デジタル時計が要所要所で壁に投影され、現在時刻と曜日を示す。2人が日曜の朝起きて、その夜出会っていろいろあって水曜に死ぬまでたった4日間の物語なのだと改めてわかる。この公演のタグラインになっているジュリエットのセリフ「in a minute there are many days」のとおり、ロミオのいない1分は何日もの長さに感じられるというだけでなく、2人にとって1分1分が肝心で濃密な4日間だったということでもあると思う。
あと何より、この上演は一種のタイムトラベルもの?になっている。要所要所でストロボが焚かれるように舞台がホワイトアウトし、時間が少し巻き戻ったり、「もしこの時こうしていたら」が演じられたりする。もしジュリエットが親の決めたパリスと結婚していたら。神父の伝言が伝わっていたら。ロミオがジュリエットと落ち合う納骨堂で彼女が起きていたら。二人が全ての危機を乗り越えていたら…。
「Romeo & Juliet(ロミオとジュリエット)」@ Harold Pinter Theatre。プレビュー公演。ロバート・アイク演出。「ストレンジャー・シングス」のセイディー・シンクがジュリエットで、「ハムネット」のノア・ジュープがロミオ。これもとてもよかった。
シンクがスター女優だからというだけでもないでしょうが、ジュリエットの考え方、感じ方に焦点を当てた上演だと思った。一言一言考えながら話し、ベッド(本作のほぼ唯一のセット。バルコニーシーンもここで演じられる)でぴょんぴょん飛び跳ね、未来を考え、悪夢を見る。とてもよかった。
バルコニー・シーンのロミオの傍白は、客席に降りて最前列の1人の客に恋愛相談する趣向("Shall I hear more, or shall I speak at this?")。あれって要は恋バナですよね。この客も、いいから行ってこい!という感じで応じていておかしかった。サクラではないはず…。
あとこの客席に降りる場面でロミオが転んで、"I am too bold"と、客席に向かってテヘペロしていた。あれはハプニングなのか演出なのか…。
マイケル・シーン主演「Our Town(わが町)」@ Rose Theatre。ソーントン・ワイルダー作、フランチェスカ・グッドリッジ演出。よかった。
シーン演じる「舞台監督」が冒頭で観客に告げるとおり、舞台は20世紀初頭の米ニューハンプシャーの田舎町。が、役者はみなウェールズ訛りで演じる。シーンは町の名前をグローヴァーズ・コーナーズではなくグロヴェルズ・コルネルズと読む。讃美歌もたぶんウェールズ語。このプロダクションが、シーンが昨年故郷で立ち上げたWelsh National Theatreの旗揚げ公演ツアーだからだと思う。
舞台はほぼ素舞台で、装置はシンプルな板、イス、脚立のみ。これらが役者たちの手でダンスのように滑らかに動かされ、テーブル、屋根、道路、墓標、棺桶などに見立てられる。舞台監督は指揮者のようにこうした動きを指揮するほか、片手の合図ひとつで劇場の照明を自在に灯したり消したりする。どれも美しかった。
ベン・ダニエルズ主演「Man and Boy」@ National Theatre (Dorfman) 。テレンス・ラティガン作、アンソニー・ラウ演出。おもしろかった。大恐慌下の1934年のNY。自社が倒産寸前の世界的カリスマ実業家グレゴール(ダニエルズ)が、起死回生の策として、ライバル企業との合併を図る話。そのためにグレゴールは、隠れゲイであるこのライバル社長を懐柔すべく、若いわが息子をだまして性接待役として差し出そうとする。
アメリカンドリームの魔力に呑まれて破滅する父と、その魔力に抗う「良心」を体現し、父を救おうとする息子の物語——という点では、先日のミラー「みんな我が子」と似た話でしょうか。
非リアリズムに寄せた演出で、登場人物たちは皆、時折コンテンポラリーダンス的な動きの演技をする。テーブルに飛び乗って相手を見下ろしたり、相手に顔をぐいっと近づけたりして、サル山のサルのように力を誇示し合う。グレゴールは相手より優位に立とうと、交渉相手が座るイスの位置まで調整する。
それにしても、つくづく演劇のミラクルは、作り手たちの意図しないところでタイムリーになってしまうところだと思う。本作のリバイバルを企画したNTの人たちは、上演期間中に世界の話題がこれほどエプスタイン事件一色になる(自分は無一文の移民からメディア王にのし上がったロバート・マクスウェルを連想した)とは思っていなかったのでは…。