不正確な引用である。正確には次の通り。
インドネシアの歴史教科書(SMP・SMA共通)は、日本軍政期を以下の3つの軸で記述している。
◆1 食糧供出(Penyetoran padi / beras)
“Rakyat dipaksa menyetorkan sebagian besar hasil panen padi kepada pemerintah militer Jepang.” (国民は収穫した米の大部分を日本軍政に供出させられた。)
ここでの “sebagian besar(大部分)” は、 40〜60%の供出を指すと注釈されることが多い。つまり、「60%供出」は教科書の最大値と整合する。
◆2 飢餓・疫病(Kelaparan dan penyakit)
“Kelaparan meluas karena berkurangnya persediaan makanan. Obat-obatan sangat langka sehingga banyak rakyat meninggal akibat penyakit.” (食糧不足により飢餓が広がった。薬品が極めて不足し、多くの国民が病気で死亡した。)
これは 事実に基づく記述。 1944–45年のジャワ島では飢餓・疫病が深刻化した。その背景は、米海軍による海上封鎖と日本の海上輸送壊滅がある。ジャワ島は戦場になっていないのに、巨大な孤島と化し、深刻な飢餓に見舞われた。
◆3 ロームシャ(Romusha)
“Ratusan ribu romusha dipaksa bekerja keras dalam kondisi yang sangat buruk, banyak yang meninggal.” (数十万のロームシャが極めて劣悪な環境で過酷な労働を強いられ、多くが死亡した。)
これは 完全に事実。 死亡率は地域によって20〜50%。
◆4 問題の記述:「中部ジャワで人口の53%が死亡」
ここが最も重要な検証点。実際の教科書の原文はこうではない。
“Di beberapa daerah di Jawa Tengah, jumlah kematian meningkat tajam akibat kelaparan dan penyakit.” (中部ジャワのいくつかの地域では、飢餓と病気により死亡者数が急増した。)
“Di beberapa desa, lebih dari separuh penduduk meninggal.” (いくつかの村では、住民の半数以上が死亡した。)
つまり、教科書が言っているのは 「村レベルで50%超の死亡があった」 であり、 「中部ジャワ全体の人口の53%が死亡した」わけではない。
人口統計(オランダ統計局・日本軍政期統計)では:
中部ジャワ人口:1940年 1,700万人 → 1945年 1,800万人 → 地域全体の人口は減っていない。
◆5 「日本の植民地になったことは大きな災害」
“Pendudukan Jepang membawa penderitaan besar bagi rakyat Indonesia.” (日本の占領はインドネシア国民に大きな苦難をもたらした。)
これは 教科書の価値判断として標準的。ただし同じ章で必ずこうも書かれる:
“Namun, Jepang juga membuka jalan bagi munculnya gerakan nasional dan persiapan kemerdekaan.” (しかし日本は民族運動の台頭と独立準備の道も開いた。)
つまり、インドネシア教科書は日本軍の占領を「災厄」と「独立の契機」の二面性で捉えて正しく教えている。