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IROCOCOROハンドメイドアクセサリ
@irococoro8
Joined June 2014
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irococoro8
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堤 未果「新・アンダーワールド」DMMで好評配信中!🎥https://x.gd/kE8V3🏬
@TsutsumiMika
21 days ago
【拡散をお願いします🙇♀️🙏】 *宇城市の皆様へ:こちらの企業様、エアコンが効いた涼しい場所をペット同伴で提供してくださるとの事です! 株式会社なかがわ :熊本県宇城市三角町戸馳1579−12 ☎️0964-53-0818 *八代市は全ての避難所がペット同伴OK🐶😺🐰🦜🐹↓
#熊本地震
#ペット同伴
irococoro8
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YOPPY
@_KSKNAO_
23 days ago
@hezuruy
八代市鏡町内田です 助けてください どこも手が足りないと思います 今だに停電 断水 テレビも もちろん見れず 避難所へ行けない人もいます どうしたら いいのでしょうか 国会議員 県議会議員 市議会議員 助けてあげて下さい 現場に来て 水の1本でも 声かけでもして下さい
irococoro8
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🌳🌳🌳🌳
@Pinetree__55
26 days ago
拡散ありがとうございます🙏 7月29日19時現在もまだ見つかっておらず、家族で捜索を続けています。 些細な情報でも構いませんので、お心当たりの方、それらしい子を見かけられた方がいらっしゃればご連絡お願いいたします。
irococoro8
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sybom
@2000sybom
27 days ago
先ほどの地震で菊陽町の自宅からイヌが脱走しました。 見かけた方、ご一報頂けるとうれしいです。 3歳のシェルティの女の子です。 青い首輪していてタグには自宅電話番号と名前が記入してあります
Who to follow
ともともたくや📎📎📎
@tomosmapxsmap
Smap SMAP大好き25年 SMAPに会いたい❤️💚💙💛💗 💟 拓哉くん大好き😘6スマ時代からのファンです。スマライブは私と娘で全国参戦してました!またライブでSMAP見たい‼️新しい地図も応援してます。スマ友さんと繋がりたいです。 無言フォローお許し下さいませ🙇♀️インスタもやってまーす😘
慎MAP
@shinakamap0131
(. ❛ ᴗ ❛.) SMAP LOVE❤️慎吾大好き💕 新しい地図最高( ´ ▽ ` )ノ ♡またSMAPライブ行くんだからぁ~☆。.:*・゜
みーさん
@mimimama0108
SMAP担
irococoro8
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草彅 剛
@ksngtysofficial
about 1 year ago
皆さん。 応援ありがとうございました。 めちゃくちゃ緊張しましたが 皆さんの応援と、和義さんが そばにいてくれたので生還いたしました 和義さんの歌は、レンレンに届いた と思いますが、僕の歌とギターは 「剛君。まだまだだよ」とレンレンに 言われた気持ちです。諦めずに歌い続ければ、必ずきっと思いは届きますね。 そう信じてこれからもがんばります 皆さん、本当に応援ありがとうございました。
irococoro8
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大杉隼平photographer
@shumpeiohsugi
about 1 year ago
草彅剛さん、斉藤和義さんありがとうございます!父、大杉漣も喜んでいると思います!父とよく斉藤和義さんの「歌うたいのバラッド」を聴きました。きっと笑顔で「伝わったよ。いつかまた一緒にギター弾こうね」そう言っている気がします!本当にありがとうございました!!
irococoro8
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マッパー
@smapfun_forever
about 1 year ago
梅雨の季節でどんよりお天気が 続いてますが☔、 心に少しでも明るい 6色の傘のお花が 咲きますように💙❤️💗🤍💛💚
irococoro8
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鈴木おさむ
@suzukiosamuchan
over 1 year ago
第7章 くじけずにがんばりましょう 2011年3月11日。 その日僕は、お昼1時から半蔵門のスタジオでパーソナリティーを務めるラジオ番組の生放送をしていた。 有名な歴史作家がゲストで登場し「日本の歴史はその時々にトップに立つ者が都合よく塗り替えている」と熱く語っていた。「こんな国は一回、色々なものがなくなってフラットにならなきゃいけないんだよ」と言い出したところで、僕は「この人、変なスイッチが入りだしたな」と、トークを止めて、歴史作家のゲストコーナーを終わりにした。 時折、ゲストの人が想定外のことを話し出すのはよくあることだったが、この歴史作家の人が最後に言った言葉がなんだか胸の奥に引っかかっていた。 番組は2時台に入り、かねてから親交のあった俳優さんがゲストに来てくれて話した。1時台の歴史作家とのトークにずっと緊張感があったので、馴染みの俳優さんとは安心して話すことが出来た。 俳優さんが帰って、2時半を過ぎたのに、まだ、歴史作家が言った言葉が引っかかり、心がなんかざわざわしていた。 2時40分を過ぎて交通情報が終わり、曲をかけた。 曲が終わり、リスナーからもらったメッセージを紹介し始めた。その時だった。 2時46分。 スタジオがグラッと揺れた。揺れが続き「地震だ」と気づく。この日以前にも何度か放送中の地震は経験していた。毎回小さな揺れでおさまっていたので、どうせ今回もすぐにおさまると思い込み「あ、地震が来ましたよ」と落ち着いて言った。 だが、いつもならおさまるところでおさまらず、揺れはさらに激しくなり、パートナーの女性アナウンサーが「みなさん、落ち着いてください」と口調が強まるのと同時に、さらに揺れが激しくなった。揺れは自分の経験値をはるかに超えたことが分かった。 だけど、生放送中だ。 「結構揺れてます」 感じたことを短い言葉にするのが精一杯だった僕にアナウンサーが言った。 「オサムさん、我々も机の下に隠れましょう」 災害時の様々なパターンを想定してトレーニングを受けているはずのアナウンサーが「机に隠れましょう」と言った。そう言わなきゃいけないほどのことなんだとすぐに認識した瞬間、マイクで話すことをやめて机の下に隠れた。 隠れながら「皇居の目の前にあるビルだから大丈夫」と思うようにしたが、激しく揺れるとともに、ビルがきしむ音が聞こえる。 放送は突然、緊急放送に変わった。 この揺れはいつまで続くのだろう? 永遠に終わらないんじゃないか。 ただ願うしかなかった。 揺れが徐々に落ち着いてきた。 「大丈夫ですか?」 スタッフがスタジオに入ってきてくれた。 放送は緊急放送のままで「もしかしたらすぐに放送に戻るかもしれないので」と言われて、近くの控室で待っていることになった。 地震がどれだけのものだったのかは理解できてない。 控室からはスタジオの前にある報道部が見える。そこにはテレビモニターが何個も並んでいた。 今、起きた地震がとてつもなく巨大な地震であることが分かってきた。 テレビモニター全部が東北地方の沿岸の映像になる。 津波警報が発令された。 僕自身も千葉県南房総市の実家から歩いて3分のところに海があるが、津波の怖さを理解出来てなかった。 全てのモニターに津波が近づいている映像が映し出されている。 自分が人生で経験したことのないことが次々に起きてるのだけは分かった。 結局、ラジオ番組が元に戻ることはなく、報道特番に切り替わった。 「今日は帰っていいです」 そう言われてタクシーを呼ぼうとしたが、捕まらない。 道で捕まえるしかないかと、1人でTOKYO FMを出て、国道246号のほうに向かっていったが、タクシーを捕まえることは出来なかった。 246の自分が歩いている道と反対側の歩道にも、大量の人がぞろぞろ歩いていた。電車も動かずタクシーも捕まらない。みんな、帰宅困難となり、歩いて帰っているのだと気づく。 普段決して見ることのない光景。自分の目に映っているのは、アメリカのゾンビ映画で見たことのあるような、でもリアル。 携帯もまったく通じなくなった。 一体、どうなっているんだ? こみあげてくる不安を抑えると、僕の後ろを歩いていた男性が声をあげた。 「え? 死亡者が1人確認されたってよ」 死者が出るほどの地震だったんだと思った。 さっき番組に出演した歴史作家の言葉が蘇ったが、まさかこの地震が2万2000人以上の死者・行方不明者を出す地震になるとは夢にも思ってない。 1時間ほど246を歩いていると、人はどんどん増えてきた。街を歩く人たちの会話で、地震の被害が徐々に大きくなっていることが分かってきた。 ズボンのポケットに入れていた携帯が揺れた。 携帯が通じ始めたのだ。まず、ショートメールだけが届いた。 とある番組のプロデューサーが自分の番組スタッフ全員に安否確認メールを送っていた。 テレビ局にいたら最新の情報は入るはずだ。そのプロデューサーが全員にこんなメールを送らなきゃいけないほど事態は深刻化しているのかと思う。 とにかく、まずは家に帰ろう。その日、夕方から会議があったが、交通手段のない中、会議なんか出来るはずがない。そう思った瞬間、六本木のテレビ局のADからショートメールが届いた。 ―このあとの構成会議は3階A会議室です― 思わずカッとなり。 ―外に出たか? 今、街の状況、分かってるか? バラエティーの会議できるわけねえだろ― そう送ってしまった。 ADは上から言われたので仕方なく送ったのだろうが、自分の不安とイコールでないことにイラッとしてしまう。 不気味な不安が頭の中をどんどん過ってくる中、1時間半経ってようやく家に着いた。 妻は番組ロケで海外に行っていた。 誰もいない家の中を見ていると、棚に置いてあった物が地震でかなり落ちている。 テレビをつけて片付けると、いよいよ、この地震が、とてつもなくでかい地震であることが分かってきた。 津波が襲ってきた。 日本を飲み込んでいた。 この地震は、東日本大震災と名付けられ、原子力発電所が爆発し、日本中をどん底に突き落とす。 バラエティー番組もドラマも全部報道番組に差し替わっている。テレビに映し出される、津波が日本を飲み込んでいく映像。 かつて経験したことのない未曾有の大災害の被害にあっていることが分かる。 仕事で海外にいる妻から心配の電話が来た。外国のニュースで流れた日本の映像がとてもショッキングで、津波や火災の映像を見て、「日本が壊れていっちゃう」と思ったと泣きそうになっていた。 まさに日本が壊れていっているのだと自分でも思った。 でも「大丈夫だよ」と言うしかない。妻はこのまま日本に戻ってこない方がいいんじゃないかとさえ思ったが、その言葉は言えなかった。 妻との電話を終えると、春田から電話が来た。 いつまで報道番組のままなのか? 分からないと言う。月曜日の放送もどうなるか分からないと。 時間とともに増えていく被害者。想像をどんどん越えていく。 時間が経つに連れて被害状況の甚大さに打ちのめされていく。 そして……。 福島第一原発のニュースが入る。 地震だけではなかった。原子力発電所の事故。 映画以外でこんなニュースを聞くとは思わなかった。絶対ないって思っていた。 テレビに映し出されたそれは、爆発し煙を上げていた。 日本人が経験したことのない史上最悪の事故。 この事故が起きても、どういう事故なのか? このあと、どうなるのか? 被害状況などは明らかにされず、SNSでは様々な噂が日本中を飛び回った。 それを見て、思った。 「逃げなきゃいけないんじゃないか」 土曜日、 日曜日、 月曜日、 テレビにバラエティーが戻ることはなく、繰り返し流れる津波の映像で嫌になる。 破壊された日本の様と尋常じゃなく増えていく被害者の数。 福島第一原発では事故が収まる様子がない。そして何が起きているのかが明かされない。 放射能が日本に放出されていくんじゃないかというかつて感じたことのない不安と恐怖。 もうバラエティーなんか二度と放送されなくなるんじゃないか? それどころか、東京に、いや、日本に住めなくなるんじゃないか? 滅多に電話の来ない知人から電話が来た。 「オサムさん、東京にいますか?」 原発の爆発により、放射能に汚染されるという噂が一気に広まり、僕がどうしているのか知りたかったのだろう。 「東京から逃げますか?」 と聞かれたが、やっぱりそう考える人が増えているのだという現実を感じた。でも、「逃げないよ」と強がる自分がいた。 「本当に大丈夫ですかね?」 そう言われても、果たして噂なのか事実なのかは、誰にも分からない。 春田から電話が来た。この日の放送はなくなり、水曜日と木曜日の収録もなくなったという連絡だった。 こんな中、夜、舞台の稽古に行った。週末に上演される予定の舞台だった。 出演者も全員集まっている。主催の責任者に言われた。 「とりあえず本日の稽古はやらせてください」 やるしかないと台本を開いたが、スタッフがいつもより減っていることに気づく。 1人のスタッフは家族と共に福岡に避難すると言われた。 「オサムさんに申し訳ないと伝えてください。家族のためです」 それを聞いて、やはり今の日本はそれほどの事態なんだと痛感する。 主催者は週末に上演をしたいと言うので、とりあえず稽古を行った。 だが揺れた。かなり強い余震だった。 揺れる度に稽古を止めて、扉を開ける。 出演者も不安な顔色を隠せなくなった。 主催者が稽古の途中に割って入ってきて言った。 「様々な状況を踏まえて、上演を中止にいたします」 もう無理だ。 日本にエンターテインメントは戻ってこない……。 妻が日本に帰ってきた。 「もうバラエティーは出来ないかもしれない。テレビどころじゃないかもしれない」 妻に言った。 つまりそれは妻の仕事も僕の仕事も成立しないということだ。 本当にそう思った。 日本のテレビを見て被害を知った妻が、僕の言葉を否定することはなかった。 SNSで日本の芸能人・著名人が続々関西の方に逃げているという情報が目に付いた。 誰がどこにいるという目撃情報が入ってきていた。 大阪や福岡、沖縄。 テレビの収録もない。身の安全のため、東京を離れていると。 やっぱり少なくとも東京にはもう住めないのかもしれない。 ごまかしていた自分の気持ちにごまかしがきかなくなった。 テレビ番組の会議もすべてがなくなっていた。放送がないし収録もない。 自分もこのまま東京にいないほうがいいのかもしれない。 我慢出来なくなった。 ネットを開くと、飛行機も新幹線のチケットもだいぶ埋まっていたが、ギリギリ翌日の沖縄行きのチケットが2名分残っていた。 そのチケットを予約した。 罪悪感はあった。だけど、感じたことのない不安と恐怖で押し潰されそうになっていたから。 ずっと自分をごまかしていたからこそ、一気に吹き出した。 予約を完了したあとに、春田から電話があった。 電話に出ると春田は言った。 「来週の月曜日にイイジマサンが生放送をやりたいって言ってます。今晩、みんなで会えますか?」 生放送? こんな状況で? 信じられなかった。 夜、会議室に集まった。僕と黒林さん、春田に野口、イイジマサン。 イイジマサンも大分疲れた顔をしていた。そこで言った。 「こんな時だからこそ来週の月曜日、生放送をやりたい」 SNSでは有名人がさらに東京を離れているという話が流れている。大阪のホテルに泊まっている人の名前などが僕にもイイジマサンの耳にも入ってきていた。 東京を離れて逃げることは悪いことじゃない。安全を考えどんな行動を取るかは自分次第なのだから。 だけどイイジマサンは「自分が住んでいるところを離れられない人が沢山いて、みんな不安になっている。だからこそ、来週の月曜日、生放送をしたいんだ」と思いを語った。 彼ら5人が東京から生放送をすれば、それだけで安心する人が沢山いるはずだと。 イイジマサンの覚悟は決まっていた。 自分たちがこの仕事をしている意味。 「私たちに出来ることはそれしかないと思う」 イイジマサンの思いを受けて、黒林さんが会社に働きかけた。 テレビではちょっとずつバラエティー番組は放送され始めていたが、常にL字の画面で震災の情報が入り続けている。何日も繰り返し流され続ける津波の映像で心を病んでしまった人もいたからこそ、バラエティーが流れることで安心する人もいる。 だが、バラエティーが放送されることをけしからんと否定する人も沢山いた。 そして、ゴールデン・プライム帯で生放送をしているバラエティー番組などなかった。 実行するには沢山のリスクがあった。 放送中にまた地震が来るかもしれない。 原発の新たなニュースが入るかもしれない。 生放送でメンバーがうかつなことを喋ったら、それで大きな批判を買う可能性が高い。 局側からしてもリスクも大きいし、諸手をあげて「是非やりましょう」とはならなかっただろう。だが、イイジマサンの熱い思いを黒林さんたちが伝えて、生放送を行うことになった。 未曾有の大震災の10日後。 2011年3月21日の22時から。 そんなこと、他に誰もやろうとしない。 やりたくない。 だからやらなきゃいけない。 彼ら5人は。 翌日から連日会議を行うことになった。 でも、その日、僕は沖縄行きの飛行機のチケットを取っていた。妻の分と2名分。妻には飛行機を予約したことは言ってなかった。 取れたチケットの出発時刻はその日の夜。イイジマサンたちと会議をする時間だった。 ネットを開くと、原発の事故による放射能の噂がさらに恐怖を煽る。 これは噂じゃないんじゃないかと。 本当にそうなっていくんじゃないかと。 だから沖縄に行こうと思った。 イイジマサンや黒林さん、春田と野口には申し訳ないと思ったけど。 逃げようと思った。 東京から。 会議時間と飛行機の時間が近づいてくる。 もう決めなければいけない。 僕は妻に言った。 「実は沖縄行きのチケット、取ってあるんだ」 「そうなの?」 妻は驚く。 「沖縄に逃げようと思うんだけど、どう思う?」 「いいと思うよ」 賛成してくれた妻の言葉で楽になれた。でも。 「やるんでしょ? 生放送」 「うん」 「みんな、会議で待ってるよ。行かなかったら寂しいよ」 僕なんか逃げたってきっと番組は作れると思っている自分がいた。 でも、行かなかったらきっと寂しい。 ずっと一緒にやってきたからこそ。 妻の言葉で、ネットを開いて、飛行機をキャンセルした。 もうやるしかない。 今、自分に出来ることは番組を作ること。 会議に行った。みんな不安。みんな怖い。でも、こうやって集まっている。 みんなで話しあって、生放送の日のテーマを決めた。 「いま僕たちに何ができるだろう」 イイジマサンは、5人で話し合って、何が出来るのかを考えるところから始めたいと言った。 それでいい。 ただ話すだけになるかもしれないけど、それでいいのだと。 彼らに何が出来るのかを、報道番組のようではなくあくまでもバラエティーとして前向きに話すことで、それを見た人が考える番組にしたいのだと。生放送で。 普通のマネージャーだったら、嫌がるはずだ。 この状態でタレントが生放送に出て行き間違った発言をしたらタレント生命に大きな傷が付く。 喋っていいことといけないことの境界線が決まってないからこそ、生放送で自分の言葉で喋ることにはリスクしかない。 だけどイイジマサンは言う。 「間違っていいんだよ」 間違ったらそこで謝ればいいし、間違いを恐れてたら何も話せない、何も出来ない。このままだとエンターテインメントが戻らない。 その覚悟があった。 会議をしているときにも、大きな余震が来た。 スタッフが叫び声をあげるほどの余震もあった。 余震が来る度にみんな「放送中、これ以上の地震が来たらどうしよう」と思うが、そこも含めて放送するしかないのだと決めた。 彼ら5人のそのまんまを見せる。 国民的スターと言われる彼らだって地震にあって不安になる。その中で生放送を行い、言葉を選ぶ。何が正解なのかが分からないまま話す。 だけど、それを見せて伝えることで、きっと世の中は安心する。 みんな不安なんだ。怖いんだ。 だからこそ、みんなで一緒に考える。 今、自分たちに何が出来るのか? 僕は会議に参加しながら、沖縄行きのチケットを取っていたこと、仕事を放棄しようとしたことへの罪悪感がずっと胸の奥にあった。そのことは言えなかったが、不安なのはきっと僕だけじゃないと思った。黒林さんだって春田だって野口だって家族がいる。子供もいる。みんな、きっと大きな不安を隠しながら、向き合っているはずだ。 でも。どこかに逃げて安心しているよりも、この状況の中で、こうやってエンターテインメントを作れていることの方がきっと幸せだと言える日を信じた。 この放送を見てくれた人が、不安と恐怖を少しでも期待と希望に変えることが出来るのかもしれないと思いながら会議を終えて家に帰った。 そして寝ている妻の顔を見て感謝した。 3月21日 生放送当日。 昼過ぎに、リーダーが、タクヤが、ゴロウチャンが、ツヨシが、シンゴがお台場のテレビ局にやってきた。 3月11日以降、みんなと会ったのは初めてだった。 いつものように軽く笑顔で挨拶をすることはない。みんなそれぞれが覚悟を持ってやってきたことが分かった。 まずは会議室にメンバーとスタッフ全員が集まり、今日の構成を話す。 全員一言ずつ話してから、1曲歌い、曲が終わったあとは、街頭でインタビューした映像と募集したファックスを読みながら話していくと。 そして最後に2曲歌う。 番組は、歌以外のコーナーは彼らのトークに頼る部分が多い構成だった。VTRをもっと延ばすことも出来たが、それよりも彼らが今の思いを話すことが大事だ。彼らのリスクは増えるが、そこを信じないといけなかった。 構成の説明をしたあとに報道部の人がやってきて、今の被害状況と、そして、言ってはいけないこと、言うべきではないことをレクチャーする。ネットでは噂が絶えない中で、テレビとして中途半端なことを言うと視聴者がより不安になる。そのレクチャーが果たして本当に正解なのか分からないが、局としてもその生放送をやることに大きなリスクがあるわけだ。だからレクチャーをすることが条件だった。 僕はそのレクチャーを聴いていて、「これを言われると、生放送で話せなくなるんじゃないか」と思った。 だけど、そこも踏まえて彼ら5人はやるしかないのだ。 どんな一流の芸人さんでもタレントさんでも、この生放送を行うことはリスクとの隣り合わせ。だけど、イイジマサンはやると決めた。彼ら5人もまた、やると決めたのだ。 生放送が始まる前に、タクヤが僕に言った。 「オサムは何を信じてる?」 色々な噂が流れる中、何を信じてどう行動してるのか? と聞きたかったのだろう。僕は答えることが出来なかった。 タクヤが去ったあとも考える。僕は何を信じてるか? 1つあるとしたら、自分は今、ここにいて、この番組に参加すると決めた自分を信じているということ。 みんなもそうなんだろう。自分を信じて、ここに集まっている。 22時が近づいてくる、スタジオの緊張感が高まってきた。 彼ら5人がスタジオにやってきた。 リーダーが真ん中に立ち、その両隣にツヨシとゴロウチャン。端にタクヤとシンゴ。 5人が立ち並ぶ。 笑顔はなく、顔が強ばる。 きっとみんなが一番怖い。 東日本大震災から10日しか経ってない中で。 3月21日、22時。 東京、お台場からの生放送が始まった。
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irococoro8
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鈴木おさむ
@suzukiosamuchan
over 1 year ago
5人1列に並んだ中で、真ん中のリーダーがマイクを手に持ち、言った。 「3月21日月曜日、夜10時を回ったところです。今夜の番組はお台場から生放送で我々5人でお送りしたいと思います」 この言葉だった。 イイジマサンはこの言葉を5人に言わせたかった。 彼ら5人もそうだった。 この言葉を聞いて、どれだけの人が安心しただろう。 彼らはいる。 日本にいる。 東京にいる。 だから逃げなくても大丈夫なんだと。 最初の言葉のあとにリーダーは続けた。 「3月11日東日本大震災が起こりました。この震災で犠牲になった方々、そのご遺族の皆さんに深くお悔やみを申し上げたいと思います。そして被害に遭われた皆さんにも心よりお見舞い申し上げたいと思います」 そのあとにタクヤが言う。 「本当にあの日から、沢山の悲しい情景・状況が、テレビ、ラジオ、新聞、いろんな形で伝えられてます。そんな中、被災された方々がほんとに一生懸命前を向いて、一瞬一瞬を頑張って過ごされている姿を見て、胸がいっぱいになってます。そこで自分たちが、何が出来るのか、何か出来ることないのか、という風にもどかしく、そして正直悔しい思いもあります」 ゴロウチャンが番組の内容を伝える。 「少しでも何か役に立つことが出来ないのか、と思っていらっしゃる方は、僕らの他にも沢山いらっしゃることと思います。そこで今夜は、放送内容を変更いたしまして、お送りさせていただくことになりました。今の僕たちに何が出来るのだろうかということをテーマに、皆さんと共に一緒に考え、僕たちもそれを知っていきたいと思います」 ツヨシがゆっくりと言う。 「被災された方は現在も大変な状況の中で生活していると思います。今、僕らのこの姿も見れてない地域も沢山あると思います。が、しかし、僕らに何が出来るかなと思って今日は精一杯番組を進めたいと思います。食事もちゃんととれなかったり、寒い中今も頑張ってると思います。正直僕たちはですね。今まで環境問題とかエコとか、分かってるように口にしてきたんですが、実際のところは何も分かってなかったし、何もしてこなかったんだということに気づきました。僕たちに少しでも何か出来ること、普通に暮らせることがどれほど温かいことなのか、今日は皆さんと一緒に考えていきたいと思います」 そしてシンゴが。 「こんな時だからこそ、もっともっと沢山のことに気づいて、みんなで考えて、そして自分に出来ることをやっていかなければいけない時だと思います。信じるものをひとつにしましょう。自分たちを信じましょう。日本を信じましょう。そしてその信じる思いをみんなで繋げましょう」 最後にリーダーに戻る。 「何も出来ない自分がいました。もどかしさだけが残る毎日です。ただ、困っている人がいます。皆さん助け合いましょう。手を差し伸べましょう。今僕らは、一体何が出来るんでしょうか。みんなと一緒に考えていきたいと思います」 それを言い切ると、5人が歌った。 ナンバーワンにならなくてもいい。 もともと特別なオンリーワンだと。 彼ら5人が、生放送で、日本で、東京で、お台場で歌う。 この姿で、この歌声で。 勇気をもらった人は何万人、何百万人、いや、何千万人だったかもしれない。 彼らが緊張しながらも、本当に心から歌うこの歌が日本中に響いた。 歌が終わり、真っ白なスタジオの真ん中に5人が座り、届いたファックスが白い壁に貼られていく。 ただそれだけの中で話していく。 番組冒頭の言葉は、放送前に、メンバー5人とイイジマサンとスタッフとみんなで、何を言うべきか考えて作った言葉だ。メンバーの思いを込めて作った。 だが番組が進んでいくと、その場で自分の言葉で自分の気持ちを喋らなければならない。 もし余計なことを言ってしまったら……。 一言ずつ喋ることがリスクだ。 彼らはまず、地震が起きた時間、どこにいたか? という話をする。 埼玉県でドラマの撮影をしていたというツヨシ。そのドラマの舞台は東北だった。 茨城のゴルフ場で帰り支度をしていたというゴロウチャン。信号も止まり、倒壊してる家も見たり、10時間かけて帰ってきたと言う。 家にいたシンゴは今まで経験したことのない揺れを感じ、テレビをつけると津波の映像が流れ、実際の被災地の状況が分からず怖くなったと。 タクヤは、ドラマの撮影で、氷の張った湖の上で撮影していたという話をする。海が目の前で、避難したという。 自分たちが経験したことを、ゆっくりと自分の言葉を確認しながら話している。 番組は、街中の人に今何が出来るかを聞いていくVTRを見たり、視聴者から届いたファックスを紹介したり。 彼らは自分が感じたことを語っていった。自分たちの言葉で。 シンゴは節電についての思いを話す。 「ご飯作る時間を1時間ズラすだけで、違うかもしれない」 「家で厚着している。それだけで全然違う」 「スイッチを1つずつ消すように気を付けていたけど、気が付くと、節電を忘れてる場所があったりする」 自分が出来なかったリアルなことも伝える。だから伝わる。 タクヤは東京に帰ってきて見た、スーパーやコンビニから品物がなくなる買い占めについて話した。 「みんな焦ったし、家族がいる人は、俺、買っちゃうと思う。だけど、それに気づけて、行動に移せること、買いすぎた後に行動に移せることが大事でさ」 買い占めをやめようと言うのではなく、自分にも「家族」がいるからこそ、買い占めする気持ちが分かると。それを言うこともかなりの勇気がいる。だからこそ共感する。 リーダーは、自分で調べてきた待機電力の話と電話の話をした。 「地震が起きて、電話したけど、繋がらなくて、自分はかけるのをやめたんだよね。自分がもし繋がったら、自分以外にもっと困ってる人の電話が繫がらなくなるかもしれないって」 リーダーは「節電も大事だけど、節TELも大事だ」と気づいたことを伝え、こうも言った。 「自分たちが20年以上やってきて、なんて微力なんだろう」 この言葉に全員が強くうなずいた。 だからここにいるのだ。 ツヨシは子供からのファックスを読んで言った。 「大人の僕たちがしっかりしなきゃいけない」 そして、こう言った。 「偽善だと思われても、何か出来ることを発信しなきゃいけない」 ツヨシの優しい口調から出るこの言葉はとても強かった。 ゴロウチャンは時間が経って、本音で思ったこの言葉を。 「こういうエンターテインメントみたいな、明るいものを通じて一瞬でもいやすことが出来るならその一瞬のために僕らは頑張らなきゃいけないんだ」 リーダーもタクヤもゴロウチャンもツヨシもシンゴも、自分の言葉を、思ったことを、伝える。 1個ずつ丁寧に、思っていることを伝える。 スタジオにはファックスがどんどん増えてくる。 子供からおじいちゃんおばあちゃんまでの言葉で埋め尽くされていく。 番組終盤、事前にホームページに沢山届いたメッセージの中から5個選び、写真と文字とメンバーの声だけで構成したVTRが流れる。 看護師をしている方のメッセージをリーダーの声で伝える。 「私は看護師をしています。新人の頃、師長さんに『人を支えるのは共に泣くことだけではない。患者さんが思い切り泣けるような環境をつくることだ』と言われました。支える人は倒れてはいけないのです。いつでも被災者の方々が寄りかかれるように一人一人が強くなろう。今はしっかり働いてお金ためて、いつか看護師として被災地へ行きたいと思います。それが私の出来ること」 家が津波で流されてしまった宮城の方のメッセージをタクヤの声で伝える。 「我が家は津波に飲まれてしまいましたが、辛うじて自分の身は守ることが出来ました。今は高台の弟の家に身を寄せています。そんな中、やっと夜中に遠方の友人たちから携帯に連絡がありました……『出来ることがあったら言って下さいね』それが、どんなに心強かったことか……被害にあっても生きている我々は結構しぶといです。今は、近所の皆さんと物を分け合ったりして、こういう時にしか『悲しいかな気づかなかったこと』を沢山体験しています」 保育士をしている方のメッセージをゴロウチャンの声で伝える。 「震度6の揺れの中、0歳の子供12人をみんなで抱え、無事に避難することが出来ました。余震が続く中、困惑し、心が折れそうになった私たちを救ってくれたのは……目の前にいる子供たちの笑顔。子供たちの笑顔は未来に繋がっている。今、私に出来ることは、目の前にある小さな命を守ること」 娘さんが仙台にいて不安を感じた母親のメッセージをツヨシが伝える。 「私の娘は仙台にいます。地震が起きた時は、連絡が取れなくて気持ちが焦るばかりでしたが……やっと声が聞けた時は本当にうれしかったです。親としては『しばらく帰ってきたら?』と言ったのですが『今も大変な生活をしている人を思えば逃げ出すようなことは出来ない』と……今は本当に声が聞けるだけでホッとするんです。1日1回の安否確認の電話が待ち遠しいです。声って大切ですよね。誰にでもいいから不安がってる人に『おはよう』『元気?』『大丈夫だよ』ほんの一言でも気持ちがホッとするんじゃないかなと思います」 最後にアメリカに住んでいる方のメッセージをシンゴの声で伝える。 「私はアメリカ在住です。こちらでも毎日のように大震災のニュースが流れています。海外にいる自分にも出来ることを考え、義援金を送らせていただきました。今、私のお腹には小さな命が宿っています。この子は将来の日本を担う1人です。これから生まれてくる命は希望となります。私の使命は、お腹の子を無事に産むこと……小さな灯りが日本を灯しますように」 このVTRを受けて彼らは言った。 「こういう時に、元気、勇気、希望、言い続けてきた言葉が大切だ」 ゴロウチャンは言った。 「冷たい心を温めるのは人の心にあるものだから」 そして、リーダーはこの日、一番伝えたかった言葉を言った。 「今、僕たちに何が出来るんでしょうか? 今の日本は最大のピンチです。以前、ある本で読んだことがあります。『ピンチや災難は乗り越えられる人にしか神様は与えない』と。だからきっと僕らはこのピンチを乗り越えることが出来ると思います」 真っ直ぐカメラの先のみんなに言った。 シンゴはカメラを見て笑顔になった。 「不安な時だからこそ笑顔になりましょう。その笑顔は繫がります」 5人は自分たちの思いが、そしてスタジオに届いた沢山の人の気持ちが、被災地でこらえているみんなに届くように歌った。 1995年、阪神・淡路大震災の直後にもテレビで歌ったあの曲を。 どんな時もくじけずにがんばりましょう、と。 いつの日にか、また幸せになりましょう、と。 間奏でタクヤはカメラに向かってアドリブで言った。力強く。 「GOOD LUCK」 そして、5人で声を揃えて歌う。 空は青い、僕らはみんな生きている、と。 いつの日にか、幸せを勝ち取りましょう、と。 彼らがこの歌を歌っている時に、スタジオの副調整室にいた。 僕だけじゃない。 沢山のスタッフが彼らの歌う姿を見ながら泣いていた。 涙を手で拭いながら生放送を続けていた。 僕は怖くて沖縄行きのチケットを取った。でも、怖くて逃げようとした自分を捨て去り、この日の放送に挑んだつもりだったが、怖かった。ずっと怖かった。 どうなってしまうんだろうと。 だけど怖いのは僕だけじゃなかった。 その副調整室にいたスタッフ何十人、みんなそうだった。 みんな家族がいる。奥さんがいる人も、子供がいる人もいる。 みんな、怖くて、僕と同じで逃げたかった人もいるはずだ。 だけど、この日の放送は、絶対に日本全国の沢山の人に届いていると確信した。 沢山のファックスが届き、そのファックスでスタジオは埋め尽くされた。 みんなで届けたこの放送が、きっと誰かの笑顔になっている。 今、自分たちに出来ることは、これなんだと、誇らしく思えた。 だから泣いた。 みんな泣いた。 彼ら5人のこの生放送は。 日本中に届き。 笑顔を繋いだ。 その放送から2カ月ほど経った頃だった。 テレビにバラエティー番組は戻ったが、震災前のような明るさは戻ってない。完全に戻ることはない。変わったのだ。 まだ連日震災のニュースは伝えられている。原発の事故のことも。 何が本当で何が噓なのか分からなくなっていた。 そんな時、番組の会議で黒林さんが伝えた。 「今年の27時間テレビで彼らに出張の料理コーナーをやってほしいというオファーが来ています」 お台場のテレビ局では毎年27時間テレビが放送されていた。 土曜から日曜まで27時間ぶっ続けでバラエティー番組を放送する。 毎年、軸となる人がMCとして立つのだが、この年は人気芸人2人組とリーダーがやることになるのだと。 その中で、タクヤ、ゴロウチャン、シンゴとツヨシが被災地に行って、いつも番組の中でやっている料理企画を出張でやってほしいというものだった。 宮城にはお笑い怪獣と呼ばれる超人気芸人さんがお笑いライブを届ける。 料理企画は岩手と福島に行ってほしいというリクエストが来ていた。 放送は7月だとしても、この時点では、東日本大震災からまだ2カ月しか経ってない。 黒林さんは、イイジマサンには軽くオファーしたが、まず自分たちが被災地に行き、状況を見て報告してからやるかどうかを決めてもらうことになっていると言っていた。 僕も自分の目で見るべきだと思った。 まずは春田と一緒に岩手の大船渡に向かった。 被害が一番大きかった場所に向かうと、そこには見渡す限り何もなかった。 すべて波に飲み込まれたあと。 360度見渡せるところは全て波に奪い取られていた。 言葉を失う。自然に涙がこぼれてきた。 僕らは仮設住宅の集まる場所に向かい、体育館に顔を出した。 そこには沢山の子供たちもいた。 この中に大切な人を失った人が沢山いるのだと思うと胸が苦しい。 だが、笑顔だった。 2カ月が経ち、間違いなく、悲しみを背負いながら未来に歩き始めていた。 僕はそこを見て思った。 ここに彼らが来て料理を作ったら間違いなく喜んでくれるだろうと。 週をまたいで今度は福島に行った。 岩手に行く前は不安だったが、行ったあとにスタッフと共に、「いける」と自信が出てきたので、福島に行くときはちょっと安心しながら行ったのだが。 そうではなかった。 考えが甘かった。 まずテレビ局のルールでガイガーカウンターを持っていかなければならなかった。 福島駅に現地の放送局の人が車で迎えに来てくれていた。 その車に乗って移動していると、春田の持っているガイガーカウンターが鳴った。 ガイガーカウンターが鳴るということは、注意しなければいけない放射線がそこに存在しているということだ。 その音で一気に緊張感が高まり、手のひらに汗がにじむ。 自分たちはそういう場所に来たのだ。 そして福島に住む人たちは放射能の不安と恐怖と向き合いながら「住んでいる」のだ。 僕は移動する車の中で、言葉が発せなくなった。 車はとある所に着いた。 数千人もの人がいまだ避難している大きな場所だった。 そこで県庁に勤める川田さんという男性が出迎えてくれた。 僕より年輩で長年県庁に勤めている川田さんの顔には笑顔はなかった。 まずそこに避難している人たちの様子を説明しながら見せてくれた。 岩手にいる人たちとは違った。 あまり笑顔はなく、みな、携帯を見ている。下を向いている人たちが多かった。 そこにいるのは地震で避難している人たちだけではなかった。原発事故により住んでいたところが避難地域になってしまった人たちも沢山いた。 家はあるのに帰ることが出来ない。 いつ帰ることが出来るのかも分からない。 一生帰ることがないのかもしれない。 岩手では、不安を希望に変えて生きている人たちが多かったが、目の前にいる人たちはそうではなかった。 ずっと不安というトンネルの中にいる。 ずっと出ることの出来ないトンネル。 ずっと抜け出すことの出来ない暗闇。 明けることのない夜。 そこで携帯を見ている男性と目が合った。僕はさっと自分の目を逸らしてしまった。 会議室に入り、僕と春田と福島のテレビ局の人が川田さんの前に座る。 春田が今日ここに来た理由を説明した。 期待させて、結果来ないとなると嫌だったので、5人の名前は出さずに話した。 夏に27時間テレビという番組があり、そこで、福島から中継をしたいという話をした。 「いろいろとご協力いただけますか?」 春田が聞くと、川田さんは不満げに言った。 「なんなんですかね?」 イライラしているのが分かったから、僕は思わず川田さんに言った。 「何かご不満なこととかあったら言ってください。なんでも」 川田さんが僕を見て言った。 「本当に来るんですかね?」 「本当に来るって、どういうことですか?」 川田さんは自分が感じていた不満を爆発させた。 「テレビで見ましたよ。いろんな芸能人が、岩手と宮城には行ってる。だけどね、福島には来ませんよ。なぜですか?」 そのなぜですか? の答えは川田さん自身は分かっている。僕だって分かった。でも、答えられない。 「こないだだって、派手な格好して宮城行ったタレントさん、いましたよ。でも福島には来てくれませんよ」 川田さんは普段言えない思いをぶつける。 「誰も来てないですか?」 僕が聞くと、川田さんは教えてくれた。 ある女性演歌歌手が電話をかけてきて「私に何か出来ることありますか? 行って段ボール運びでもなんでもやります」と。川田さんは「段ボールを運ぶんじゃなくて、来てくれるなら歌ってください」とお願いをすると、その人は本当に来てくれた。歌ってくれた。歌ってくれると、ここに来てから動けなくなったおじいちゃんやおばあちゃんがその人の歌を聴くために立ち上がって歩いて感動して涙を流した。改めてエンターテインメントの力はすごいんだって感じた。 だけど、その人以外、ほとんど来てない。 みんな、福島には来てくれない。 川田さんは立ち上がって僕らに言った。 「さっき見たでしょ? みんなずっと携帯さわって下向いて。未来がないんですよ。希望がないんですよ。上向かせてあげたいんですよ。あの人たちに」 その言葉に何も言い返すことが出来なかった。 本当ならそこで「じゃあ、絶対来させますよ」と言いたいところだったけど、そうもいかなかった。 実際、なかなかそこに行かないという現実。 この日、来ただけでも何度も鳴るガイガーカウンター。 この状況をイイジマサンに伝えて「絶対、行きましょう」と言い切れない自分がいる。 だから何も言えないまま、その場を離れた。 帰りの車の中で僕も春田も何も喋ることの出来ないまま、また、ガイガーカウンターが鳴った。 「ここにエンターテインメントを届けるのは無理かもしれない」 東京に戻り、黒林さんと春田と一緒にイイジマサンの元に向かった。 岩手と福島の状況を伝えるために。 まず黒林さんから岩手の状況を伝える。 次に春田から福島の状況を伝えた。 ガイガーカウンターが鳴っている状況。そして川田さんの言った言葉。 そのまま伝えた。 この出張料理企画はなくなると思った。 「行かせよう! 岩手と福島に」 イイジマサンは言った。 「福島にも行きますか?」 春田が言うと。 「絶対、行かせよう!」 イイジマサンは力強く言った。 その言葉を聞き、僕の頭の中には福島でずっと下を向いていた人たちの姿が浮かんだ。 川田さんが言った「上向かせてあげたいんですよ」という言葉が頭の中に響く。 イイジマサンは思ったのだろう。 彼らが行って、上を向かせてあげたいと。 そのあと話して、岩手はタクヤとゴロウチャンのチーム、そして福島はツヨシとシンゴのチームにすることになった。 イイジマサンからの提案で、出来れば当日の前に、彼らを現地に何度か連れて行きたいと。事前ロケを兼ねてでもいいし、特に福島はロケもなしで、ツヨシとシンゴを連れて挨拶だけでもいいから行かせたいと言った。 イイジマサンの言葉を、僕たちは実行に移した。 タクヤとゴロウチャンは岩手に行き、ツヨシとシンゴは福島に行き。 現地の人たちと話した。 最初にツヨシとシンゴたちが行った時は僕も同行した。彼らは自分のお金でお米券とデニムを大量に購入し、街を回りながらどんどん配っていった。カメラを回すことなく、挨拶だけして配っていく。 シンゴは3月21日の番組で言った。「笑顔を繫ごう」と。 ガイガーカウンターが鳴ろうが気にしなかった。 自分たちが出来ることをただ、やった。笑顔で訪れ笑顔を繫いで、みんなの顔を上げてもらった。 7月23日。 27時間テレビ当日。 僕はツヨシとシンゴと一緒に福島に行った。 会場となる体育館には地元の人たちが沢山来てくれていた。 放送のためにツヨシとシンゴが入ってくると、大きな歓声で沸き立つ。 高校生くらいの女性が持つ手書きのパネルに「福島に来てくれてありがとう」と書いてあった。 川田さんの言葉が蘇り、その言葉が刺さる。 当たり前の言葉なのに、重かった。 2人の姿を見て、泣いている人たちもいた。 ツヨシもシンゴも、岩手のタクヤもゴロウチャンも、放送されていることは二の次だったと思う。 ただ、目の前の人を喜ばすため、大量の料理を作り、配っていく。 求められたら握手もして写真も撮影した。 汗だくになりながら、ずっと笑顔でい続ける。 自分たちが笑顔でいることで、この笑顔が繋がると信じていたから。 料理企画の中継は、大成功で終わった。 とにかく喜んでくれた。2カ月前に福島で見た、下を向いている人たちの顔が上を向いていた。 体育館中に笑顔が咲いた。 放送が終わり、ツヨシとシンゴは控え室に戻った。 僕も一緒に戻っていった。 控え室に着くと、シンゴはすごく優しい表情で、ツヨシに言った。 「みんな、喜んでくれたね?」 「うん。喜んでくれた」 「自分たちが来て料理作ってさ、こんなに喜んでくれた」 「本当に嬉しそうにしてくれた」 シンゴがツヨシを見て言った。 「本当にこの仕事をしてきて良かった」 心からそう思ったのだろう。 自分たちがこの仕事を続けている意味を感じたのだろう。 シンゴはビールを開けて、ツヨシはお茶を開けて。 乾杯した。 彼ら5人は、この2011年から、ずっと被災地の人を応援し続けてきた。 彼ら5人とイイジマサンとスタッフの思いで、翌年からも3月になると、被災地を訪れて復興していく様子を見せ、その中でもまだ悲しみを背負っている人たちを励ました。 ずっと。 番組の最後には、募金の告知を流した。 毎週、1回も欠かすことなく。 2012年、2013年、2014年、2015年。 そして、2016年12月26日に終わりを迎えるその日まで。 あの東日本大震災で、彼ら5人のおかげでがんばれた人は沢山いる。 笑顔を戻した人もきっと沢山いる。
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irococoro8
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toruhi☻24
@angel_Haniel24
over 1 year ago
マジで声出た 坂本くんの仮面舞踏会が仮装大賞で見られるなんて イノッチの共演したかったんだよ!に泣いたわ 長野くんの事は何も知らないんです笑
#トニセン
#仮装大賞
irococoro8
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お侍さん
@ZanEngineer
over 1 year ago
ジャニーズが消滅したおかげで、香取慎吾とトニセンが仮装大賞で共演。
irococoro8
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20th Century
@20thCentury_SIN
over 1 year ago
この4人で写真撮るのはじめてかも。 ガキの頃からの付き合いです。 そしてオーディションから参加した仮装大賞。無事に終わりました。 残念ながら賞は取れませんでしたが、 合格できました! やったぜー!!
#どーぞ
トニセン
#トニセン
#香取慎吾
#仮装大賞
irococoro8
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長崎国際テレビ NIB【公式】
@nib_nagasaki
over 1 year ago
今夜7時は
#仮装大賞
#トニセン
(
#20thCentury
)参加に 驚き‼️の香取さん👀 100回記念で レジェンド作品の復活も👏
#萩本欽一
&
#香取慎吾
息ぴったりな2人にも注目💓 審査員
#川口春奈
#市村正親
#やす子
#いとうあさこ
#ウエンツ瑛士
#滝沢カレン
#松丸亮吾
#松本薫
#溝端淳平
#若林正恭
irococoro8
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kimuniy
@samadoulovekr
over 1 year ago
改めて、アツい! 共演したかったんだよ!!! by井ノ原快彦
#仮装大賞
#全日本仮装大賞
#2025名言
irococoro8
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センター長の保護犬保護猫活動日記
@sasaki_inuneko
over 1 year ago
先ほど都内で生後9ヶ月のプードルの♂(去勢済)を保護しました。 1人暮らしの飼い主さんが長期入院のため飼えなくなりました、、、 とても甘えん坊で人懐っこい子です。
irococoro8
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川地祥介
@ncbutwDsL0UC6np
over 1 year ago
奈良公園では鹿の交通事故が多発しています。車にあたった鹿の半数が死亡し子鹿も犠牲になっています。そこで丸子獣医師が鹿の交通事故に関するセミナーを開催されます。 〜野生動物の交通事故 奈良の鹿の治療現場から〜 2025年2月9日(日) AM10時〜11時 クレオ大阪中央3F 参加費¥500- 予約不要
irococoro8
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北川悦吏子
@halu1224
over 1 year ago
SMAPのダイナマイトとか聴きたい。見たい、聴きたい。シェイクとか。10💲とか。必ずライブ行ってたなあ。いい時代だったなあ。今、言ってはいけないこと?でも、記憶の中にあるもの。確固として。
irococoro8
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川地祥介
@ncbutwDsL0UC6np
over 1 year ago
奈良公園にお越しの方へお願い 奈良公園には沢山の鹿が暮らしてます。鹿はゴミを食べ物と間違って食べてしまいます。ゴミは消化されず胃に溜まり鹿の命を奪います。亡くなった鹿の3頭に2頭の胃からプラごみが出てきてます。 ⚠️鹿の命を守る為ゴミの放置・ポイ捨てされませんようご協力お願い致します
irococoro8
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メッシーSp500
@spmc19790825
over 1 year ago
【拡散希望】 祖母の命を救って下さった方(男性と女性)を探しています。 本日12/29(日)昼12時頃、大分県別府市ののジョイフル亀川店にて祖母・父・母の3人で食事中に、祖母が誤嚥から呼吸困難になった際、近くにいた男女2人(20代-30代くらい)が迅速かつ的確な処置で助けてくれたそうです。 祖母はその後すぐ到着した救急車で搬送されましたが後遺症等もなく無事でした。 父母の話では父母が何をしても喉に詰まった物が出てこず、この2人がいなければ間に合わなかっただろう、とのこと。 祖母の命を救って頂き本当にありがとうございました。 回復した祖母に一連の話をすると「自分の命を救ってくれた2人にどうしてもお礼が言いたい」と申しております。 緊急事態の中で名前も連絡先も聞けておらず、後からファミレスや救急隊員の方に連絡しても手掛かりが見つからなかったとのことで、SNSの力を拝借する為にポストさせて頂きます。みなさま拡散協力お願いできたら幸いです。 男性は自らを消防士、女性は看護師と仰っていたらしく、ご家族で食事にきていたようです。 知り合いの消防士にも連絡したらしいですがいまだに手掛かりは無く、もしかしたら旅行できている方かもしれません。 ご家族で大切なお時間をお過ごしの中にも拘らず、改めて本当にありがとうございました。 もしこのポストが2人の目に届きましたら、(もちろんご迷惑でなければですが...)私宛にDM頂けたらと思います。 よろしくお願いいたします。
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