使いチャッピー』。 ここで吾妻ひでおは、別の能力を見せる。 「可愛らしい絵を描ける漫画家」 としてである。 これは重要ではないだろうか。 少年漫画の編集者が見ていた吾妻と、幼年向け・テレビ連動媒体の編集者が見ていた吾妻は、同じ講談社の中でも違っていた可能性がある。 しかも、『好き!すき!!魔女先生』は石ノ森章太郎原作のテレビ作品である。 大型のテレビ企画に新人漫画家が起用される。 以前から私は、この抜擢には少し不思議なものを感じていた。 だが、もし『由紀子の肖像』を描いた吾妻との関係が、その後の『テレビマガジン』につながっていたのだとしたら? さらに、もし編集者や編集部の人的なつながりがそこにあったのだとしたら? 『由紀子の肖像』の「代償」とまで言うのは大胆すぎるかもしれない。 しかし、 一度失われた仕事が、別の雑誌・別の市場で、別の形の仕事へつながった可能性 は、考えてみてもよいのではないだろうか。 そして、その結果として吾妻ひでおは、少年誌とは別の場所でも「可愛らしさ」という才能を発見されていく。 <三社が見ていた「吾妻ひでお」は、全部違った> ここで私は、1970~72年の年表���次のように読みたくなる。 小学館 「お色気を使える少年漫画家」 講談社・少年誌系 「少年漫画家として使えるかもしれない未知数の新人」 講談社・テレビマガジン 「可愛らしい絵を描ける漫画家」 秋田書店 「自由に描かせながら育てていく独自派の新人」 同じ吾妻ひでおなのに、見えている人物像が違う。 これは偶然なのだろうか。 私は、そうではないと思う。 というより、 吾妻ひでおという作家自身が、それだけ複雑だったのではないか。 <実は、秋田でさえ吾妻の正体を知らなかったのかもしれない> ここが、この話の一番面白いところだと思う。 「秋田だけは吾妻を完全に理解していた」 という結論にすると、話はきれいに終わる。 しかし、私はそうは思わない。 秋田は確かに吾妻を自由にさせた。 その独自性も評価した。 そして、長期的に育てようとした可能性が高い。 しかし、 吾妻ひでおの最終的な正体まで見抜いていたのだろうか? と考えると、話は変わってくる。 吾妻ひでおが本格的に少年誌の枠を飛び越え、 シベールへ向かい、 不条理SFナンセンスへ向かい、 「美少女」「SF」「ナンセンス」「エロス」「日常」「悪夢」「私生活」までもが奇妙に混ざり合った、あの独特の世界を形成していくのは、もっと後のことである。 そう考えるなら、 秋田が理解していたのは「吾妻ひでおの才能」ではあっても、「吾妻ひでおの正体���ではなかった。 そんな見方もできる。 では、吾妻ひでおの正体は、いつ現れたのか? 私は、1970年でもない。 1971年でもない。 1972年でもない。 むしろ、 1980年前後以降ではないか と思っている。 少年誌という大きな枠の中にいる間、吾妻ひでおは、出版社からさまざまな役割を与えられた。 お色気。 少年ギャグ。 SF。 テレビ漫画。 可愛い女の子。 読み切り。 週刊連載。 しかし、それらはどれも「吾妻ひでおの一部分」だった。 そして少年誌という枠を離れたとき、 シベールという場が生まれ、 不条理SFナンセンスが前面に出て、 それまで別々に見えていたものが、一つの奇妙な世界として結びついていく。 そこで初めて、 「ああ、これが吾妻ひでおだったのか」 という姿が見えてくる。 そう考えると、1970~72年は「助走」だった 小学館の失敗も。 講談社の試行錯誤も。 秋田の育成も。 テレビマガジンでの「可愛らしさ」の発見も。 一見すると、全部ばらばらの出来事に見える。 しかし、それらを全部並べてみると、 吾妻ひでおという、既存の分類には収まりきらない漫画家が、少しずつ輪郭を現していく過程 として読むことができる。 出版社は、それぞれ吾妻の一部分を見つけた。 しかし、誰もその全部を見つけることはできなかった。 いや。 もしかすると、吾妻本人でさえ、まだ自分の正体を完全には知らなかったのかもしれない。 <「引き抜き合戦」の勝者は誰だったのか> 小学館は、手を伸ばした。 しかし、早く引いた。 講談社は、慎重に試した。 しかし、決定的なタイミングを逃した。 秋田は、デビュー当時から吾妻を育成組に入れていた。 他社の動きによって多少の緊張が生まれたとしても、結果的には吾妻を自社の中心へ置いていく。 『エイト・ビート』。 『きまぐれ悟空』。 そして『ふたりと5人』。 こうして見ると、勝者は秋田書店だったようにも思える。 しかし……。 本当にそうだろうか。 私は、もう一人の勝者がいたと思う。 吾妻ひでお本人である。 三社が、それぞれ違う「吾妻ひでお」を求めた。 その結果、吾妻は仕事をしながら、 お色気を描き、 少年漫画を描き、 SFを描き、 可愛い女の子を描き、 テレビ漫画を描き、 ギャグを描き、 そして、自分自身の描きたいものへ近づいていった。 出版社が吾妻を奪い合った。 しかし、その過程で吾妻ひ��おという作家自身が、少しずつ出来上がっていった。 そして、最後に一つだけ 1970~72年の掲載作品を時系列に並べてみると、 「吾妻ひでおをめぐる出版社の争い」 が見えてくる。 しかし、そのさらに奥には、 「吾妻ひでおという才能を、誰も一つの言葉では説明できなかった」 という、もっと大きな問題が横たわっている。 小学館にも収まらない。 講談社にも収まらない。 秋田書店にも収まりきらない。 少年誌にも収まりきらない。 そして最終的には、 漫画というジャンルそのものの中にも、完全には収まりきらない。 だからこそ、吾妻ひでおだったのではないか。 1970~72年。 これは、まだ「吾妻ひでおの正体」が現れる前の時代である。 出版社は、その正体を知らないまま、彼の中にある何かを、それぞれ違う角度から掘り当てようとしていた。 そして東京��いう巨大な文化都市の中で、 映画、SF、出版、名画座、印刷、テレビ、漫画、同人誌…… さまざまな文化の流れが、その「何か」を少しずつ複雑にしていった。 やがて少年誌の外へ出たとき、 それらは一つの奇妙な世界として姿を現す。 それが、吾妻ひでおだった。 ……そう考えると、1970~72年の年表は、単なる作品一覧ではなく、 「吾妻ひでおが吾妻ひでおになるまでの、長い助走の記録」 に見えてくるのである。 ※年表を添付いたしましたので、合わせてご覧頂けると幸いです。
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AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
17 days ago
今回は、訂正記事です。 申し訳けありません『ラ・バンバ』の記事に添付した模写絵の中に表記ミスがありました。 Mr.ウイの助手名を「馬場くん」と表記していましたが、正しくは���番馬くん」が正解です。 模写絵を今回のものに差し替えさせて頂き、訂正して、お詫び申しますm(_ _)m なお、この機会に近作の原画写真も添付させて頂きます。
AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
18 days ago
メッセージありがとうございました。 先生ですが、69年デビュー〜72年「ふたりと5人」までの間に、秋田書店の他、小学館、講談社、トップコミック、COMコミックス、業界紙などで、活躍されてました。 締切だけはなんとか守る方だったので、各出版社にとっては便利な漫画家さんだったと思います。 人気が今ひとつなのに秋田が手放さなかったのは、職人的漫画家としての安定感を重宝がった点もあったのかもしれません。 実際を知りたいのですが、50〜60年も前の話しなので当時を語れる人はほとんど居ないでしょうね(^_^;)
AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
18 days ago
#吾妻ひでお
#日本の漫画史
ディープなアズマニアが画家目線で挑むQ想の世界(4) 1970年12月、吾妻ひでおをめぐる「空白の1か月」 ……『ラ・バンバ』はなぜ生まれたのか 吾妻ひでおの初期作品を調べていると、どうしても気になる「空白」がある。 1970年11月。 『週刊少年サンデー』で連載されていた『ざ・色っぷる』が終了する。 そして、翌1971年1月。 『週刊少年チャンピオン』に、新連載『ラ・バンバ』が登場する。 その間にあるのが、1970年12月。 たった1か月。 しかし、この1か月を挟んで、���妻ひでおを取り巻く状況が、少し変わっているように見える。 もちろん、この空白に何があったのかを直接示す資料は、今のところ見つかっていない。 だから、これから書くことは史実の断定ではない。 資料の隙間に残された、いくつかの手掛かりから考えてみた、ひとつの仮説である。 <まず、1970年の吾妻ひでおを並べてみる> 1970年、吾妻ひでおは、すでに複数の出版社で仕事をしていた。 秋田書店では、『二日酔いダンディー』が始まっている。 さらに『少年チャンピオン』には、『荒野の純喫茶』も掲載された。 一方、小学館では、『少年サンデー増刊号』に『葉がくれマック』。 そして10月からは、『週刊少年サンデー』本誌で『ざ・色っぷる』の連載が始まった。 つまり、この時点で吾妻ひでおは、 「どこか一社だけの新人」で���なかった。 複数の出版社が、その才能にそれぞれの可能性を感じながら、違う使い方を試していた。 その中で、ひときわ目を引くのが『ざ・色っぷる』である。 なにしろ『週刊少年サンデー』本誌での連載だ。 秋田書店から見れば、自分たちが育てて来たつもりの若い漫画家を、ライバル出版社が本誌へ連れていった形にも見える。 もちろん、実際に秋田がどのように考えていたのかを示す記録はない。 しかし、出版社同士が同じ新人作家に注目していた時代である。 「次はどこで描くのだろう?」 という視線が存在していても、不思議ではない。 <そして『ざ・色っぷる』が終わる> 『ざ・色っぷる』は、1970年10月から11月にかけて掲載された。 短期間で終了した。 ここで、ひとつの可能性を考えてみたい。 もし小学館が、この作品に��って期待したほどの成果を得られなかったと判断したのなら……。 次の吾妻作品をすぐに発注する必要はなくなったかもしれない。 あるいは、吾妻をどう使えばいいのか、まだ判断できなかったのかもしれない。 『ざ・色っぷる』では、お色気路線も試された。 しかし、吾妻ひでお自身は、そうした方向に素直に乗る漫画家ではなかった。 ヒロインの可愛らしさはある。 しかし、そこから単純に「お色気漫画家」へ進んでいくわけではない。 小学館が吾妻に何を期待し、どこまで次の作品を考えていたのか。 現在残っている資料だけでは、はっきりしない。 ただ、ここで重要なのは、 <『ざ・色っぷる』が終了した後、吾妻の次の本誌作品がどこから出てきたか> である。 それは小学館ではなかった。 秋田書店だった。 <1970年12月、秋田は何を考えていたのか?> ここからは、完全に仮説である。 ある日の秋田書店。 『ざ・色っぷる』が終わった。 担当編集者たちは、こんなことを考えたかもしれない。 「小学館が吾妻を本誌で使った。 だが、連載は終わった。 では、小学館の次の一手は何だろう?」 吾妻は、まだ秋田と縁が切れたわけではない。 『二日酔いダンディー』は続いている。 しかし、それだけである。 しかも『二日酔いダンディー』は、少年漫画としては少し変わっている。 子供が主人公というわけでもない。 大人の世界を舞台にした、どこか気だるい作品だ。 吾妻の才能を見込んでいるとしても、 <「この作家を、秋田の漫画家として本格的に押さえておくには、まだ少し弱い」> ……そんな判断があったとしても不思議ではない。 もし小学館が、新年の初頭に次の作品を発注したら? もし、その次の作品が当たったら? 吾妻ひでおが人気作家になったら? そのとき、秋田は後から追いかけることになる。 そんな危機感が、もし編集部のどこかにあったとしたら……。 <そこで『少年チャンピオン』である> 秋田書店にとっての本丸は、『週刊少年チャンピオン』だった。 ここで吾妻を連載作家として使う。 しかも、新年号から。 これは、かなり大きな意味を持つ。 そして、その作品が『ラ・バンバ』だった。 1971年1月。 『少年チャンピオン』に、 「新感覚SFギャグ」 という言葉を掲げて、吾妻ひでおが登場する。 ここで、私はもう一つの疑問にぶつかる。 なぜ、「SF」なのだろう? <「SFは売れない」時代に、なぜSFだったのか> 当時、少年漫画の世界でSFは、必ずしも新人を試すのに安全なジャンルではなかった。 まして、連載である。 読者に受けるかどうか分からない新人に、宇宙や時間旅行や終末世界を好きなように描かせる。 編集者の立場からすれば、決してリスクの低い選択ではない。 ところが『ラ・バンバ』は、そこへ突っ込んでいく。 しかも、ただの「SF風ギャグ」ではない。 第1話では、マッドサイエンティストと助手が登場し、地球規模の科学改造を企てる。 第2話ではタイムマシン。 ��3話では宇宙船、宇宙開拓、異星生物、光線銃。 第4話では意識を持つコンピューター。 そして第5話では、放射能に覆われた終末世界。 わずか5話の中に、SFのさまざまなモチーフが詰め込まれている。 まるでSF小説の短編集である。 いや、それだけではない。 SF小説やSF映画で育った人間が、 「SFというジャンルそのものを、ギャグにして遊んでいる」 ようにも見える。 <吾妻ひでおは「SF」を知っていた> ここは重要なところだ。 『ラ・バンバ』に登場するSF的な仕掛けは、単なる子供向けの未来イメージではない。 タイムマシン。 宇宙船。 異星生物。 光線銃。 人工知能的なコンピューター。 終末世界。 そこには、SF小説やSF映画が長年積み上げてきた「お約束」がある。 だからこそ、それを知っている読者には笑える。 吾妻はSFを知らないから、適当にSFを描いたのではない。 むしろ逆だ。 SFを知っていたからこそ、SFを壊して笑いにできた。 ここに、吾妻ひでおという漫画家の面白さがある。 <「自由に描かせてもらいました」> そして、この作品について、後年の吾妻ひでお自身の言葉が残っている。 『ラ・バンバ』について、 「好きなように描かせてもらいました。終末ネタは好きで、後年何度も描いています」 と回想している。 同時期の『二日酔いダンディー』についても、 「自由に描かせてもらいました。カベムラさん偉い!」 と語っている。 この二つの言葉は、非常に興味深い。 なぜなら、ここから、 「秋田では吾妻を自由に描かせていた」 という、よく知られた吾妻像が見えてくるからだ。 もちろん、壁村耐三という編集者の存在は大きかったの���ろう。 しかし、私はそこで話を終わらせたくない。 「壁村さんが自由にさせた」 だけでは、 なぜ、その自由の結果として『ラ・バンバ』のような濃厚なSF作品が生まれたのか? が説明しきれないからだ。 <「自由」の正体は、もっと別のところにあったのではないか> もしかすると秋田は、 吾妻ひでおにSFを描かせたかったのではない。 もっと単純に、 吾妻ひでおが一番喜んで描けるものを描かせたかった。 その結果が、SFだった。 そんな可能性はないだろうか。 もしそうなら、「自由に描かせた」という言葉の意味が少し変わってくる。 これは単なる放任ではない。 その漫画家が何を描けば一番生き生きするのかを見極め、そこへ自由に泳がせる。 そういう編集だったのかもしれない。 そして、それが結果的に吾妻ひでおの個性を��き出した。 <しかし、もう一つの可能性がある> ここで、1970年12月をもう一度見てみたい。 『ざ・色っぷる』が終わった。 そして、その直後の新年号から『ラ・バンバ』が始まった。 この二つを並べると、 どうしても一つの仮説が浮かんでくる。 <秋田は小学館を意識していたのではないか?> もちろん証拠はない。 秋田が「吾妻を取られる!」と焦っていた、などという記録もない。 だから、これはあくまで想像である。 しかし、もし秋田が吾妻を自社に定着させようとしていたのなら、話は変わってくる。 「次の作品を待つ」のではなく、 「こちらから次の連載を用意する」。 しかも、吾妻が最も描きたがるSFを。 そして、『少年チャンピオン』で。 そう考えると、『ラ・バンバ』の存在が少し違って見えてくる。 <では、小��館はどうだったのか?> ここが、この話の面白いところである。 実は、私は小学館側の答えを知らない。 『ざ・色っぷる』終了後、小学館が吾妻をどう評価していたのか。 もう一度使おうとしていたのか。 一度引いたのか。 別の企画を考えていたのか。 資料がなければ分からない。 つまり、秋田が小学館を意識していたとしても、それは、 <存在したかどうか分からない「見えない敵」> だった可能性がある。 秋田が一人で警戒していたのかもしれない。 小学館には、そもそも次の手を出すつもりがなかったのかもしれない。 もしそうだったなら……。 秋田は、見えない敵と一人で綱引きをしていたことになる。 <そして、一番得をしたのは吾妻ひでおだった> もし、この仮説が正しいなら。 小学館がどう考えていたのかは分からない。 秋田が本当に焦っていたのかも分からない。 しかし、結果だけを見ると、一人の漫画家にとって非常に都合のいい状況が生まれている。 吾妻ひでおは、 自分が好きだったSFを描くことができた。 しかも、それを『少年チャンピオン』という秋田書店の本丸で描いた。 そして、本人は後年、 「好きなように描かせてもらいました」 と振り返っている。 出版社同士の駆け引きが実際にあったのかどうかは分からない。 しかし、もしあったとすれば……。 その駆け引きによって、作家の自由が生まれた。 これは、なんとも皮肉な話である。 <『ラ・バンバ』は、吾妻ひでおの「初連載」だった> ここで、ひとつ訂正しておきたい。 以前の記事で、私は『エイトビート』を「少年チャンピオン初連載」と紹介した。 これは正確には、 「本��的な連載としての最初の作品」 という意味だった。 単純に「本誌で最初に連載された作品」という意味なら、『ラ・バンバ』が先である。 『ラ・バンバ』は5話という短い連載だった。 しかし、短いからといって、その意味まで小さくなるわけではない。 むしろ私は、この5話にこそ、 <吾妻ひでおが何を描きたかったのか> が、かなり素直な形で現れているように思う。 <たった5話の中に、宇宙も時間も世界の終わりもある> 第1話では科学。 第2話では時間。 第3話では宇宙。 第4話ではコンピューター。 第5話では世界の終わり。 普通なら、これだけの題材を一つの連載に詰め込むのは難しい。 しかし、『ラ・バンバ』はそれをやってしまう。 なぜなら、最初から「SFを描く」のではなく、 <SFで遊ぶ> 作品だからだ。 宇宙へ行く。 時間を飛び越える。 異星人と出会う。 コンピューターが酒を飲む。 そして最後には世界が終わる。 それでも、笑ってしまう。 この自由さこそ、吾妻ひでおの魅力なのだろう。 <1970年12月の空白に何があったのか> 結局のところ、私たちは知らない。 秋田が小学館を警戒していたのか。 小学館が吾妻から手を引いたのか。 壁村耐三が吾妻にSFを描かせたのか。 吾妻自身がSFをやりたいと言ったのか。 担当編集者がそれを受け入れたのか。 あるいは、これらのどれもが違っているのか。 一次資料がない以上、断定はできない。 しかし、資料を並べてみると、一つの不思議な光景が見えてくる。 1970年秋。 小学館の『少年サンデー』で吾妻ひでおが連載を始める。 その作品が終わる。 そして、ほどなくして、 秋田書店の『少年チャンピオ��』で吾妻ひでおが新連載を始める。 その作品は、 「新感覚SFギャグ」。 しかも吾妻自身は、後年、 「好きなように描かせてもらいました」 と語っている。 偶然なのか。 それとも、何かがあったのか。 1970年12月。 そこに何があったのかは、今となっては分からない。 ただ、その「分からない空白」を挟んで、 吾妻ひでおの前に、一つの自由なSF世界が開いた。 それが、 『ラ・バンバ』だった。 もし、あの冬の秋田と小学館の間で、ほんの一瞬でも吾妻ひでおをめぐる綱引きが行われていたのなら……。 吾妻本人は、その綱引きに気づかないまま、 その真ん中で、 一番好きなSFを描いていたのかもしれない。 そして私は思う。 1970年12月には、雑誌のページには描かれなかった、 「もう一つのラ・バンバ」 があったのではないだろうか���。 注)吾妻先生の回想は、「よいこのための吾妻ひでお 河出書房新社」より引用させて頂きました。 また、「ラ・バンバ」は、同書に第5話が、「きまぐれ悟空2(朝日ソノラマ)」に、第1~第4話が収録されています。 ※年表を添付いたしましたので、合わせてご覧頂けると幸いです。
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AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
30 days ago
#吾妻ひでお
#由紀子の肖像
「美少女キャラ」たちの世界(6) 美少女列伝「由紀子の肖像」「由紀子」(美少女No.19) 【1971年、講談社と吾妻ひでお】 吾妻ひでお先生の未発表作に、「由紀子の肖像」という40ページの読み切りがあります。 先生ご自身の回想によれば、1971年に講談社から依頼され、編集部が大まかなストーリーを作った作品でした。 ところが先生は、どうも気に入らない。 「ちょっと気に入らないところがあるから、描き直ししますよ」 そう言うと、編集者は、 「いや、いや、いや。いいですから、いいですから」 という反応だったそうです。 そして、その直後に掲載予定だった雑誌が休刊。 作品はお蔵入り��なり、原稿料さえ支払われなかった。 では、その「掲載予定だった雑誌」とは、どこだったのでしょうか。 1971年、講談社の漫画雑誌で休刊・終刊となったものを調べると、「週刊ぼくらマガジン」が浮かび上がります。 同誌は1971年6月1日号を最後に終刊。 この事実と先生の回想を重ねると、 「由紀子の肖像」は、「週刊ぼくらマガジン」掲載を予定して描かれた可能性がかなり高い…。 私は、そう推測しています。 もちろん、現時点では断定できません。 しかし、ここからさらに興味深いことが見えてきます。 1971年、講談社の「月刊別冊少年マガジン」には、 5月→「ママ」 7月→「セールスウーマン」 という吾妻作品が掲載されています。 「ママ」は原作付き。 その次の「セールスウーマン」は吾妻先生のオリジナル作品です。 こ���並びが、同じ1971年に「週刊少年マガジン」で行われた「第1回 少年マガジン愛読者賞」とよく似ているのです。 愛読者賞では、5人の漫画家に、 「原作付きの課題作」+「自由作」 という2種類の作品を描かせました。 つまり、 「与えられた物語を漫画にする能力」 と、 「自分自身で作品を生み出す能力」 を、一人の漫画家について見比べることができるわけです。 「ママ」と「セールスウーマン」の間にも、 「原作付き」→「オリジナル」 という構造があります。 もちろん、両者が同じ企画だったと証明する資料はありません。 むしろ私は、同一企画だったと考えるより、 「漫画家を試すための編集思想が、この時代の講談社の中にあったのではないか」 と考えています。 そして、ここで「月刊別冊少年マガジン」という媒体の存在が重要になります。 「週刊少年マガジン」が講談社の本丸だとすれば、「月刊別冊少年マガジン」は、新人や若手を試したり、読み切りや実験的作品を掲載したりする場所だった。 その場所で吾妻ひでおは、 「ママ」…原作を与えられて描く。 ↓ 「セールスウーマン」…自由に描く。 という二つの経験をする。 そして、その先に40ページの読み切り、 「由紀子の肖像」 があった。 ここには、 「原作を漫画化できるか」 ↓ 「自分自身の作品を作れるか」 ↓ 「長い読み切りを一本任せられるか」 という、吾妻ひでおという新人作家を段階的に試していくような流れを見ることができます。 もちろん、これは編集部の意図を直接証明するものではありません。 しかし、1971年の作品の並びをこうして見ていくと、吾妻ひでおは講談社にとって、 「まだ本丸に投入する看板作家ではない。しかし、何かがある。もう少し試してみたい」 という位置にいたのではないでしょうか。 そして、まさにその「次の一手」とも考えられる「由紀子の肖像」が、掲載予定誌の終刊によって消えてしまった。 これは、単なる「幻の未発表作品」ではありません。 1971年という、講談社が漫画雑誌の再編を進めていた時期に、「吾妻ひでおという新人作家が、どのように試され、どこへ進もうとしていたのか」という、その過程を垣間見せてくれる、「消えてしまった一枚の設計図」なのかもしれません。 そして、先生ご自身がこの作品について、 「ぜんぜん、俺の作品らしくない」 と語っている点も見逃せません。 もしかすると「由紀子の肖像」は、漫画家吾妻ひでおが「自分の漫画とは何なのか」を模索していた、その途中にあった作品だったのではないでしょうか。 掲載されなかったから重要なのではない。 「掲載されるはずだった」という事実そのものが、1971年の講談社と吾妻ひでおの関係を物語っているのです。 「由紀子の肖像」は、半世紀以上もの時を越えて、そんなことを伝えてくれているのかもしれません。 注)吾妻先生の回想は、「吾妻ひでお EarlyCollection 復刊ドットコム」より引用させて頂きました。 また、「由紀子の肖像」は、同書に収録されています。
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AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
about 2 months ago
#吾妻ひでお初期作品
#セールスウーマン
「美少女キャラ」たちの世界(6) 美少女列伝「セールスウーマン」(美少女No.17)「友紀」(美少女No.18) 今回は、「セールスウーマン」の続きです。 恋人のいない孤独な貧乏学生が、セールスウーマンのすすめに従って注文したのが、岡崎友紀型の「恋人」。 注文するやいなや、瞬時にパッと「友紀」が届きました。 「恋人」が、こんなに簡単に手に入るなんて、「銀河デパート」は、なんて便利な通販でしょうか。 考えてみると「銀河デパート」のシステムは、現代のネット通販事情と不思議と共通点が多いのです。 ・銀河全体に広がる販売網 ・多様な商品の取り扱い ・高速の物流 ・充実した商品案内 などなど。 さらに、作中に出てきた「下取りシステム」を、「個人がネットで転売すること」と訳して付け加えるならば、ラジオショッピングすらなかった当時、吾妻先生は、「すでに、ネット通販時代の到来を先読みしていた」かのように思えなくもないです。 吾妻先生は、他にもロリコンや猫耳やルーズソックスなどで始祖と呼ばれたりするくらい、トレンドの転換点に関して鋭い先見性を発揮された方だったので、頭の中に「Amazon」が見えていたのかもしれません。 ただし、現在の私たちがAmazonを知っているから予言のように思えるだけかもしれませんので、ここには慎重さが必要です。 けれど、セールスウーマンは、欲望を先回りして商品をすすめる存在です。 そして、生活空間へ入り込み、便利さと引き換えに、人間の欲望を少しずつ広げていく仕組みを持っていて、一度使ったら後戻りはできません。 この構図は、今日のデジタル消費社会を思わせるほど現代的であることだけは、間違いないと言えるのではないでしょうか。
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AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
about 2 months ago
お互いアズマニアですね。 吾妻先生を通じて鈍さんと知り合うことができて嬉しいです。 先生は、不思議すぎて魅力が尽きません。 例えば、先生は「オレは絵が下手」と、おそらく生涯言い続けておられました。 私は古典写実主義の画家出身ですが、私の感覚で断言します。 吾妻先生の絵は最高に素晴らしいです! でなければ、追っかけたりしません。 上手い下手で申すなら、非常に上手いと思います。 それは、模写しないとわからないほど、細かいところに現れがちなので、認知しにくいと思います。 でも毎回、新発見があるので、模写は楽しいです。 これからも、よろしくお願いします(^o^)
AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
about 2 months ago
お気遣いに深く感謝申しますm(_ _)m 長く住んだ英国から帰国され、英米文学者として明星大学の教授をされていました。 大学は明星でも名声を求める人ではないので、原版については先生ご自身、勘違いされていたと思います。 定年を迎えて英国で余生を送るべく、研究資料として集めた妖精素材を故��に寄贈→資料的価値に驚いた宇都宮市が「妖精」をまち興しのテーマに据えた→ならばと英国永住を中止してまち興しの先頭に立った→王���グウィネヴィアの求めに応じ円卓の騎士が各地から参集…てなことで、私もなぜか円卓の席に座っておりました(^_^;) 今は、昔、昔の物語りです(^o^)
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AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
about 2 months ago
教えて頂き、感謝申します。 すみません、カメラとガラス板の原版は、レプリカのようですね。 訂正して、お詫び申します。 20年前、井村先生のお手伝いをしていた頃、本物と聞かされていましたので、そのように信じておりました。 けれど、少なくとも、現在、妖精美術館に展示されているものが、レプリカであることを理解しました。 少なからず、ショックでしたが、これからは、間違ったことを流布しないように、��意したいと思います。 ところで、話しは変わりますが、今回、戸川さんと会話できたことが嬉しいです。
AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
about 2 months ago
すみません、カメラとガラス板の原版は、レプリカのようですね。 訂正して、お詫び申します。 20数年前、井村先生のお手伝いをしていた頃、本物と聞かされていましたので、その���うに信じておりました。 けれど、少なくとも、現在、妖精美術館に展示されているものが、レプリカであることを理解しました。 これからは、間違ったことを流布しないように、注意したいと思います。
AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
about 2 months ago
写真は、プリントアウトされたものです(だからポジ状態)。 これは、プリントですから複製になります。 ガラスの原版というのは、ネガフィルムみたいなものです。 ガラス板に、ネガが焼き付けられています。 カメラと一緒に、イギリスのオークションで保証付きで購入された本物です。 実際に、見学されることをおすすめします。
AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
about 2 months ago
私は、当時、美術関係者のひとりとして妖精美術館開館の裏方してました(^_^;) 本当は、単館での建設を希望してたのですが、市の予算の問題から、現在のような、総合ビルのワンフロアを利用する形に落ち着きました。 しかし、建設の初期費用に加え、資料の維持管理費のことも考えると、市は、精一杯のことをしてくれたと思います。 現在でも、アジア地域において、妖精の本物の資料がこれほど集まっている美術館は、他に無いはずですので、独特の価値はあると思います。 見る人が見ればですが(^o^)
AZMひでお先生のQ想の弟子
@qsounodeshi
about 2 months ago
自分でも漫画を描くので感じました。 例えば、渦巻きの中で、主人公と渦が同じ方向に同じ速度で一緒に回わると、両者の間に差が無くなります。 つまり、主人公目線だと風景は停止の状態です。 渦��中心に向かって主人公が直線的に移動すると吸い込まれている図になります。 回転に直線が交わるので動く絵になります。 横軸の風に対して、樹木が地面に垂直に立つと、風が横に流れる表現になるのも同様の理屈です。 漫画は、コマの中で発生する動きや、それと対になる要素との関係が複雑に絡み合います。 巨匠は、何十万コマ?も、動線の方向を考えて創作したと思うと本当に凄いと思います。
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