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@runteache
「教える側」が自分でも走って検証するアカウント🏃♂️|中学校教員・陸上部顧問経験|ハーフ1:29/フル3:36|指導×トレーニング理論×自分自身の実践から、初心者〜中級者ランナーが速くなるヒントを発信
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run-teacher
@runteache
about 2 years ago
はじめまして! このたびランニングに関する情報を主に発信するためにアカウントを開設しました。 主にブログの方で発信をしています。 よろしければぜひご覧ください。 多くのランナーに拡散していただけると嬉しいです。 走る教室~ランニングと教育の交差点~ (https://t.co/WiSLhBuMgv)
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@runteache
about 6 hours ago
「今日はよかった」で終わる練習ほど、もう少し聞いてみたい。 陸上部で選手と話していると、そんなふうに思うことがあります。 もちろん、喜んでいるところに水を差したいわけではありません。 いい記録が出た。 練習を最後までやり切れた。 まずは、そのことを一緒に喜びたい。 そのうえで、 「今日、何がよかったんだろう?」 と考える時間も、大事にしたいと思っています。 うまくいかなかった日は、自然と理由を探します。 入りが速かったのか。 途中で力んだのか。 アップの段階から動きにくかったのか。 でも、うまくいった日は、 「調子がよかったから」 で話が終わってしまうことがある。 それだと、次に同じように走りたいとき、何を意識すればいいのか分かりません。 たとえば、練習後に振り返るとき。 「今日は余裕がありました」 という感想が出たとします。 そこで、 「どのあたりまで余裕があった?」 と聞いてみる。 最初から最後までなのか。 前半だけなのか。 最後の一本で、前より余裕があったのか。 同じ「余裕があった」でも、中身は違います。 さらに、 「いつもと変えたことはあった?」 と考えてみる。 アップを丁寧にできた。 最初に周りへついていきすぎなかった。 途中で肩の力を抜くことを思い出した。 こうしたことが、一つでも出てくると面白い。 「調子がよかった」 という一言の中に、自分でできたことが見えてくるからです。 もちろん、それが本当に結果につながったのかは、一回では分かりません。 たまたまうまくいったのかもしれない。 他にも理由があったのかもしれない。 だから、 「これをやれば絶対うまくいく」 と決めつける必要はありません。 次の練習でも、少し意識してみる。 そのうえで、 「同じようにできたか」 「今日は何が違ったか」 をまた考える。 それくらいの繰り返しでいいと思います。 僕は、選手にきれいな答えを言ってほしいわけではありません。 指導者が喜びそうなことを言えたら合格。 そんな振り返りにはしたくない。 「よく分からないけど、今日は足が動いた」 でもいいです。 そこから、 「動いたって、どんな感じ?」 と一緒に考えればいい。 一歩目が出やすかったのか。 後半までリズムが変わらなかったのか。 いつもほど力を入れなくても進めたのか。 うまく説明できなくても、少しずつ言葉を探す。 その時間に意味があると思っています。 中学生は、まだ自分の感覚を整理している途中です。 大人だって、自分の体のことを全部説明できるわけではありません。 僕自身、走っていて、 「今日はなんとなく重いな」 で終わりそうになることがあります。 だから、最初から細かい分析を求めすぎない。 まず一つだけ。 「前の練習と違ったところは?」 それなら、話し始めやすいかもしれません。 練習後に長く反省会をすることが目的ではありません。 たくさん書いたからいい。 専門的な言葉を使えたからいい。 そういう話でもないです。 自分の中で起きたことを、一つでも自分でつかむ。 そのために言葉を使う。 順番としては、こっちだと思っています。 そして、うまくいったことを振り返ると、練習メニューの見え方も変わります。 今日はどこを意識する練習だったのか。 実際には、どこまでできたのか。 前に取り組んだことを使えたのか。 タイムだけを見ていると、気づかないことがあります。 記録は同じでも、後半の走り方が違うかもしれない。 前より余裕を残して終われたかもしれない。 苦しくなったところで、一つだけ意識を戻せたかもしれない。 そういう変化も、自分の言葉にしてみると残ります。 「前はできなかったけど、今日はできた」 それは、次の練習へ向かう材料になると思うんです。 逆に、タイムがよかったからといって、全部がよかったことにする必要もありません。 前半はうまく走れた。 でも、最後は少し力んだ。 その両方があっていい。 成功か失敗かの二つに分けると、自分の走りの細かいところが見えなくなってしまいます。 一回の練習の中にも、できたことと、まだ難しいことがある。 それをそのまま受け取れるようになりたいです。 「そんなに考えたら、走るのが難しくならない?」 と思う人もいるかもしれません。 僕も、毎回全部を分析する必要はないと思っています。 走り終わって気持ちよかった。 それだけの日があってもいい。 ただ、何か一つ感覚が残った日は、流してしまう前に言葉にしておく。 「今日は、入りを落ち着かせたのがよかった気がする」 それくらいでも十分です。 次に走るとき、 「今日も最初は落ち着いていこう」 と思い出せる。 それだけで、前の練習と次の練習がつながります。 指導者が毎回横にいなくても、自分で考えられるようになる。 僕は、そこを大事にしたい。 陸上競技では、走り出したら自分で判断する場面がたくさんあります。 今のペースはどうか。 どこで力んでいるか。 何を意識し直すか。 自分の感覚を知る時間は、その判断の準備にもなると思っています。 失敗から学ぶことは、もちろん大切です。 でも、成功した日にも、次へ持っていけるものがあります。 喜ぶ。 少し振り返る。 次に試すことを一つ残す。 難しい言葉はいりません。 「今日はよかったね」 そのあとに、 「何がよかったと思う?」 ともう一つだけ聞いてみる。 うまくいった日を、いい思い出だけで終わらせない。 次の自分を助ける経験として残していく。 そんな振り返りを、選手たちと積み重ねていきたいと思っています。
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@runteache
1 day ago
「今日は走りたくない」 そんな日は、昔の自分なら無理して走っていました。 でも最近は、むしろこう考えています。 やる気がないのは、怠けではなく、体からの「休め」というサインかもしれない。 30歳を超えてから、少しずつそう思うようになりました。 仕事でかなり疲れている日。 ストレスが溜まっている日。 子どもがなかなか寝なくて、寝かしつけで睡眠不足の日。 正直、 「今日は走るより寝たい」 と思う日は普通にあります。 少し前までの自分は、そんな日でも走る方を選ぶことが多かったです。 予定しているから。 走らないと落ち着かないから。 休んだら弱くなるような気がするから。 でも、年齢を重ねて、以前より疲労が抜けにくいと感じるようになりました。 一時期、体調を崩しやすい時期もありました。 それが本当に疲労のせいだったのかは分かりません。 ただ、ランニングと体調を両立していくなら、 「頑張って走る」だけではなく、「積極的に休む」ことも必要なんだ と思うようになりました。 最初は、休むことに罪悪感もありました。 でも今は、 休むことも回復というトレーニングの一つ と考えています。 しかも、走らないからといって、ゼロにする必要もありません。 自分の場合は、 ストレッチをする。 普段やっている簡単な筋トレをする。 日によっては食事を少し調整する。 ほんの少しでも、 「今日はこれをやった」 と思えるものを残します。 走るか、何もしないか。 その二択にしない。 これだけで、気持ちはかなり楽になります。 そもそも、自分は市民ランナーです。 仕事もある。 家庭もある。 子育てもある。 その中で趣味として走っています。 だからこそ、 趣味のランニングのせいで、自分を必要以上に追い込んで苦しくなるのは、本末転倒だと思っています。 もちろん、 「やる気がない=全部休めばいい」 という話ではありません。 単純に面倒なだけの日もある。 少し走り始めれば、気持ちが乗る日もあります。 だから、全部を「休めのサイン」にしてしまう必要はない。 でも、 仕事で疲れ切っている。 寝不足が続いている。 体が重い。 そんな状態なのに、 「予定していたから」 という理由だけで無理をする必要もないと思います。 昔の自分に言うなら、 たぶんこうです。 やる気がないことは、悪いことじゃない。 ときには、 体が「今日は休もう」と教えてくれているのかもしれない。 走る日だけが、ランニングを積み上げている日ではない。 休んで、回復して、また走る。 それも長く続けるための大事な一日だと思っています。
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@runteache
2 days ago
「設定タイムを守れなかった=ダメな練習」 昔の自分は、かなり本気でそう思っていました。 でも今は、むしろ逆です。 市民ランナーにとっては、 設定タイムを守る力より、設定タイムを変えられる力のほうが大事な日もある。 最近は、そんなふうに思っています。 もちろん、最初に前提を置いておきます。 これは、すべてのランナーに当てはまる話ではありません。 かなり高いレベルで競技として取り組んでいる人。 例えば、マラソンで3時間を切るようなレベルで、本気で記録を狙っている人。 そういう人たちにとっては、設定タイムや練習の再現性はかなり重要になってくると思います。 自分が言いたいのは、そこではありません。 自分のような中級者くらいの市民ランナー。 仕事がある。 家庭もある。 体調も毎日同じではない。 暑い日もある。 雨の日もある。 そんな中で走っている人が、 「今日はキロ4分30秒で走ると決めたから」 「今日はこの本数を絶対にやらないと」 と、設定に必要以上に縛られる必要はないんじゃないか。 むしろ、 設定タイムが自分を苦しめるものになっているなら、一度疑ってみてもいい。 そう思うようになりました。 自分が一番、設定タイムに追われていたのは学生時代です。 中学生、高校生の頃は、かなりシビアに設定と向き合っていました。 当然、陸上競技として取り組んでいるので、それ自体が悪いことだとは思いません。 むしろ必要だったと思います。 監督や顧問の先生と相談しながら、 「今日はこのタイムで」 「この本数をこのペースで」 と設定を決める。 そして、その設定をクリアすることを一つの目標にする。 今振り返っても、それは競技者として大事な経験でした。 ただ、設定を守れなかった日は結構苦しかった記憶があります。 単純に、 「今日は走れなかった」 だけではありませんでした。 自分自身が悔しい。 力不足を感じる。 それに加えて、 自分に期待して設定を考えてくれた指導者に対しても、 「応えられなかったな」 みたいな感覚があったんですよね。 だから、設定タイムという数字以上に、 そこには結構いろいろな感情が乗っていました。 その感覚を持ったまま社会人になって、市民ランナーになりました。 でも、学生時代と社会人では前提が違います。 仕事があります。 疲れて帰ってくる日もあります。 睡眠が足りない日もあります。 どうしても体調が優れない日もある。 夏なら暑さもかなり影響します。 雨が降ることもあります。 家庭の予定が変わることもあります。 それなのに、 毎回同じ身体。 毎回同じ条件。 毎回同じ設定。 で走れるはずがありません。 考えてみれば当たり前なんですが、昔の自分はそこをあまり柔軟に考えられていなかった気がします。 設定を決めた。 だからやる。 できなかった。 だからダメ。 かなり単純でした。 今は、もう少し複雑に考えています。 今日は仕事で疲れている。 気温が高い。 身体が重い。 少し違和感がある。 だったら、 ペースを少し落とす。 本数を減らす。 ジョグに変える。 場合によってはやめる。 そういう判断もします。 もちろん、 「ちょっと面倒だから今日はやめよう」 を毎回繰り返していたら、単なる甘えになってしまう。 だから、自分に甘くなりすぎないようには意識しています。 でも、 設定を変える=逃げ ではないと思っています。 むしろ、 その日の自分を見ながら調整する。 これは、市民ランナーとして長く走るために必要な能力なんじゃないかと思います。 実際、この考え方になってから、精神的にはかなり楽になりました。 「今日は設定を守れなかった」 というだけで、自分を責めることが減りました。 それ以上に大きいのは、オーバートレーニング気味になることが減ったことです。 これはあくまで自分の肌感覚ですが、昔よりも怪我や痛みは減ったように感じています。 以前は、速さを求めるあまり、結構ギリギリまで追い込んでいた時期もありました。 今だったら、 「今日はここまででいい」 と止められる場面でも、 昔ならもう一本いっていたかもしれません。 もう少しペースを上げていたかもしれません。 その一本が強くしてくれる日もあります。 でも、その一本が次の練習を壊す日もあります。 市民ランナーになってから思うのは、 一回の練習を完璧にすることより、また次も走れる状態で終えることのほうが大事な場合もある。 ということです。 ランニングをしていると、どうしても数字が気になります。 タイム。 距離。 ペース。 心拍。 設定。 数字は分かりやすいし、成長も感じやすい。 だから、数字を追いかけること自体は悪くありません。 自分だって、速くなりたいです。 記録も狙いたい。 設定をクリアできた日は嬉しい。 でも、 数字は自分を強くするための道具であって、 自分を苦しめるためのルールではない。 そこは忘れたくないなと思っています。 設定タイムは目標。 でも、絶対ではない。 その日の身体や生活を見ながら、 必要なら変えていい。 そして、 設定を変えたからといって、その練習の価値がなくなるわけでもない。 むしろ、 無理をせず、 また翌日も走れて、 1週間後も走れて、 1か月後も走れている。 そういう積み重ねのほうが、結果的に自分を遠くまで連れていってくれることもあると思います。 学生時代の自分に、今の自分が言葉をかけるなら、 こう言うと思います。 速さを追い求めることは理想だし、かっこいい。 でも、 それが王道とは、必ずしも限らない。 市民ランナーになった今だからこそ、 速さだけではなく、 長く走ること。 無理なく続けること。 生活の中でランニングを楽しむこと。 そこにも価値があると思えるようになりました。 設定タイムを守れなかった日。 それだけで、 「今日はダメだった」 と決めなくていい。 今日は今日のベストを選べたのか。 その視点で練習を振り返ってみると、 ランニングはもう少し楽になるんじゃないかなと思っています。
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@runteache
3 days ago
頑張っているのに、なかなか記録が伸びない。 そんな選手に対して、自分はあまり簡単に、 「大丈夫、そのうち伸びるよ」 とは言わないようにしています。 もちろん、安心させたい気持ちはあります。 実際、自分は指導している約30人の生徒を見ながら、 「時間をかけて練習していけば、多くの選手は少しずつ伸びていく」 と思っています。 でも、それを根拠もなく言葉にするだけでは、子どもには届かないこともある。 むしろ大事なのは、 「今すぐ結果が出なくても、ここから伸びる可能性はちゃんとある」 という景色を、一緒に見せてあげることなんじゃないかなと思っています。 自分が指導している陸上部には、いろいろな選手がいます。 全国大会まで進む選手もいる。 もっと上の大会を目指して、本気で記録を狙っている選手もいる。 一方で、陸上競技を始めたばかりの子もいる。 なんとなく部活動に入ったという子もいる。 同じチームの中でも、 競技力も違う。 経験も違う。 成長のスピードも違う。 そして何より、 陸上競技に向けている熱量も違います。 だから、全員に同じ言葉をかければいいわけではない。 ここが、指導していて本当に難しいところだと思っています。 特に悩むのが、 ちゃんと頑張っているのに、なかなか結果が出ない選手 です。 練習には来ている。 メニューにも取り組んでいる。 本人なりに一生懸命やっている。 でも、記録が思うように伸びない。 周りを見ると、どんどん速くなっている選手がいる。 そうなると、子ども自身はやっぱり焦ります。 「自分は伸びないのかな」 「向いてないのかな」 そんなふうに感じることもあると思います。 でも指導する側から見ると、 そこまで焦らなくてもいいと思えることが結構あります。 中学生は、まだ発達の途中です。 人によって体の成長も違う。 伸びるタイミングも違う。 中学生のうちに一気に伸びる人もいれば、 高校に入ってから伸びる人もいる。 大学や、その先で伸びる人だっている。 だから、 今の記録だけで、その人の可能性を決める必要はない。 自分はそう思っています。 自分自身の経験を話すこともあります。 「自分も高校時代に伸びたよ」 とか、 「陸上競技って、人によって伸びる時期は違うよ」 とか。 そしてよく伝えるのが、 「今は、その可能性が広がるための土台を作っている時期なんじゃない?」 ということです。 今日の練習が、明日の自己ベストに直接つながるとは限らない。 でも、 今やっていることが、 数か月後。 一年後。 もっと先で、 突然つながることもある。 だからこそ、 今は腐らずに、 伸びるための土台を作っていこう。 そんな話をすることがあります。 こういう言葉をかけた瞬間に、 「あ、届いた」 と確信することは、正直ほとんどありません。 子どもは、 「分かりました!」 と劇的に変わるわけでもない。 でも、その後を見ていると、 少し行動が変わることがあります。 以前より計画的に練習するようになったり。 ちょっと余裕を持って取り組めるようになったり。 結果が出ないことだけに目を向けず、 今できることに向き合えるようになったり。 そんな姿を見ると、 「あの時の言葉が、少しは届いていたのかな」 と思うことがあります。 自分は、そういう瞬間が結構うれしいです。 そしてこれは、 陸上競技だけの話ではないんだろうなと思います。 人を育てるということは、すぐに変化を求めることではない。 言葉を渡して、 あとは本人がどう受け取るかを待つ。 そんな時間も必要なんだと思います。 ただ、 安心させることだけが指導でもない。 ここも最近かなり意識しています。 「大丈夫だよ」 「焦らなくていいよ」 それだけを言い続けていても、 成長につながらないことがあります。 だから、 安心を与えながら、 頑張れば届きそうな目標を一緒に考える。 そして時には、 「もうちょっといけるんじゃない?」 と背中を押す。 少し高いところから手を伸ばして、 引っ張り上げるような関わりも必要だと思っています。 安心だけでもダメ。 プレッシャーだけでもダメ。 その子の状態を見ながら、 安心と少しの負荷をどう組み合わせるか。 ここは、指導者としてすごく大事な部分なんじゃないかなと思っています。 もちろん、その加減は全員同じではありません。 強く背中を押したほうが動ける子もいる。 少し距離を取ったほうがいい子もいる。 言葉をかけ続けたほうがいい子もいれば、 今はあえて見守ったほうがいい子もいる。 自分は、 見捨てることはしないけど、適切に距離を取ることはある。 という感覚を大事にしています。 必ずしも、優しい言葉をかけ続けることだけが正解ではない。 時には、 自分で考える時間も必要です。 少し悔しい思いをすることも必要かもしれない。 その距離感は、本当に難しいです。 「どうやって判断しているんですか?」 と聞かれたら、 正直、明確なマニュアルはありません。 毎日接している中で、 顔を見た時になんとなく分かる。 そのくらいの感覚的な部分もあります。 それはたぶん、 日々の関わりの積み重ねなんだと思います。 そしてもう一つ、難しいのが、 全員が高いモチベーションを持っているわけではないということです。 部活動なので、 「全国大会を目指したい」 という子もいれば、 「友達が入ったから」 「なんとなく入ってみた」 という子もいます。 チームとしては、 一つの目標に向かうことは大切です。 でも、 その目標への距離や熱量は、全員同じではない。 だからこそ、 チームとして共有する目標は持ちながら、 個人への声かけは、その子に合わせて変える。 そこは意識しています。 全員を同じ熱量まで無理やり引き上げることが目的ではない。 でも、 「あなたは別にどうでもいいよ」 と見捨てることもしない。 その子なりに、 もう一歩前へ行ける場所を探す。 そこに言葉をかける。 自分は、そんな指導ができたらいいなと思っています。 結局、自分が指導でかなり大事にしているのは、 言葉で人を育てること なのかもしれません。 もちろん、言葉だけで選手は速くなりません。 練習も必要です。 技術も必要です。 体を作ることも必要です。 でも、 同じ練習をしていても、 「自分は無理だ」 と思いながらやるのと、 「今は土台を作っている」 と思いながらやるのでは、 見える景色が全然違うと思います。 指導者の一言で、 選手の見ている景色を少し変えられることがある。 だからこそ、 自分は言葉を大切にしたい。 根拠なく、 「絶対大丈夫」 とは言わない。 でも、 今だけを見て可能性を閉じるような言葉も使わない。 「まだ分からないよ」 「ここから伸びるかもしれない」 「今は、そのための土台を作っていこう」 そんな言葉を渡し続けたい。 頑張っているのに、なかなか結果が出ない時期は、 選手にとって苦しいと思います。 でも、 成長って、いつも右肩上がりではない。 止まっているように見える時間の中で、 実は次に伸びるための準備をしていることもある。 だからこそ、 指導者が先に可能性を諦めない。 その選手が、 「もう少しやってみようかな」 と思える言葉を探す。 自分は、 選手の可能性を保証することはできなくても、可能性を信じ続けられる言葉は渡せる。 それが、指導者にできることの一つなんじゃないかなと思っています。
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@runteache
4 days ago
家族から応援される市民ランナーは、ランニングを一番にしない。 ちょっと矛盾して聞こえるかもしれません。 でも最近、自分はかなり本気でそう思っています。 速いから応援されるわけじゃない。 毎日走っているからでもない。 大会で結果を出しているからでもない。 むしろ、 ランニングより先に、自分が家庭の中で果たすべき役割をちゃんと果たしている人。 そういう人ほど、家族から自然に応援されるんじゃないかなと思います。 自分にとってランニングは、もちろん大切な趣味です。 走ることが好きだし、できるなら練習もしたい。 でも、家庭ができて、子どもが生まれてからは、 ランニングが生活の優先順位で一番になることはない と思うようになりました。 家事がある。 育児がある。 家庭の中で、自分がやるべきことがある。 そういうことを「やらされている」と考えるのではなく、当たり前の役割としてやる。 その上に、趣味としてのランニングがある。 今は、そんな感覚です。 たとえば、走りに行くとき。 「ちょっと走ってくるね」 と言ったときに、 「分かった」 と普通に送り出してもらえる。 これって、当たり前のようで、実はすごくありがたいことだと思っています。 でも、それが成立するのは、 普段、自分がやるべきことをやっているからこそだとも思っています。 自分の役割を何も果たしていない。 家のこともやらない。 子どものことも任せっぱなし。 それなのに、 「自分は走りたいから行ってくる」 では、やっぱり違う。 これはランニングに限らず、お互い様だと思います。 自分だけが好きなことを優先するのではなく、 まず生活の土台をつくる。 その上で、 「じゃあ少し走ってくるね」 と言える。 自分は、そんな関係でランニングを続けていきたいと思っています。 もちろん、自分も毎回うまくできているわけではありません。 実際、 「このくらいの時間には帰るね」 と言って走りに出たのに、予定より練習を長くしてしまったことがあります。 もう少し走りたい。 せっかくだからここまでやりたい。 そう思っているうちに、予定より帰る時間が遅くなる。 しかも、そこで練習をやりすぎて体が疲れる。 その結果、家に帰ってすごく眠くなったり、翌朝起きられなかったりする。 そうなると、 ランニングをしたことで、家庭生活に影響が出てしまう。 これは自分自身、反省したことがあります。 走っている本人からすると、 「ちょっと長く走っただけ」 なのかもしれません。 でも家族からすれば、 「この時間に帰るって言ってたよね」 となる。 さらに、その疲労まで翌日に持ち越してしまったら、影響は練習時間だけではありません。 だから最近は、 どれだけ走れるかではなく、どこまでなら生活に影響を出さずに走れるか ということも意識しています。 これも、市民ランナーに必要な自己管理なんじゃないかなと思っています。 市民ランナーって、頑張ろうと思えばいくらでも頑張れます。 もっと距離を走りたい。 もっと速くなりたい。 もう一本やりたい。 あと30分走りたい。 そういう気持ちは、自分にもあります。 でも、その「もう少し」が、 家族との約束を崩すものになってしまったり、 帰宅後に何もできなくなるほど自分を疲れさせるものになってしまったら、 一度考えたほうがいい。 ランニングは、生活を豊かにするためにやっているはずです。 それなのに、 ランニングのせいで周りの人の負担が増えてしまったら、少し本末転倒なんじゃないか。 自分はそう思っています。 「でも、本気で記録を狙うなら、ある程度は家族に協力してもらわないと無理じゃない?」 そう思う人もいるかもしれません。 その通りだと思います。 家族の協力が必要な場面はある。 長い距離を走る日もある。 大会に出れば、一日家を空けることもある。 だからこそ、自分は、 応援してもらえる関係を普段からつくっておくこと が大事なんじゃないかなと思っています。 普段は家庭のことを一緒にやる。 約束した時間はできるだけ守る。 無理な練習をして、その後の生活に影響を残さない。 そういう小さな積み重ねがあって初めて、 「大会頑張ってきてね」 「今日は走ってきていいよ」 と言ってもらえるんじゃないでしょうか。 応援って、 レース当日に突然生まれるものではない気がします。 普段の生活の中で、少しずつつくられていくものなんだと思います。 そして今、自分にはまだ小さい子どもがいます。 だから、以前よりも強く思うことがあります。 この時期の子どもと過ごせる時間は、本当に短い。 大きくなってから、 「あの頃もっと一緒にいたかったな」 と思っても、その時間には戻れません。 ランニングは、この先もできます。 年齢を重ねても続けられる。 またしっかり走れる時期が来るかもしれない。 でも、 今のこの小さな姿の子どもと過ごせる時間は、今しかない。 だから今の自分にとっては、 ランニングよりも、 子どもと一緒に過ごす時間を選ぶことが、自分の役割なんだ と思っています。 もちろん、走ることを諦めるわけではありません。 走れる時間があれば走る。 工夫できるなら工夫する。 でも、 「走れるのに走らなかった」 ではなく、 「今日は、今しかできないことを選んだ」 と考えたい。 それも、自分にとっては大事な選択です。 家族から応援される市民ランナーは、何が違うのか。 自分なりに考えると、 やっぱり、 ランニングを一番にしないこと なんじゃないかなと思います。 少し皮肉に聞こえるかもしれません。 でも、 家庭を大切にする。 自分の役割を果たす。 約束を守る。 ランニングが生活に悪影響を残さないように自己管理する。 その上で、自分の好きなランニングを楽しむ。 そういう姿を見ているからこそ、 家族も自然と応援してくれるのかもしれません。 速いランナーになることも楽しい。 自己ベストを更新することもうれしい。 でも、 「頑張ってきてね」と送り出してもらえるランナーでいること。 それも、市民ランナーとして一つの大きな成功なんじゃないかなと思っています。 自分もまだまだ試行錯誤中です。 それでも今は、 走ることだけで人生を満たすのではなく、 大切な人との時間も守りながら、長くランニングを楽しんでいきたい。 そう思っています。
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run-teacher
@runteache
5 days ago
伸びる選手ほど、練習後によくしゃべる。 これ、陸上部の指導をしていてかなり感じることがあります。 もちろん、単純に「おしゃべりな子ほど伸びる」という意味ではありません。 大事なのは、 練習やレースのあとに、自分のことを自分の言葉で説明できるかどうか。 ここに、選手としての成長の差が出ることがあるなと思っています。 たとえば、練習後に、 「今日どうだった?」 と聞く。 すると、多くの選手はちゃんと答えてくれます。 でも、その答えには結構差があります。 「今日は調子よかったです」 「なんかダメでした」 「今日はきつかったです」 もちろん、これも立派な感想です。 調子という感覚も、選手にとっては大事です。 でも、伸びていく選手ほど、そこからもう一段深く話せることが多い。 「今日は前半は余裕があったけど、後半にフォームが崩れました」 「アップでいつもより体が動いていたから、最初からスピードに乗れました」 「この前やった練習が、今日のレースにつながった気がします」 そんなふうに、 “良かった”“悪かった”の中身を、自分なりに分解できる。 これができる選手は、やっぱり強いなと思います。 自分は指導するとき、 「今日の練習どうだった?」 だけで終わらせないようにしています。 もちろん、それも聞きます。 でも、そこから少しだけ深掘りする。 「今日うまくいったのは、何がよかったと思う?」 「どの練習が今日につながったと思う?」 「アップでは何を意識した?」 「途中で苦しくなったのはどこ?」 「逆に、今日できたことは何?」 そんなふうに、少しポイントを絞って聞いていきます。 なぜかというと、中学生って、まだ自分の感覚を全部きれいに言葉にできるわけではないからです。 「調子が悪かった」 という言葉の中にも、 実は、 足が重かったのか。 呼吸がきつかったのか。 緊張していたのか。 アップが足りなかったのか。 ペース配分がうまくいかなかったのか。 いろんなものが混ざっている。 だから指導者側が、 「それって、もう少し具体的に言うと何だろう?」 と一緒にほどいていく。 この作業が、実はすごく大事なんじゃないかなと思っています。 最初から上手に話せる必要はありません。 むしろ、最初はうまく話せなくて当然です。 中学生にいきなり、 「今日のパフォーマンスを自己分析してみて」 と言っても、そんなに簡単にはできません。 だから何ヶ月も、何年も、 少しずつ問いかける。 「今日のポイントは何だった?」 「今の感覚は?」 「何が原因だと思う?」 そうやって繰り返していく。 すると、少しずつ変わってきます。 学年が上がるほど、 自分の状態を具体的に話せる選手が増えてくる。 もちろん、全員が同じように話すわけではありません。 言葉にするのが得意な子もいれば、苦手な子もいる。 でも、うまく話せなくても、こちらから掘っていけばいい。 「それってどういうこと?」 「もう少し教えて」 「どのあたりからそう感じた?」 そうやって一緒に深めていく。 すると少しずつ、 自分の中で何が起きているのかを、自分で考えられるようになってくる。 ここが大きいと思っています。 自分が最近感じる変化の一つに、 子どもたちが、練習メニューの意味を考えるようになってきた というものがあります。 メニューを提示したとき、 ただ「やる」だけじゃなくて、 「今日の練習って、ここがポイントですよね」 みたいなことを話してくれる子がいる。 もちろん、自分から言わない子もいます。 でも、こちらから聞いてみると、 「ああ、ちゃんと考えてたんだな」 と思うことがある。 指導者が考えていることと、 選手が考えていることが、 少しずつ噛み合ってくる。 これって、かなり大事なことだと思っています。 なぜなら、 意味を理解してやる練習と、ただこなす練習は、同じメニューでも全然違う と思うからです。 今日は何のためにこれをやるのか。 どこを意識するのか。 自分のどんな課題につながっているのか。 そこまで理解して練習できる選手は、 一つ一つのメニューから得られるものも大きくなる。 そして、その土台にあるのが、 言葉にする力 なんじゃないかなと思っています。 「でも、言語化が上手い子だけが伸びるの?」 と思う人もいるかもしれません。 自分はそうは思いません。 言葉がきれいである必要はないです。 大人みたいに論理的に話せる必要もない。 むしろ、 「なんか後半きつかった」 「今日は脚がうまく回らなかった」 「最初だけは良かった気がする」 それくらいでもいい。 そこから始めればいい。 大事なのは、 自分の感覚を、そのまま流さないこと。 うまくいった。 うまくいかなかった。 そのどちらも、 「なんでだろう」 と一度考えてみる。 そして、綺麗じゃなくても、自分の言葉で外に出してみる。 それを繰り返す。 すると少しずつ、 自分の状態に気づけるようになる。 練習の意味を考えられるようになる。 次に何をすればいいかも見えやすくなる。 たぶん、ここに成長のヒントがあるんじゃないかなと思っています。 選手を見ていると、 本当に伸びる子ほど、 うまくいった日にもちゃんと話します。 「今日はよかったです」 で終わらない。 「何がよかったのか」 を考える。 逆に、うまくいかなかった日も、 「ダメでした」 だけで終わらない。 「何がダメだったのか」 を少しずつ探す。 だから、失敗も成功も、 次の練習につながっていく。 自分は、そこが強いなと思っています。 陸上競技って、結局かなり自分と向き合うスポーツです。 走っている最中に、 自分の代わりに誰かが動いてくれるわけではありません。 自分の体。 自分の感覚。 自分の判断。 それと向き合い続ける。 だからこそ、 自分自身のことを、自分で理解する力 が大事になる。 そして、その力を育てる一つの方法が、 練習後やレース後に、 自分の言葉で話してみること なんじゃないかなと思っています。 調子がいい日も。 練習がうまくいった日も。 思い通りにいかなかった日も。 綺麗にまとめなくていい。 上手に話そうとしなくていい。 とにかく一回、 「今日の自分はどうだった?」 と考えてみる。 そして、自分なりの言葉にしてみる。 それだけでも、次の一歩は変わるかもしれません。 伸びる選手ほど、自分のことをよく話せる。 正確には、 自分のことを、自分の言葉で考え続けられる選手ほど伸びる。 自分は、そんなふうに感じています。
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6 days ago
予定していた練習ができなかった日は、本当に「失敗」なのか? ランナーって、予定していた練習ができなかった日に、必要以上に落ち込むことがあると思います。 「今日は走れなかった」 「やるつもりだったのにできなかった」 「せっかく計画していたのに」 それだけで、なんとなく一日が失敗したような気持ちになる。 自分もそうです。 体が疲れているというより、むしろ心のほうにくることが多い。 「やりたかったな」 「ああ、できなかったな」 そんな感情が残る。 でも最近、少しずつ思うようになりました。 予定していた練習ができなかった日を、本当に“失敗”と呼んでいいんだろうか。 もちろん、毎回予定通りにできないのであれば、少し考えたほうがいいと思います。 時間の使い方が甘かったのかもしれない。 予定の立て方に無理があったのかもしれない。 そこは自分自身も、 「もう少しうまく管理できたかもな」 と反省します。 でも、そこで、 「今日の自分はダメだった」 まで行く必要はない気がしています。 たとえば、走る予定だったのに、仕事が長引いて走れなかった日。 以前だったら、 「今日の練習が一つ消えた」 と考えていました。 でも今なら、 「この時間で、何ができるだろう」 と少し考えるようになりました。 意外と仕事が前に進むかもしれない。 普段後回しにしていることが片づくかもしれない。 家族と過ごす時間が増えるかもしれない。 あるいは、何もしないことで心がリフレッシュするかもしれない。 そう考えると、 「練習できなかった時間」 ではなく、 「別のことに使える時間ができた」 とも言えるんですよね。 もちろん、 「じゃあ走れなくても全部OK」 という話ではありません。 自分自身、走りたいと思っているからこそ、 「できなかったな」 と残念に思います。 でも、その感情と、 「今日は失敗だった」 という評価は、少し分けて考えてもいいんじゃないかなと思っています。 自分はたまに、こういうふうにも考えます。 「今日は休めって言われてる日なのかもな」 ちょっと都合のいい解釈かもしれません。 でも、 「もし今日無理して練習していたら、怪我していたかもしれない」 そう考えると、少し気持ちが楽になります。 実際、それが本当かどうかは分かりません。 ただ、大事なのは、 起きてしまったことに対して、自分が次にどう考えるか だと思っています。 予定していた練習ができなかった。 その事実は変えられない。 だったら、 「ああ、最悪だ」 と一日引きずるより、 「じゃあ今できることは何だろう」 と考えたほうが、自分にとってはずっと前向きです。 これって、実はランニング以外にもつながる気がしています。 予定通りにいかないことって、生活の中では普通にあります。 仕事が長引く。 子どもの予定が入る。 体調が微妙になる。 天気が崩れる。 急に別の用事が入る。 市民ランナーは、ランニングだけをして生活しているわけではありません。 だから、予定通りにいかないことのほうがむしろ自然です。 それなのに、 「予定を守れなかった=失敗」 と毎回考えていたら、たぶんかなり苦しくなる。 だから最近は、 予定を守る力と同じくらい、予定が崩れた時に考え直す力も大事なんじゃないか と思っています。 走れないなら、筋トレをする。 筋トレもできないなら、ストレッチをする。 それも無理なら、今日は完全に休む。 あるいはランニングとは全く関係ないことをやる。 仕事を進める。 家族と過ごす。 早く寝る。 その時の自分にとって一番いい選択を考える。 これも一つのトレーニングだと思っています。 「予定をこなす力」だけじゃなく、「予定を組み替える力」を鍛える。 忙しい市民ランナーにとっては、こっちのほうが大事な場面も多いんじゃないでしょうか。 自分自身、昔よりも、 「今日走れなかった」 という出来事を引きずらなくなってきました。 もちろん少し残念です。 やりたかった練習ができなかったなら、それは悔しい。 でも、 「じゃあ今日は別の何を前に進めよう」 と考えられるようになった。 それだけでも、かなり気持ちは変わりました。 そして翌日、また走ればいい。 一回予定を外したくらいで、今まで積み上げてきたものが全部なくなるわけではありません。 むしろ、その日しっかり休んだことで、翌日の練習がよくなることだってある。 それなら、 予定通りにできなかった日は、“失敗した日”ではなく、“予定を組み替えた日” くらいに考えてもいいのかもしれません。 ただ、自分の中で一つだけ大切にしたいことがあります。 それは、 反省しないことと、前向きに捉えることは違う ということです。 毎回寝坊して走れない。 いつも予定を詰め込みすぎて時間がなくなる。 自分で変えられることまで、 「まあ仕方ないよね」 で終わらせるのは違う。 そこは、 「どうすれば次はできるかな」 と振り返ったほうがいい。 でも、反省したら、その後まで自分を責め続けなくていい。 次の一手を考える。 それで十分なんじゃないかなと思っています。 市民ランナーを続けていると、 うまく走れた日だけを「成功」にしたくなります。 距離を踏めた。 設定タイムを守れた。 予定通り練習できた。 もちろん、そういう日は嬉しい。 でも最近は、 予定通りいかなかった日に、自分なりの答えを見つけられたことも成功なんじゃないか と思うようになりました。 今日は走れなかった。 じゃあ、仕事を進めよう。 今日は疲れている。 じゃあ、休んで明日に備えよう。 30分しかない。 じゃあ、今できることをやろう。 そうやって、 「できなかった」で止まらず、「じゃあどうする?」に切り替えられること。 その力は、ランニングだけでなく、たぶんこれからの生活でも役に立つと思います。 だから、もし今日、 予定していた練習ができなかった人がいたら。 少し反省するところがあるなら、反省する。 そのうえで、 「じゃあ、この時間で何ができる?」 と考えてみる。 それだけでいいんじゃないでしょうか。 走れなかった一日は、 必ずしも失敗した一日ではありません。 予定が崩れた時に、次の作戦を考えられたなら、その日もちゃんと前に進んでいる。 今は、そんなふうに思っています。
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run-teacher
@runteache
7 days ago
子どもが生まれて、ランニングの「成功」の意味が変わった 以前の自分にとって、ランニングの成功はかなりシンプルでした。 自己ベストを更新できたかどうか。 ほとんど、それがすべてだったと思います。 レースで記録が伸びる。 今までより速く走れる。 その瞬間はすごく嬉しい。 逆に言えば、それ以外のことでは、そこまで大きな満足感を感じていなかった気がします。 練習をしっかりこなせた。 長い時間走れた。 朝気持ちよく走れた。 そういうことももちろんあったけれど、当時の自分にとっては、やっぱり「タイム」という数字が一番大きかった。 でも、子どもが生まれてから、その感覚が少しずつ変わりました。 今も、タイムが伸びたら嬉しいです。 自己ベストを更新したい気持ちもあります。 でも、それだけじゃなくなった。 今日はちゃんと練習できた。 久しぶりに長く走れた。 気持ちよく走れて、少しリフレッシュできた。 そういうことにも、以前よりちゃんと「成功」を感じられるようになりました。 最近、久しぶりに朝5時前くらいから走った日がありました。 まだ空気が少し静かで、朝日を横目に見ながら走る。 その時間帯に走っている他の市民ランナーの姿も見えて、 「ああ、なんか戻ってきたな」 と思いました。 そして、 「やっぱり自分って、走るのが好きなんだな」 と改めて感じました。 昔だったら、その日のペースや距離のほうを先に見ていたかもしれません。 でも今は、そういう感覚そのものが結構うれしい。 走れている時間を楽しめるようになったこと自体が、自分の中では大きな変化です。 もちろん、ここまでずっと穏やかだったわけではありません。 子どもが生まれてから、一歳になるくらいまで。 夜なかなか寝なかったり、生活のリズムが安定しなかった時期は、本当にほとんど走れませんでした。 少し走れるようになったと思ったら、二人目が生まれて、また同じような生活になる。 正直、しんどかったです。 本当は走りたい。 でも、走れない。 「なんで走れないんだろう」 と思う日もありました。 一方で、 「今は育児が第一だよね」 と自分に言い聞かせる。 でも心のどこかには、 「走りたいな」 という気持ちがずっと残っている。 その繰り返しでした。 たぶん、子育てをしながら趣味を続けている人なら、この葛藤は少し分かってもらえるんじゃないかなと思います。 やりたいことがある。 でも、今はそれを最優先にはできない。 頭では分かっているけど、感情はそんなに簡単に切り替わらない。 自分もずっとそんな感じでした。 少しずつ前向きになれたのは、 「子どもが小さいこの時間は、本当に短いんだ」 と思えるようになってからです。 今しかない時間。 あとから戻ろうと思っても、戻れない時間。 それなら、今はこの時間を大切にしよう。 そう思えるようになりました。 そしてもう一つ、自分の中で大きかったのが、 ランニングは、今しかできないものではない ということでした。 もちろん、年齢によって体は変わります。 でもランニングは、比較的長く続けられるスポーツです。 今すぐすべてを取り戻そうとしなくてもいい。 今は家庭にしっかり向き合う時期。 また走れる時期は来る。 そう思えるようになったことで、かなり気持ちが楽になりました。 以前の自分は、 「今走れない」 という事実だけを見て、焦っていたのかもしれません。 でも今は、 「今はそういう時期なんだ」 と少し俯瞰して考えられるようになりました。 これは、ランニングそのものにも少しつながっている気がします。 走っていて、 「今日はきついな」 と思う瞬間がある。 以前なら、そのきつさにそのまま飲み込まれていたかもしれません。 でも今は、 「今、自分はしんどい時間にいるんだな」 と少しだけ客観的に見ることができる。 そうすると、不思議と焦らなくなることがあります。 ずっと苦しいわけじゃない。 今はこういう時間なんだ。 人生でも、ランニングでも、同じなのかもしれません。 子どもが生まれる前の自分にとって、 ランニングの成功は、ほぼタイムでした。 今の自分にとっては、 タイムも大事。 でも、それだけじゃない。 走れたこと。 続けられたこと。 気持ちよかったこと。 リフレッシュできたこと。 そして、 生活の中にランニングがあること。 そういうもの全部を含めて、成功だと思えるようになりました。 昔の自分に何か一言伝えるなら、 ランニングや陸上の楽しさは、タイムだけじゃないよ と言いたいです。 記録を追うことは楽しい。 自己ベストを更新する喜びも大きい。 でも、その先にも楽しみがあります。 朝日を見ながら走る時間。 久しぶりに走れたうれしさ。 忙しい生活の中で、自分のための時間を少し作れた満足感。 そして、走ることが人生の一部として残り続けていること。 そういうものも、ランニングがくれる大きな喜びなんじゃないかと思います。 子どもが生まれて、走れなくなった時期があったからこそ、 自分はようやくそこに気づけたのかもしれません。 ランニングは、人生を削って続けるものじゃなくて、人生を豊かにするもの。 今は、そんなふうに思っています。
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@runteache
8 days ago
速くなりたい選手ほど、 「休むのが怖い」と思ってしまうことがあります。 でも今はむしろ、 休める選手ほど、長く伸びる。 そう思っています。 自分も昔は、 「休んだら弱くなるんじゃないか」 という感覚がありました。 特に社会人になってマラソンを始めてからです。 たくさん走る。 距離を踏む。 練習を積み重ねる。 それが速くなるためには大切だと思っていたので、予定していた日に走れなかったり、完全に休んだりすると、 「今日は何もできなかったな」 と少し罪悪感がありました。 でも、不思議なことがありました。 そういう日に限って、翌日の練習でよく走れることがあるんです。 体が軽い。 いつもより動く。 思った以上にペースが上がる。 そんな経験を何度かすると、 「あれ、休むって別に悪いことじゃないんだな」 と思うようになりました。 今では「休む勇気」という言葉さえ、少し違う気がしています。 自分の中では、 休む日は、別の作戦を選ぶ日。 そんな感覚です。 走ることだけがトレーニングではありません。 筋トレをしてもいい。 ストレッチをしてもいい。 体のケアをしてもいい。 完全に休んでもいい。 ランニングをしないことでできた時間を、仕事や家族との時間に使ってもいい。 そう考えると、 「今日は走れなかった」 ではなく、 「今日は今できることを選んだ」 と捉えられるようになります。 この考え方は、中学生の陸上競技を指導するようになってから、さらに強くなりました。 やっぱり、頑張りすぎて怪我をしてしまう選手はいます。 もっと速くなりたい。 周りも練習している。 自分だけ休みたくない。 その気持ちはよく分かります。 特に真面目な選手や、向上心の強い選手ほど、無理をしてしまうことがあります。 でも、怪我をして何週間、何か月と練習できなくなれば、そこで積み重ねは止まります。 一方で、 しっかり練習する。 必要なところでは休む。 そして、また練習する。 このサイクルを長く続けられる選手は強い。 指導する立場になって、 一回のすごい練習より、練習を続けられることのほうが大事なんじゃないか。 そう思うことが増えました。 もちろん、 「疲れたら、すぐ休めばいい」 という話ではありません。 ここが難しいところです。 普段から接している選手なら、 「今日は少し違うな」 と表情や動きから感じることがあります。 明らかに疲れている。 体が重そう。 いつもの元気がない。 こういう日は、休ませたほうがいいかもしれない。 でも一方で、 単純に練習がちょっと嫌だ。 今日は気持ちが乗らない。 きついメニューだから憂鬱。 そんな日まで全部、 「じゃあ休もう」 にしてしまうのも違うと思っています。 ときには、 「今日は少し頑張ってみよう」 と背中を押したほうが、その選手の成長につながる日もある。 だから指導者として大切なのは、 休ませるべき疲労なのか。 乗り越えたほうがいいしんどさなのか。 その見極めだと思っています。 休むことが当たり前になりすぎてもいけない。 でも、 無理をすることが正義になってもいけない。 このバランスは本当に難しいです。 ただ、一つだけはっきり言えることがあります。 休むことと、サボることは同じではありません。 必要な休養は、次の練習につなげるための準備です。 自分自身も昔は、 「今日も距離を積めなかった」 と考えていました。 でも今は、 「じゃあ今日は何ができる?」 と考えます。 ストレッチをする。 補強をする。 完全に休む。 ランニングとはまったく違うことに時間を使う。 その時の自分に必要なものを選ぶ。 それもトレーニングの一部だと思っています。 特に市民ランナーは、ランニングだけをして生活しているわけではありません。 仕事がある。 家庭がある。 子育てもある。 体が疲れている日もあるし、どうしても時間が取れない日もあります。 そんな中で毎回、 「予定通り走れなかったから失敗」 と思っていたら、ランニングそのものが苦しくなってしまいます。 だから大切なのは、 今できないことではなく、今できることを考えること。 たぶん、本当に強い人は、 毎日無理をして練習できる人ではありません。 頑張る日と休む日を、その時の自分に合わせて選べる人。 そんな人なんじゃないかと思っています。 一日休んだからといって、今まで積み上げたものが全部なくなるわけではありません。 むしろ、 しっかり休んだからこそ、翌日にいい練習ができることもある。 そして何より、 怪我をせず、長く練習を続けられる。 結局、それが一番大きい。 昔の自分に一言かけるなら、 「休むのも練習の一つだよ」 と伝えたいです。 そして今は、もう一つ。 今できることを考えられる力こそ、長く成長していくための力。 そう思っています。
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9 days ago
数年前、一番よく走れていた頃より、今の自分は7〜8kg重い。 ランナーとして考えると、 「さすがに増えすぎたかな」 と思う数字です。 でも最近は、 「軽ければ軽いほど速い」という考え方は、少し違うんじゃないか と思うようになりました。 お盆休みに妻の実家や自分の実家へ帰省して、普段より食べる量が増えました。 市民ランナーなら、体重が少し増えただけで、 「重くなったな」 「これじゃ速く走れないかな」 「また絞らないと」 と思った経験がある人も多いんじゃないでしょうか。 自分も昔は、今よりずっと気にしていました。 記録を狙ってストイックに走っていた頃は、甘いものやカロリーの高いものを食べると少し罪悪感がありました。 それでも食べたいものは食べて、 「食べた分、走ればいいか」 くらいに考える。 むしろ、それを練習のモチベーションにしていました。 「これだけ走ったから今日はご褒美」 そんな感覚です。 当時は、それでうまくバランスが取れていたんだと思います。 でも、子どもが生まれて生活が変わると、そう簡単にはいかなくなりました。 走りたい日に走れるとは限らない。 まとまった時間も取れない。 「食べたから、その分走ろう」 と思っても、走れない日もあります。 そんな生活になってから、体重への考え方も少し変わりました。 家族で焼肉を食べる。 ビールを飲む。 帰省して、みんなでいろいろなものを食べる。 以前なら、 「ちょっと食べすぎたかな」 と体重のことを考えていたかもしれません。 でも今は、 「これは家族と過ごせる大切な時間だよな」 と思えます。 だからといって、 「ランナーは体重なんて気にしなくていい」 と言いたいわけではありません。 自分も今でも体重は測ります。 体重は、ランニングや体調を見る上で大事な数字の一つです。 ただ、 体重だけで、自分の状態を全部判断しなくてもいい。 そう思っています。 学生時代の後半くらいから、少しずつ感じていたことがあります。 それは、 「体重が軽い=速い、ではない」 ということ。 もちろん、体が軽いことが有利になる場面はあります。 でも、ものすごく絞れているように見えるからといって、必ずしも速いわけではありません。 逆に、 「見た目としてはそこまで細くないな」 と思う人が、ものすごく速く走っていることもある。 特にマラソンでは、そう感じる場面が結構あります。 そこで思うのは、 ランナーに必要なのは、できるだけ軽い体重ではなく、自分が一番動ける体重なんじゃないか。 ということです。 いわゆる「ベスト体重」。 自分の場合、その目安にしているのは、 数年前、一番よく走れていた時期の体重 です。 今はそこから7〜8kgほど重い。 数字だけ見れば、かなり増えています。 でも、 「早く7〜8kg落とさなきゃ」 とは思っていません。 当時と今では生活が違うからです。 走れる時間も違う。 仕事も違う。 家庭環境も違う。 食事の場面も違う。 全部同じ条件ではありません。 だから、 過去の体重に、今すぐ無理やり戻す必要はない。 そう考えています。 ただ一方で、 「もう戻れない」 とも思っていません。 ここは自分の中で結構大事です。 またしっかり走れる時期が来て、 練習量が少しずつ増えて、 食事とのバランスも整ってくれば、 体重だって変わっていく。 必要なら戻せる。 これはマラソンの記録も同じだと思っています。 以前走れていたタイムから離れてしまったとしても、 「もう二度と戻れない」 と決まったわけではない。 また少しずつ走ればいい。 体重も同じです。 だから最近は、 「体重を減らす」より「自分にとってベストな体重に近づける」 という言葉のほうが好きです。 「減らす」が目的になると、 70kgより69kg。 69kgより68kg。 もっと軽く。 もっと軽く。 数字が小さくなること自体がゴールになってしまいます。 でも、 「自分が一番動きやすい体重はどこだろう」 と考えると、見方が変わります。 体重が少し増えていても、調子よく走れているなら、それは悪い状態ではないかもしれない。 逆に体重が減っていても、 疲れやすい。 力が入らない。 練習が続かない。 そういう状態なら、「軽くなったから成功」とも言い切れない。 体重は、あくまで一つの要素。 睡眠。 疲労。 食事。 練習量。 体の感覚。 気持ち。 いろんなものと一緒に見ていく。 そのくらいがちょうどいいと思っています。 自分は、毎日体重を測ってもいいと思っています。 数字を知ることは大切です。 でも、 測ることと、振り回されることは違う。 昨日より500g増えた。 それだけで落ち込む必要はない。 お盆に家族でたくさん食べて少し増えた。 それで全部が台無しになるわけでもない。 逆に、 「増えても何も問題ない」 と開き直る必要もない。 「あ、今はこういう状態なんだな」 と知ればいい。 走っていて重さを感じるなら、少しずつ整えていけばいい。 市民ランナーは、ランニングだけをして生活しているわけじゃありません。 仕事がある。 家族がいる。 旅行もする。 帰省もする。 焼肉だって食べる。 ビールだって飲む。 そういう生活の中に、ランニングがあります。 だからこそ体重も、 ランニングのためだけに存在する数字ではない。 人生全部を楽しみながら、その中で自分が気持ちよく走れる状態を探していく。 自分にとってのベスト体重も、その延長線上にあるんだと思います。 数年前より7〜8kg重い今の自分も、別に否定しなくていい。 でも、 「また戻したいな」 と思ったら、少しずつ戻していけばいい。 焦らなくていい。 体重も、マラソンの記録も、 少し離れてしまったからといって、そこで終わりではありません。 また一歩ずつ近づけばいい。 目指すのは、一番軽い自分ではなく、一番気持ちよく走れる自分。 今は、それくらいの付き合い方がちょうどいいと思っています。
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@runteache
10 days ago
もし、もう一度「初めてのフルマラソン」に挑戦できるなら。 たぶん僕は、 もっとゆっくり走ります。 もっと長く走ります。 そして、 ネットに書いてある「正解」を、もう少し疑います。 もちろん、初マラソンをやり直すことなんてできません。 でも、何年かランニングを続けてきた今だからこそ、 「あの頃の自分にこれだけは伝えたい」 と思うことがあります。 初めてフルマラソンに挑戦した頃の僕は、 「マラソンで速くなるには、スピード練習をしなきゃいけない」 と、どこかで思い込んでいました。 1000m×5本。 400mのインターバル。 設定タイムを決めて、必死に追い込む。 もちろん、こうした練習に意味がないとは全く思いません。 むしろ、人によっては非常に効果的だと思います。 ただ、当時の僕にとっては、 「効果のある練習」 であると同時に、 「かなりしんどい練習」 でもありました。 設定通りできれば達成感はある。 でも、設定を守れなかった日は、 「今日はダメだったな」 と必要以上に落ち込む。 特に夏。 当時は、気温が上がれば心拍数も上がることや、同じ努力感でもタイムが落ちることを、今ほど理解していませんでした。 だから真夏でも、 「いつもの設定タイムで走らなきゃ」 と頑張ってしまう。 今振り返ると、 そりゃ苦しくなるよな、と思います。 もし、もう一度あの頃に戻れるなら。 夏はもっとタイムを手放します。 ゆっくりしたジョグを中心にして、じっくり脚をつくる。 いつもの河川敷だけではなく、 少し山へ行ってみる。 木陰のあるコースを走ってみる。 起伏のある道をゆっくり走ってみる。 たぶんその方が、 僕はもっと楽しくマラソンの土台をつくれたと思います。 そして、もう一つ変えたいのが、 「30km走を絶対にやらなきゃいけない」 と思い込んでいたことです。 当時はネットでマラソン練習を調べると、 「本番前には30km走」 という情報をよく目にしました。 だから僕も、 フルマラソンの1〜2か月前に何度か30km走をしました。 もちろん、脚づくりという意味では効果があったと思います。 でも、かなり苦しかった。 ダメージも大きかった。 そして結局、本番では35km以降に脚がつり、ボロボロになりました。 30km走をしていたから大丈夫。 そんな単純な話ではありませんでした。 今なら、 初めてフルマラソンに挑戦する人ほど、 「速く長く走る」 より、 「ゆっくりでも、長い時間動き続ける」 ことを大切にすると思います。 例えば僕が今好きなのは、 「2時間走」です。 20km走。 30km走。 そう考えると、少し身構える日があります。 でも、 「今日は気持ちいいペースで2時間走ろう」 なら、少し気が楽になる。 ペースを細かく気にしなくていい。 音楽を聴いてもいい。 考え事をしてもいい。 仕事のアイデアが突然浮かぶことだってある。 不思議ですが、 ゆっくり長く走っていると、 頭の中が整理される瞬間があります。 マラソンは、自分と向き合う時間がとても長いスポーツです。 だからこそ、 心拍数を上げて必死に追い込むことだけが練習ではない。 ゆっくり走る。 長く走る。 無理なく続ける。 そういう一見地味な時間が、 実はものすごく大事なんじゃないかと思っています。 そしてこれは、練習メニューだけの話ではありません。 ランニングを始めたばかりの頃って、 どうしても「正解」を探したくなります。 この練習がいい。 このシューズがいい。 このペースがいい。 この心拍数がいい。 SNSやYouTubeやブログを見れば、 いくらでも「おすすめ」は出てきます。 でも、それはあくまで、 その人にとってうまくいった方法です。 自分にも合うとは限りません。 まずやってみる。 合えば続ける。 合わなければやめる。 世間では評価の高い練習でも、 自分が毎回憂うつになるなら、 無理に続けなくてもいいと思います。 市民ランナーは、 誰かに強制されて走っているわけではありません。 失敗しても怒られない。 少し休んでもいい。 一度やめてもいい。 そして、 走りたくなったらまた戻ってくればいい。 ランニングは、 それを静かに待っていてくれるスポーツです。 だから僕は、 「これさえやれば間違いない」 という練習を探すより、 自分が長く続けられる走り方を探す方が大事だと思っています。 その中でも、 一つだけ昔の自分に伝えるなら、 「ジョグを雑にしないこと」 です。 速く走らなくてもいい。 でも、 気持ちよく走る。 フォームを意識する。 体調を感じる。 疲れている日は落とす。 余裕がある日は少しだけ伸ばす。 そうやって日々のジョグを丁寧に積み重ねていれば、 大きく外すことは少ないんじゃないかなと思います。 市民ランナーの数だけ、 練習方法があります。 考え方があります。 正解もきっと一つではありません。 だからこそ、 誰かの正解をそのままコピーするのではなく、 「自分はこれなら続けられる」 と思える方法を見つけてほしい。 僕自身、偉そうに語れるほど速いランナーではありません。 ただ、 初マラソンの頃の自分に伝えたいことは、 今なら少しあります。 もっと焦らなくていい。 もっとゆっくりでいい。 もっと楽しんでいい。 失敗してもいい。 休んでもいい。 また走りたくなった日に、走ればいい。 ランニングには、 いつでも戻ってこられる。 そんな居場所みたいなところがあります。 たぶん僕が、 何年経っても走ることをやめられない理由の一つは、 そこなんだと思います。 市民ランナーの皆さん。 自分だけの「これなら続けられる」を見つけながら、 今日もそれぞれのペースで走っていきましょう。
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@runteache
11 days ago
朝5時。 少し雨が降っているのに、もう走っている人がいた。 しかも、一人じゃない。 車を運転しながらその姿を見て、最初に思ったのは、 「いいなあ」 でした。 今日は大会の引率があって、かなり早い時間から車を走らせていました。 まだ街全体が起ききっていないような時間。 外も少し暗い。 しかも雨。 そんな中でも、ウェアを着て、淡々と走っている市民ランナーがいる。 なんか、すごく素敵だなと思ったんです。 「こんな時間からすごいな」 という気持ちもあるし、 「自分も走りたいな」 という気持ちもある。 少し羨ましさもありました。 自分も、子どもが生まれる前は、朝早く起きて走ることがよくありました。 静かな街。 まだ涼しい空気。 人も車も少ない時間帯。 走り終わったあとに、 「今日も一日が始まるな」 みたいな、ちょっとした達成感がある。 早朝ランには、独特の気持ちよさがあります。 だからこそ、今朝走っている人たちを見て、 「ああ、やっぱり朝走るのっていいよな」 と純粋に思いました。 でも今は、以前と同じようにはいきません。 仕事がある。 家庭がある。 育児がある。 朝早く起きれば必ず自分の時間になるわけでもない。 走りたいと思っていても、走れない朝も普通にあります。 市民ランナーを続けていると、 「前はもっと走れていたのに」 と思う瞬間ってあると思うんです。 以前は週に何回も走れていた。 ロング走もできていた。 朝練もできていた。 でも、仕事が忙しくなったり、家族が増えたり、生活環境が変わったりして、同じようにはできなくなる。 そういう時期って、きっと誰にでもあります。 でも今日、雨の中を走る人たちを見ながら思ったのは、 走れない自分を責める必要はないよな ということでした。 むしろ、 「走っている人を見て、いいなと思える」 その気持ちが残っているなら、それでいいんじゃないかなと。 だって、走ることが嫌いになったわけじゃない。 走りたい気持ちがなくなったわけでもない。 ただ今は、自分の生活の中で使える時間が変わっているだけ。 今朝走っていた人たちも、もしかしたら昨日は走れなかったかもしれません。 仕事で疲れていたかもしれない。 家庭の予定があったかもしれない。 それでも今日は少し時間ができて、 「走ろう」 と思って靴を履いた。 そう考えると、市民ランナーってやっぱり面白い存在だなと思います。 誰かに走れと言われているわけじゃない。 給料が出るわけでもない。 朝5時に起きて走ったからといって、誰かが褒めてくれるわけでもない。 それでも走る。 雨が少し降っていても走る。 暑い日も、寒い日も、自分の生活の中から時間を見つけて走る。 なんか、それってすごくかっこいいことだと思うんです。 もちろん、毎日走る必要はありません。 忙しい日は休んでもいい。 疲れている日は寝てもいい。 家族との時間を優先する日があっていい。 市民ランナーは、ランニングだけをして生きているわけじゃない。 仕事もする。 家族との生活もある。 いろんな役割を持ちながら、その中で走っている。 だから僕は、 走れている日だけが「ランナー」ではない と思っています。 今日は走れなかった。 今週はほとんど走れていない。 そんな時でも、 「ああ、走りたいな」 と思えているなら、それも市民ランナーの時間なんじゃないかなと。 僕自身、今朝は走っていません。 走っているランナーを車の中から見ていました。 でも不思議と、ネガティブな気持ちにはなりませんでした。 むしろ、 「みんな頑張ってるな」 「自分もまた走ろう」 と、少し元気をもらいました。 これもランニングの良さなのかもしれません。 自分が走っていない時でも、走っている誰かの姿を見るだけで、 「自分も頑張ろう」 と思える。 大会で必死に走っている人を見てもそう。 近所をゆっくりジョギングしている人を見てもそう。 早朝に一人で走っている人を見てもそう。 同じ「走る」ということを楽しんでいるだけで、不思議と仲間のような気持ちになることがあります。 SNSを見ても、 「今日は10km走りました」 「朝ランしてきました」 「仕事前に少しだけ走りました」 みたいな投稿がたくさん流れてきます。 そういう投稿を見て、 「自分は全然走れていないな」 と比べる必要はないと思っています。 それよりも、 「この人も走るのが好きなんだな」 くらいでいい。 そして、自分が走れる日にまた走ればいい。 僕は、市民ランナーって、 自分の生活の中で走ることを楽しんでいる人のことだと思っています。 速いとか遅いとか。 フルマラソンを何時間で走るとか。 月間何km走っているとか。 そういう数字ももちろん面白い。 でも、それ以前に、 忙しい生活の中で、 「ちょっと走ってこようかな」 と思えること自体が、すごく素敵なことなんじゃないでしょうか。 朝5時に走る人もいる。 仕事終わりに走る人もいる。 休日にまとめて走る人もいる。 10km走る人もいれば、10分だけ走る人もいる。 今日は休む人だっている。 それぞれでいい。 走れる環境も、使える時間も、目標も違います。 だからこそ、自分のペースで続ければいい。 今日、雨の中を走っている人たちを見ながら、改めてそう思いました。 そして、走っている自分をもう少し誇っていいと思います。 誰かにやらされているわけでもないのに、 自分で靴を履いて、 外に出て、 一歩ずつ前に進んでいる。 それって結構すごいことです。 今たくさん走れている人も。 最近なかなか走れていない人も。 また走りたいと思っている人も。 みんな、それぞれの生活の中でランニングを楽しんでいけばいい。 全国の市民ランナーのみなさん。 今日走った人も、今日は走れなかった人も。 これから走る人も、少し休んでいる人も。 走ることが好きなら、それで十分。 それぞれのペースで、また一緒に走っていきましょう。 市民ランナーって、やっぱり素敵です。
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12 days ago
速くなりたくて、速い練習を増やした。 その結果、僕はかつて1か月以上まともに走れなくなりました。 ランニングを始めた頃の僕は、 「速くなりたいなら、速く走ればいい」 と本気で思っていました。 だからインターバルのような高強度の練習をかなり重視していました。 1本、また1本と設定タイムを追いかける。 最後までやり切れれば、 「今日はいい練習ができた」 と満足する。 逆に設定タイムをこなせなければ、かなり落ち込む。 当時の僕にとって、 「速く走れたか」 「設定を守れたか」 それが練習の良し悪しを決める基準になっていました。 でも、ある日とうとう膝の外側がかなり痛くなりました。 調べてみると、いわゆる「ランナー膝」と呼ばれる腸脛靭帯炎のような症状。 これがなかなか治らない。 結局、1か月以上まともに走れませんでした。 走りたいのに、走れない。 あの1か月はかなりきつかったです。 もちろん原因を高強度練習だけに決めることはできません。 走りすぎだったかもしれない。 ストレッチ不足もあったと思います。 でも、この経験で初めて気づきました。 「速くなりたいからといって、毎回速く走ればいいわけじゃない」 むしろ今なら、当時の自分にこう伝えたいです。 「速く走れば走るほど、記録が伸びるわけじゃないよ」 そしてもう一つ。 「ゆっくり走ること、長く走ることが、速くなる近道になることもあるよ」 実際、ある時期からタイムをあまり追わず、1時間ほどのジョギングを増やしました。 ときには2時間ほど走ることもありました。 それを1か月くらい続けると、少しずつ変化を感じました。 まず、走ること自体が以前ほど苦しくない。 脚も疲れにくくなった。 そして一番驚いたのが、スピード練習でした。 速い練習ばかりしていた頃より、 ジョギングをコツコツ積んだ後のほうが、インターバルにも余裕を持って取り組めるようになったんです。 そこでようやく、 「ああ、土台ってこういうことなのか」 と実感しました。 ジョギングは派手ではありません。 その日の達成感も、インターバルほど大きくない。 SNSに載せても、分かりやすい数字が出るわけでもない。 でも、その地味な積み重ねが少しずつ身体の土台を作ってくれる。 もちろん、スピード練習が必要ないわけではありません。 今でも大切な練習だと思っています。 ただ、 「スピード練習だけで強くなろうとしない」 これが大事なんじゃないかと思います。 ゆっくり走る日があっていい。 長く走る日があっていい。 その土台があるからこそ、速い練習も生きてくる。 特に夏のような暑い時期は、無理にペースを上げるより、じっくり脚を作る期間にするのも一つだと思います。 道路だけでなく、山やクロスカントリーを走るのも面白い。 不整地を走ることで、普段とは違う筋肉を使う感覚もあります。 昔の僕は、 「きつい練習をした=強くなった」 と思っていました。 でも今は違います。 今日どれだけ追い込めたかより、 無理なく続けられているか。 自分の身体に合った負荷になっているか。 数週間、数か月単位で積み重ねられているか。 そのほうがずっと大事だと思っています。 1か月走れなくなった経験があったからこそ、そう考えるようになりました。 もし今、 「もっと速く走らないと強くなれない」 と思っているなら、少しだけ肩の力を抜いてもいいかもしれません。 速く走ることだけが、速くなるための練習ではない。 ゆっくり、長く、コツコツ走る。 一見遠回りに見えるその時間が、 実は一番の近道になることもあります。
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@runteache
13 days ago
今後も、ランナーの悩みに役立つ記事を増やしていきます。 ・練習方法 ・シューズやウェア選び ・大会への準備 ・ケガやモチベーションの悩み 「こんなことを記事にしてほしい」というテーマがあれば、ぜひ返信で教えてください!
run-teacher
@runteache
13 days ago
ランニングブログ「走る教室」をリニューアルしました。 初心者向けのギア選びから、中級者以上のランナーに向けた練習方法・記録向上のヒントまで、目的に合った記事を探せます。 次のランニングに役立つ情報を、ぜひ見つけてください👇 https://t.co/J7Fi299xEv
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@runteache
13 days ago
ランナーにとっては「普通に抜いただけ」。 でも歩行者にとっては、「ちょっと怖かった」かもしれない。 最近、公園を走りながらよく考えます。 「ランナーは、周りの人からどう見えているんだろう」 自分にとってランニングは楽しいものです。 速く走れた日も、ゆっくり走った日も、走り終われば気持ちがいい。 でも、公園や道路はランナーだけのものではありません。 歩いている人もいる。 散歩をしている人もいる。 ご高齢の方もいる。 だからこそ、走る側が少しだけ「相手からどう見えるか」を想像することは、かなり大事だと思っています。 特に気をつけているのが、歩行者を追い抜くときです。 ランナー側からすると、 「普通に抜いただけ」 という場面でも、歩いている人からすれば、急に後ろから人が近づいてきたように感じるかもしれません。 だから自分は、できるだけ距離を取って追い抜きます。 特にご高齢の方の場合は、かなり慎重になります。 歩いている途中で少し進路が変わることもある。 こちらが予想していない動きをすることもある。 状況によっては、2〜3mくらい大きく距離を取ることもあります。 もちろん、 「全員そこまでしないといけない」 と言いたいわけではありません。 ただ、ランナー側にとっては、 数秒ペースが落ちるだけ。 少し進路を変えるだけ。 その程度のことです。 その少しの配慮で、歩いている人が怖い思いをしなくて済むなら、自分はそちらを選びたい。 そして、もう一つ気になるのが集団で走るときです。 周りから、 「5〜6人、場合によっては10人近くで走っている集団が怖い」 という話を聞くことがあります。 ランナー側からすれば、ただ仲間と練習しているだけです。 でも、歩行者側から見ればどうでしょう。 ある程度のスピードで、大人数がまとまって自分のほうに向かってくる。 道幅によっては、それだけでかなりの圧迫感があります。 ここでも大切なのは、 「自分たちがどう感じているか」ではなく、「相手からどう見えているか」 だと思います。 複数人で走るなら、歩行者の近くでは一列になる。 追い抜く前に、 「後ろから来ます」 「追い抜きます」 と一言声をかける。 少し列を整える。 少し距離を空ける。 少しスピードを落とす。 ものすごく難しいことではありません。 でも、その小さな配慮で印象は大きく変わります。 ここで、自分が忘れたくないことがあります。 速い側が偉いわけではない。 「トレーニングしているから」 「ペースを崩したくないから」 という理由で、歩行者が避けるのが当然ではありません。 感覚としては、車と歩行者の関係に少し似ていると思っています。 速く動いている側ほど、接触したとき相手に与える影響は大きい。 だからこそ、より注意する。 ランナーも同じではないでしょうか。 SNSでは、ときどきランナーに対して厳しい意見を見かけます。 そんなとき、 「ランナーのことを分かっていない」 で終わらせるのではなく、 「なぜ、そう感じさせてしまったんだろう」 と考える視点も必要だと思います。 自分たちにとって当たり前の行動でも、走らない人からすると怖く見えることがある。 その可能性は忘れたくありません。 市民ランナーは、趣味で走っています。 大会に出る人もいる。 自己ベストを目指す人もいる。 少しでも速くなりたくて、本気で練習している人もいる。 自分もその一人です。 だからこそ思います。 人に迷惑をかけてまでやるものではない。 数秒ペースが落ちてもいい。 少し遠回りしてもいい。 必要なら一度立ち止まってもいい。 練習としては、予定通りにいかないかもしれません。 でも、それよりも周りの人が安心して同じ場所を使えることのほうが大切です。 公園で、 「あのランナー、危ないな」 と思われる存在ではなく、 「頑張ってるな」 と思ってもらえる存在でありたい。 大会の日だけ応援されるのではなく、普段走っているときから応援してもらえる。 そんな市民ランナーでありたいと思っています。 速さも大事。 距離も大事。 自己ベストも大事。 でも、それと同じくらい、 周りの人への配慮を持って走れることも、ランナーとしての大切な力だと思う。 距離を取る。 一列になる。 声をかける。 少しスピードを落とす。 できることは、意外と小さい。 好きなランニングだからこそ、周りの人にも気持ちよく受け入れてもらえる形で続けたい。 そして何より、 みんなから応援される市民ランナーでありたい。 自分が一番大切にしたいのは、結局そこです。
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run-teacher
@runteache
14 days ago
全国大会まで来た女子リレーが、エントリーに関する確認漏れで走れなかった。 この件を知って最初に思ったのは、 「どちらの気持ちも分かるからこそ、苦しい」 ということでした。 選手は、もちろん悔しい。 保護者も「なぜ」と思うはずです。 中学生にとって3年間は大きい。 全国大会に立てる機会も、何度もあるわけではありません。 積み重ねてきたものがあるのに、 走ることすらできなかった。 その悔しさは、簡単な言葉では片づけられないと思います。 一方で、僕は教員として部活動に関わってきたからこそ、 「ミスをした。だから顧問がすべて悪い」 で終わることにも違和感があります。 もちろん、確認すべきことが確認されなかったのであれば、振り返る必要はあります。 ただ、今回考えるべきなのは、 「誰が悪かったか」 だけではなく、 「なぜ、一人のミスでここまで大きな結果になってしまう仕組みだったのか」 ではないでしょうか。 中学校の部活動では、 その競技を専門としてきた教員だけが顧問になるわけではありません。 それでも、 ・練習を見る ・大会に申し込む ・引率する ・生徒や保護者と連絡を取る ・当日の動きを確認する こうした仕事を、本来の学校業務と並行して担っています。 しかも、その多くは教員の善意に支えられてきました。 「子どもたちに頑張ってほしい」 「競技が好きだから」 そんな思いで、勤務時間外まで関わっている先生も少なくありません。 だからこそ僕は、 そもそも一人の顧問に任せすぎていないか と考えます。 誰か一人が確認を忘れた瞬間、 子どもたちの大会が終わってしまう。 そんな仕組みは、やっぱり怖い。 例えば、 大会ごとに同じチェックリストを使う。 顧問だけでなく、複数の大人で確認する。 そして選手自身も、 「自分たちのエントリーは大丈夫かな」 「必要な確認は終わっているかな」 と考える。 もちろん、中学生に責任を押しつけるという意味ではありません。 大切なのは、 自分が出る大会を「自分ごと」として捉えること。 だと思います。 これは普段の部活動でも同じです。 今日、なぜこの練習をするのか。 選手は今どう感じているのか。 顧問は何を考えているのか。 日頃から大人と生徒が話し、思いを共有していれば、 「先生が全部やる」 「生徒は言われたことだけをやる」 という関係から少しずつ変わっていくはずです。 そして今回の問題は、 部活動の地域移行ともつながっています。 これから学校部活動の形が変わる中で、 誰が指導するのか。 誰が大会の手続きをするのか。 誰が責任を持つのか。 今まで曖昧なまま教員に集まっていた仕事を、 一度きちんと整理する必要があります。 地域移行は、 「先生が大変だから外に出せばいい」 というだけの話ではありません。 目指すべきなのは、 誰か一人の善意に頼らなくても、 子どもたちが安心して競技できる仕組みをつくること。 だと思います。 今回、走れなかった選手たちは本当につらかったと思います。 その気持ちは、何より大切にされるべきです。 同時に、 ミスをした顧問の先生も、 きっと簡単には消えない思いを抱えているはずです。 だから僕は、 その先生だけを必要以上に責めないでほしい。 と思います。 そして、 「誰が悪かったか」 で終わるのではなく、 「同じことを起こさないために、どうすればいいか」 まで考えたい。 顧問だけの問題にしない。 学校だけの問題にしない。 生徒も、保護者も、指導者も、地域も、 少しずつ自分ごととして考える。 今回の出来事を、 誰か一人を責める材料ではなく、 これからの部活動や地域スポーツのあり方を考えるきっかけにできたらいい。 僕はそう思っています。
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run-teacher
@runteache
15 days ago
SNSで見つけた「伸びる練習」を、そのまま真似する。 僕は、これを少し危険だと思っています。 自分自身、SNSで練習の様子やおすすめの練習法を発信しているので、 「お前が言うな」 という話ではあるんですが、それでも伝えておきたいことがあります。 ネットにある練習は、あくまで誰かの成功体験です。 あなたの正解とは限りません。 「この練習で速くなった」は本当。でも… SNSを見ていると、 「この練習を続けてサブ3できました」 「このメニューで自己ベストが出ました」 という投稿をよく見かけます。 そういう投稿を見ると、 「自分も同じことをやれば速くなるかも」 と思いますよね。 僕も何度もそう思って、実際にいろいろ試してきました。 もちろん、その人が嘘をついているわけではありません。 その練習をして、本当に結果が出たのでしょう。 ただし、 その人に合った練習と、自分に合う練習は同じではありません。 ここはかなり大事だと思っています。 走歴も違う。 年齢も違う。 走れる時間も違う。 それまで積み重ねてきた練習も違う。 仕事や家庭の環境も違えば、疲労の抜け方だって違います。 同じメニューをやったからといって、同じ結果になるとは限りません。 成功例より「失敗例」のほうが参考になることもある 個人的に、かなり参考になると思うのが、 「この練習をやったけどうまくいかなかった」 という話です。 しっかり作られた記事や発信には、 「こういう人には合わなかった」 「ここで故障した」 「こう変えたらうまくいった」 という失敗や修正の過程まで書かれていることがあります。 こういう情報はすごく価値があります。 一方で、 「この練習をしました」 ↓ 「タイムが伸びました」 ↓ 「だからおすすめです」 だけだと、少し慎重に見たほうがいい。 その練習が悪いという意味ではありません。 ただ、その結果はあくまでその人の経験の一例だからです。 だからといって、ネットの練習を否定する必要もない ここまで読むと、 「じゃあSNSの練習なんて参考にしないほうがいいの?」 と思うかもしれません。 僕はむしろ逆です。 面白そうな練習があれば、どんどん試してみればいいと思っています。 僕自身も、ネットや本で見つけた練習をたくさん取り入れてきました。 うまくいったものもあります。 全然はまらなかったものもあります。 そして大事なのは、 「やってみること」より、その後です。 この練習は自分に合っているのか。 きつすぎないか。 逆に刺激が足りないのか。 頻度を減らしたほうがいいのか。 距離を短くしたほうがいいのか。 自分の生活の中で継続できるのか。 そこまで考える。 合わなければ、自分に合う形へ変えてみる。 僕は、それも含めて「練習」だと思っています。 「合わない」と判断するのも意外と難しい もう一つ難しいところがあります。 マラソン練習は、すぐに結果が出るとは限りません。 1回やってタイムが伸びなかったから、 「この練習は自分には合わない」 と判断するのも早すぎます。 数週間。 場合によっては1カ月以上。 続けて初めて効果が見えてくる練習もあります。 だから、 「試してダメならすぐやめよう」 という単純な話でもありません。 しばらく続けてみる。 その間の疲労や体調を見る。 レースやポイント練習の感覚を見る。 そして、 続けるのか。 少し変えるのか。 やめるのか。 判断する。 この作業が必要になります。 正解を探すより「自分の正解を作っていく」 たぶん市民ランナーの練習に、 最初から100点の正解なんてありません。 試して、 考えて、 少し変えて、 また試す。 これを繰り返していく。 1年、2年と続けていると、 「自分はこのくらいの距離が合う」 「この強度だと疲労が残りすぎる」 「レース前はこの練習をすると調子がいい」 という自分なりのパターンが少しずつ見えてきます。 誰かの正解をそのまま借りるのではなく、 自分に合う正解へ少しずつ近づいていく。 この過程そのものが、市民ランナーの練習なのだと思います。 自分の練習に責任を持てるのは、自分だけ 市民ランナーの多くには、 毎日の練習を考えてくれる専属コーチはいません。 今日何をするか。 どれくらい追い込むか。 休むのか。 続けるのか。 最後は自分で決めることになります。 それは難しさでもあります。 でも同時に、市民ランナーの面白さでもあると思っています。 自分で調べる。 試してみる。 失敗する。 修正する。 また挑戦する。 そして自己ベストが出たとき、 「あの試行錯誤は間違っていなかったな」 と思える。 誰かに言われた練習をただこなすのとは、少し違う喜びがあります。 SNSの練習は「答え」ではなく「材料」 だから僕は、SNSで紹介されている練習を見るとき、 こう考えるくらいがちょうどいいと思っています。 「これは答えではなく、自分の練習を考えるための材料」 面白そうなら試す。 しばらく続けてみる。 自分の身体や生活と照らし合わせる。 合わなければ変える。 良ければ残す。 それを繰り返していけばいい。 これから本格的なマラソンシーズンが始まります。 今シーズン、 「これは試してみたい」 と思える練習を一つ決めてみるのも面白いと思います。 僕もSNSでいろいろな練習を紹介しています。 全部やる必要はありません。 むしろ、全部やらないでください。 その中から、 「これは自分に合うかもしれない」 と思ったものを一つ試してもらえたら十分です。 合えば最高。 合わなければ変えればいい。 失敗しても、それも一つのデータです。 ネットにある練習を鵜呑みにするのではなく、 自分で試し、自分で考え、自分の練習にしていく。 その試行錯誤の材料の一つとして、僕の発信も使ってもらえたらうれしいです。 今シーズンも、自分なりの正解を探しながら走っていきましょう。
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run-teacher
@runteache
16 days ago
忙しい市民ランナーほど、 「たくさん走ること」より大事なことがあると思っています。 それは、 走ることとのつながりを切らないこと。 仕事が長引く。 残業が続く。 家に帰れば疲れている。 家庭があって、子どもがいれば、自分の自由な時間はさらに少なくなる。 そんな日に、 「よし、今日は10km走ろう」 と思っても、なかなか体は動きません。 市民ランナーを続けていると、一度は思うんじゃないでしょうか。 「こんなに忙しい中で、どうやって走り続ければいいんだろう」 自分もよく考えます。 そして最近は、忙しい時ほど、 頑張って走ろうとしすぎないこと が大事なんじゃないかと思っています。 市民ランナーは、誰かにやらされて走っているわけではありません。 仕事でもない。 義務でもない。 自分が好きで、走っている。 だから僕は、 「走ることが好き」という気持ちは大事にしたい。 忙しい中でも走っている自分を肯定したいし、少しくらい誇ってもいいと思っています。 ただ、気持ちだけで毎回走れるほど現実は甘くありません。 だから僕は、忙しい時ほど 「続けるためのハードルを下げる」 ことを意識しています。 方法は大きく2つです。 ①「走る」以外もトレーニングにする 30分走る時間がない。 それなら、10分だけ筋トレをする。 10分もないなら、5分ストレッチする。 マッサージをするだけでもいい。 大事なのは、 「今日は走れなかったから、何もできなかった」 で終わらせないこと。 「走れなかったけど、体を整えることはできた」 と思えるだけで、かなり違います。 忙しい時に毎回完璧な練習をしようとすると、続きません。 でも、 今日できることを、少しだけやる。 これなら意外と続けられます。 市民ランナーにとっては、そのくらいの柔軟さがあっていいと思っています。 ②走り出すまでのハードルを下げる 疲れて帰ってきてから、 ランニングウェアを探す。 着替える。 準備する。 外に出る。 一つひとつは小さなことです。 でも疲れている時は、この「小さな面倒」がかなり大きい。 だから僕は、走る服を玄関に置いておくことがあります。 「走ろう」と思ってから外に出るまでの工程を、できるだけ減らす。 物理的なハードルを下げておくわけです。 そして、心理的なハードルも下げます。 「今日はしっかり走ろう」 ではなく、 「とりあえず10分だけ走ろう」 くらいにしておく。 これだけで、一歩目がかなり軽くなります。 僕自身、 「せっかく走るなら、ちゃんと走らないと」 と思ってしまうことがあります。 でも、これが意外と危ない。 1時間走れないならやめておこう。 ちゃんと練習できないなら、今日は休もう。 そう考えていると、忙しい時期には何日も走らなくなってしまいます。 だから最初から、 「10分でいい」 「ちょっとだけでいい」 と決める。 10分走って帰ってきてもいい。 それでも、 「今日も走った」 という感覚は残ります。 僕は、忙しい市民ランナーにとって大事なのは、 一回一回の練習を完璧にすることではなく、走る習慣を完全に途切れさせないこと だと思っています。 もちろん、時間がある日にしっかり走ることも大切です。 でも、毎日毎週、理想通りに時間を作れる人ばかりではありません。 仕事が忙しい時期もある。 家族との予定もある。 疲れている日もある。 それなのに毎回、 「予定通り走れなかった」 「今週は全然ダメだった」 と考えていたら、好きだったランニングが少しずつ苦しくなってしまいます。 市民ランナーは、ランニングだけをして生活しているわけじゃない。 仕事をしながら走っている。 家庭を持ちながら走っている。 子育てをしながら走っている人もいる。 だからこそ、 限られた条件の中で、どう続けるか。 そこまで含めて、市民ランナーの面白さなんじゃないかなと思っています。 「でも、10分しか走れないなら意味がないんじゃない?」 と思う人もいるかもしれません。 僕は、そうは思いません。 10分でも走れば、 「今日も走った」 という感覚が残る。 少し筋トレをすれば、 「今日は何もできなかった」 ではなくなる。 ストレッチだけでも、ランニングとのつながりは切れない。 この小さな積み重ねが、忙しい時期には結構大きいと思っています。 そして何より、 ランニングは本来、自分が好きでやっていることです。 苦しい義務にする必要はない。 忙しい日は短くていい。 疲れている日は軽くていい。 走れないなら、走る以外のことをやってもいい。 その代わり、 完全にゼロにしない工夫をする。 服を玄関に置いておく。 10分だけ走る。 筋トレをする。 ストレッチをする。 どれも、本当に小さなことです。 でも、こういう小さな工夫があると、 「今日は無理だからやめよう」 ではなく、 「今日は何ができるかな」 と考えられるようになります。 忙しい市民ランナーに必要なのは、 時間がたくさんある生活を待つことではないのかもしれません。 今ある時間の中で、 どうすれば一歩だけ前に進めるか。 それを考えることが、長く走り続けるための習慣になる。 仕事が忙しくても。 家庭が忙しくても。 10分しかなくても。 「走ることが好き」という気持ちは、なくさなくていい。 むしろ、そんな生活の中でも走っている自分を、 少しくらい誇っていい。 僕はそう思っています。
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run-teacher
@runteache
17 days ago
自己ベストを更新したい。 でも、記録への道は一直線じゃなくていい。 自己ベストが出ない時間は、当たり前ですが苦しいですよね。 ある程度レベルが上がるほど、記録の更新は難しくなります。 それがマラソンや陸上競技の難しいところであり、面白さでもあると思います。 私自身、中学生の頃から陸上競技を続ける中で、何度も記録が伸びない時期を経験してきました。 「自分なりに練習しているのに、どうして記録が出ないんだろう」 そんな時間をどう受け止め、何を変えてきたのか。 いま自己ベストが出ずに苦しんでいる市民ランナーの方へ向けて、私なりの考えを書いてみます。 ──────── 【初めて記録が止まった中学2年生】 陸上競技を始めたばかりの頃は、体の成長もあり、記録がどんどん伸びました。 初めて伸び悩んだのは、中学2年生の後半でした。 自分なりに練習していても、なかなか記録が出ません。 当時の先生とフォームについていろいろ話す中で、自分に合った走り方を探しました。 自分のフォームをビデオで撮影し、分析して、修正する。 その繰り返しでした。 正解を一度で見つけようとしていたわけではありません。 まずは試行錯誤してみようと、楽しみながら実験していたような感覚でした。 当時は短距離で100メートルを走っていましたが、そこから一気に0.5秒以上も記録を更新できました。 あのときのことは、今でも鮮明に覚えています。 高校に入ってからも、何度か伸び悩む時期がありました。 そのたびに、自分には何が足りないのかを分析しながら練習を繰り返しました。 1年ほど自己ベストを更新できず、かなり苦しい時期もありました。 それでも、自分で考えて行動する習慣は、この頃に身についたのだと思います。 高校の3年間は専門的な指導者がいなかったため、練習メニューも自分で考え続けました。 最終的には県大会で優勝でき、それは今でも自分の中で大きな誇りです。 もちろん、運の要素も大きかったと思います。 自分の実力だけだとは思っていませんが、それでも一つの成果として大切にしています。 ──────── 【感情だけで考えず、いまできることを探す】 大人になってからも、記録が伸び悩む時期はありました。 仕事や家庭があると、そもそも思い描いたような練習ができないこともあります。 「練習したい。でも、思うように時間が取れないんだよな」 その中で自己ベストを更新するのは、簡単ではありません。 同じように苦しんでいる市民ランナーの方も、きっと多いのではないでしょうか。 自己ベストが出ないとき、私はまず何が原因なのかを客観的に分析します。 苦しい、悔しいという感情だけで考えないようにします。 焦らずに、いまできることは何だろうと考える。 その癖をつけることが大切だと思っています。 フォームが原因かもしれませんし、練習のやり方を変える必要があるのかもしれません。 中学時代の私にとって、ビデオ撮影と試行錯誤が記録を動かすきっかけになりました。 停滞したときこそ、これまでやってこなかった取り組みを一つ決めて試してみる。 できるだけ自分が楽しめる練習や内容を選ぶのがおすすめです。 一人では変化を作りにくいなら、練習仲間を見つけることで変わることもあります。 ──────── 【タイムだけで練習を評価しなくなった】 以前の私は、タイムを強く追い求めていました。 レースだけでなく、普段の練習でも前回のタイムと比べていました。 1本目と次の1本を比べ、とにかく前より少しでも速くなっていなければならない。 そんな固定観念に縛られていたと思います。 30代に入ってから、少しずつ考え方が変わりました。 その日の体の状態やコンディション、練習環境は毎回違います。 もちろん、タイムが出たほうがうれしいです。 ただ、タイムが出ることだけが、すべてではありません。 タイムが出なかった日でも、無理なく練習を終えられたか。 その内容に自分が納得できたか。 そうした自分の感覚を、タイム以上に大切にするようになりました。 体の動きやキレがよければ、そこも前向きに評価してよいと思います。 思うようにいかない時期を乗り越える力も、市民ランナーとして走り続けるうえで大切な力なのかもしれません。 だから、記録が出なくても腐らず、これからも続けていきたいです。 ──────── 【続けるか休むかは、痛みとレースまでの時間で考える】 発想を変えて、思い切って休むのも一つの方法です。 私は一時期、腸脛靭帯炎で膝が強く痛む時期がありました。 無理に走ろうとしても走れず、現実を突きつけられるようで、余計に苦しくなりました。 そのとき整体で「しばらく走るのをやめてみたら」とアドバイスを受けました。 1か月ほどゆっくり過ごし、再び痛みなく走れるようになったときの喜びは、とても大きなものでした。 怪我なく走れる体は、それだけで幸せなことなんだ。 そう痛感した瞬間でもありました。 いまは、続けるか休むかを痛みの程度で考えています。 もう一つの基準は、レースまでどれだけ時間があるかです。 急ぐ必要がないときは、休みながら進めます。 走る代わりに、バイクやスイムなどのクロストレーニングを取り入れることも多いです。 レースへエントリーしたあとに痛みが出た場合は、思い切ってファンランへ切り替えることもあります。 記録だけを追って無理を重ねるのではなく、そのときの状態に合う選択をします。 ──────── 【山の頂上まで、一直線に登らなくてもいい】 タイムが伸びずに苦しい時期は、ファンランを楽しむのもありだと思います。 タイムを気にせず、エイドステーションの食べ物を全部味わってみる。 景色を写真に撮りながら、ゆっくり走ってみる。 同じ時間帯を走る選手たちと会話をしたり、つながったりする。 30代を超えた今は、そんな楽しみ方もよいと思っています。 もちろん、記録を諦めたわけではありません。 いまはそういう時期なのだと、自分なりに分析しています。 陸上競技はタイムを出してこそですし、自己ベストを更新することが最大の目的であり、楽しみです。 その気持ちは変わりません。 ただ、そこへ至る道は一直線でなくてもいい。 山の頂上へ登るルートはいくつもあります。 登るペースも人それぞれですし、途中で一度下山してから戻ってもいいと思います。 まずは、これまでやってこなかったことを一つ試してみる。 楽しめる練習を選ぶ。仲間と走る。必要なら休む。 そうしたことを繰り返しながら楽しめるのが、市民ランナーの醍醐味なのではないでしょうか。 私も、いまの自分にできることを考えながら、また次の自己ベストを目指していきます。 お互いに頑張っていきましょう。 ──────── 忙しい市民ランナー向けに、練習の工夫やマラソンの気づきをニュースレターで届けています。 ▶ https://t.co/iP1oWhkEDG
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