上部構造と下部構造がある中で、まずは下部構造をガチガチに固める必要がある。下部構造、つまり経済的基盤を固めるにあたっては、収入を増やしコストを減らし、資産運用の元本をアップしていきながら運用率を上げることが要諦。シンプルにそれだけ。
資産運用について、王道は市場全体に張ること、つまりはコアの中心をオルカンにすること。当然、複利を利かせて。その上で、サテライトとしていくつか遊んでみても良い。まずはここまで。
コストを切り詰めすぎると、それはそれで貧乏ったらしくなる。ただ、無駄なコストはカット。いらないサブスクに入っていないか、いらない保険に入っていないか、など。この辺りだけでも結構変わってくる。
その上で、やはりどれだけ収入を上げられるか、とうことが大きな部分になってくる。ただし、収入を上げるために上司のケツを舐める、というようなことはしたくない。ここについては、おそらく上部構造が絡んでくる。つまり、自らの趣味趣向、傾向性とマッチした仕事を選んでいるかどうか、あるいは今ある仕事をそのような要素に沿ったものに編集できるかどうか、ということ。
私自身は、もともと理系で高校生の頃はAIを研究したいと思っていたところからの、進路変更しての現代思想と哲学、文学の人なので、やはり人間というテキストをAIを使ってどこまで分析、編集できるかということに興味がある。AIを使った人間存在の脱構築、みたいな。それを商品開発に絡めつけながら進めていく、というのが合っている。うまく編集すればマーケットにも受け入れられそうだし。
後は、システム構築も好きで、この辺りは顧客マネジメントとも絡む。とにかく、AIを中心にあらゆる業務を自動化してしまう、ということを自分の仕事の核としてしまった方が楽な気がする。そんなこんなをやって、それが評価されて、そして収入が上がれば、前段のサイクルがきちんと回るようにもなるし。
あとは、これらをきちんと回していくための心身の健康維持。身体については、酒の量もかなり減らしたし、運動はもう少しやらなければならないが、今年に入ってから健康にはなってきたようには思う。
メンタルについては、常にBATNA(Best Alternative To a Negotiated Agreement)を持っていられるか。BATNAとは、交渉が決裂した場合の最善の代替案。この場合だと、例えば会社との交渉が決裂した際に、それでも生きていけるための何らかの試作。ただ、今の日本であればそれはそれで何とかなるとは思うのだが。あえて言うのであれば、社外に自分の市場価値を認識してくれている人的ネットワークがあるかどうか、などになるのだろうが。まあ、一応あると言えばある。
ビジネスを離れたところにあるアジールと言うものも必要で、これが私の場合は思想になる。例えばバタイユ。未来のために今を犠牲にするという生き方の否定。あるいは「夢も一つの現実だ」というネルヴァルの言葉を大切にしたシュルレアリスム。または大乗仏教における縁起。私という存在は果たして存在するのだろうか。つまり、二十代のすべてをかけて探究してきた主体の問題。欲望や苦しみの主体はそれほどまでに絶対的なものなのだろうかという疑念。ライフプランの全てをキャンセルしてしまう位相。
私は存在しないと言う考え方がある一方で、私とは物語であると言う考え方もある。物語としての私は、物語の編集者であると同時に、物語の主人公でもある。引き寄せの法則とかは案外バカにできないもので、つまりこうなると言うビジョンを明確に持つことで、物語の編集の方向性が変わってきたりもする。いつまでにいくらの資産をもつ、という数値に基づいた具体的な目標をもつことで、全てのサイクルがうまく回り始める、と言うことも十分にありうる。
大江健三郎の「取り替え子」を読んでいる。その中にナイーブな人,という呼び方が出てくる。主人公の義兄の吾郎(モデルは伊丹十三)を評した表現として。
ナイーブ。英語だとどちらかと言えばネガティブな意味になる。
ケンブリッジディクショナリーだとこんな意味。
The word naive (often written as naïve) means lacking worldly experience, wisdom, or judgment. A naive person is often too trusting, easily tricked, or overly ready to believe that people are good and life is simple.